江は、あらわれる時は突然ですが、まずお客様にご紹介すると直ちに売約いただけます。 江だけは売り物があったときには必ず買っておかねばなりません。
江義弘 私も刀屋として様々な刀工の刀を扱わせてもらっていますが。 江だけは本当に不思議な刀です。 江は探してもまず見つかりません。 正宗よりも探すのは難しいです。 それでいて何でもない時に、飄とあらわれて、颯爽と去っていくまるで捉えどころのない刀です。
それと、江は本当に人と人との縁がなければ扱えません。 江を売っていただいた方、買っていただいた方のすべてが私にとってご縁の深い方々ばかりです。 私も江は2振しか扱ったことがありませんが、これからも江と、それに纏わる方々と良いご縁をいただきたいものです。 江だけは不思議な刀です。
古い布地の美しい刀袋 これは、古くなったり、着用されなくなった着物の帯をリメイクして再利用しているんですね。 刀剣の、太刀を刀へ、刀を脇指へ、薙刀を薙刀直しへ磨上げたり直して、形を換えても物を大切に使用するという日本の精神に通じるものがあると思います。
「狐来小鍛冶之図」 ・小鍛冶 能の演目で有名な、三条小鍛冶宗近が、狐の精霊の姿の稲荷明神の御神体を、相槌に宝刀「小狐丸」鍛え上げている図です。 (左)狐の精霊 稲荷明神の御神体 (右)三条小鍛冶宗近 小狐丸を鍛錬しています
「菊一文字」には大別すると(現在は)2つの意味があります。 ・後鳥羽上皇と12人の御番鍛冶の打った太刀を「菊御作」といい茎には(菊紋)があります。 「菊御作」のうち一文字風の作を「菊一文字」ともいいます。 ・御番鍛冶の正月番の一文字則宗 福岡一文字派の祖 (または助宗も含む)
一文字則宗の在銘の現存品のうち拵のあるものは4振 (左より) ・国宝 日枝神社蔵 徳川将軍家伝来 ・重文 三井記念美術館蔵 土屋家伝来 ・島津家伝来 ・重文 「二つ銘則宗」 愛宕神社蔵
一文字則宗の「則宗」銘の現存作品は少なく数振のみ遺されています。 (左より) ・国宝 日枝神社蔵 徳川将軍家伝来 ・御物 浅野家伝来 ・重文 三井記念美術館蔵 土屋家伝来 ・重文 岡山県立博物館蔵 ・島津家伝来 ・重文 「二つ銘則宗」 愛宕神社蔵
(左)一文字則宗 日枝神社蔵 (中)三日月宗近 (右)蜂須賀正恒 新刀剣男子の「一文字則宗」 太刀拵の鞘は日枝神社蔵の則宗の太刀のものでしょうか (左)(中)家紋の数が多く、規則的ではなく前後に不規則に並んだものは桃山から江戸初期頃までにみられます (右)家紋が規則的に整列しています
拙僧の(当たったことの無い)新刀剣男士予想は 剣「国広 興山上人寄進」(高野山蓮華定院蔵)に1票 新刀の剣で重要文化財に指定されるものは堀川国広のこの作1振のみです。 高野山の蓮華定院は真田家の菩提寺で、真田昌幸・幸村父子も逗留しました。
(左)千鳥十文字槍 (右)十文字槍 千鳥十文字槍は、いくつかある十文字槍の一種で、その特徴は左右の鎌の下部に突起(赤矢印)があることです。 通常の十文字槍ともよく似ていますね。 千鳥が翼を拡げて飛ぶ姿に形状が似ていることから名称がつきました。
新刀剣男士の「五月雨江」 打刀拵の柄前の目貫は「逆目貫」といって位置が逆になってますね。 柳生流の使い手なんでしょうか😊
「山伏国広」 不動明王像 お顔は両目を見開き、口は下唇を噛んでいます。 首に数珠 髪型は総髪(そうはつ)、開蓮(かいれん)が頭上にあり、左側のみ弁髪(べんぱつ) 右手に三鈷柄剣(さんこつかけん)、左手に羂索(けんさく) 蓮台(れんだい)に載り、背後には迦楼羅炎(かるらえん)があります
「山伏国広」 彫物 不動明王(肉彫)の拡大 (埋忠展の展示方法では右側の画像に近く見えます) 右側は、四肢に力が漲り、顔には威厳すら感じられます。左手に持つ羂索や背後の火焔にも流れがあります。 同じ彫物でも光源の違いで大きく見え方や雰囲気が異なるのがお分かりいただけると思います。
地鉄に潤いや艶が感じられるのは、研磨が行われた後に長年に渡って良いお手入れを施されてきた賜物であるのかもしれません。 下半には良い映りも鮮明にあらわれています。 刀剣は研磨された後、地鉄がだんだんと味わいが出てきます。 とくに古名刀では twitter.com/tsuruginoya/st…
「山伏国広」の状態 小錆やヒケなども全くみられません。 最も驚いたのが彫物の底の部分にも全く打ち粉や丁子油の澱みがありませんでした。 よほどに現在の所有者様が大切にされ、丁寧にお手入れされていらっしゃるのでしょう。 感服いたしました。
「山伏国広」の健全度 堂々とした太刀姿 緩みの無い精美な地鉄 しっかりとした焼刃や映り たっぷりとした帽子 研ぎ減りが全く感じられない鏨の効いた彫物 などから非常に健体のようです 展示が太刀掛けなので棟側からも観察できます。 茎と刀身の重ねを比較してみても殆んど違いがなく健全無比です
帽子は焼き深く複雑に乱れて覇気が感じられます。 彫物は鏨がよく効いており、特に不動明王は緻密なものとなっています。 (刃紋はハバキ元の彫物周辺は焼きを低くしています。これは彫物を施すことを想定して予め低くしています) 目釘穴は下が生ぶ孔(太刀用) 上は後補(打刀用)のようでした
「山伏国広」 新刀の重要文化財指定品ですので非常に健全な刀でした。 堂々たる体躯の太刀姿に、地鉄も美しいです。 (国広の天正打、古屋打にはここまで綺麗なものは少ないです) 刃紋はこの頃の作風にみられる小のたれ調に小互の目、丁子交じりとなり、上半は飛焼かかり、下半は映りごころとなります
独立ケースの反対側からは裏面の不動明王をみることができます
「山伏国広」 独立ケースに太刀掛けで展示されていました 独立ケースなので裏側にまわると不動明王をみることができます
「太閤左文字」 「本阿弥光徳刀絵図(寿斎本)」に記された「志(し)ゆらく」→「じゅらく(聚楽)」は刀の号 「豊臣家御腰物帳」に記された「しゆ楽より」→「聚楽より」は、当時の聚楽第にいた関白:豊臣秀次より献上された と解釈するべきでしょうか
右耳には鈷杵(独鈷杵か三鈷杵)のピアス それに繫がる羂索の鎖を猪目(ハート型) 猪目は古くからみられ魔除けの意味もありますが、 戦いの神でもある猪にのった摩利支天の意味合いもあるのでしょうか、「武運長久」のように (と拙僧も推測してみました)
丹波守吉道(大阪初代、京初代の次男) 陸奥守吉行の師匠:大和守吉道(初代)は丹波守吉道(大阪初代)の次男 切断されてしまった茎 刃長 3.0cm (5.5cm以上は登録証が必要) 正しい銃刀法の知識が無いとこのような悲劇が生まれてしまいます。。。 登録手続きは難しくありませんのでご相談ください
「山伏国広」 堀川国広考(昭和2年)より