葛西伸哉 ラノベ作家(@kasai_sinya)さんの人気ツイート(リツイート順)

それどころか、例えば「80年代にガーナで作られた番組」みたいな、素人には裏取り自体が難しいネタをやられて、しかもそれがセンシティブなもの(差別や偏見を煽ったりとか)だったら?
タイトルやコンセプトに「オタク」を掲げてるアニメを2本立て続けに見ると「いわゆるオタク的なアイコンをてんこ盛りにする」のと「登場人物が実際に何が好きでどう楽しんでいるかを描く」の差を痛感するなぁ。
同業者先輩によく言われた話。 「設定や考証の甘さ雑さが気になるのは、キャラやプロットの引力が弱いから、そのあたりに視線が向く」 「よく考えたらおかしい話でも、読んでる間観ている間に《よく考える暇》を与えなければ勝ちだ」 twitter.com/CRwVUTh6Xjn2eG…
例えば「現代~近未来の日本」を舞台にした作品で、アフリカ系キャラを登場させると欧米市場向けに「有利、効率はいい」のだけど、実際に日本国内でのマイノリティであるアイヌや朝鮮系、中国系を出してもメリットは薄いというような転倒。 みんな「東アジア系」だから。
自作でも触れたけど「大切な人を殺されたら、犯人の死刑を望むはずだ。残された人の悲しみを思えば厳罰に処すべきだ」という思想だと「通り魔が殺したのがたまたま何の益もない皆に迷惑な嫌われ者だったら免罪・減刑・表彰すべきか」という話になるんじゃないか。
思春期に美少女漫画の勃興を目撃したワシが既に還暦目前だからね。 ワシ自身は独身子無しだけど80年代オタク草創期の「次世代」が成人してクリエイターになってる例なんてなんぼでもあるだろう。
予断だけど、間近で見て興味深かったのは「衣装の作りは意外に荒い」という事。 露伴の服の「穴」なんか単に切り抜いてあるだけで糸のほつれとかあった。 トラブったら修繕すればいいだろうし、実用の衣服とは思想が違うんだな。
フィクションの設定を考える時に必要なのは「キャラが屋上から落ちても死なないように安全ネットを張ろう」であって「キャラが間違って落ちないように屋上には出られないようしよう」ではないのだ。
小学館が強力なのは「てれびくん」→「コロコロ」→「サンデー」→各種青年誌という《導線》を維持してる事だよなぁ。 講談社は「ボンボン」が途切れてる。 twitter.com/MANZEMI_bot/st…
個人事業主との契約だから雇用じゃなく、従業員としての福祉を考慮しなくていい。 登記はタックスヘイブンだから法人税その他は払わない。 そういう「技術」ばかりが当たり前になっている。
元祖からして「ライダーはショッカーの改造人間」なんだけど『ファイズ』が極まってるのは、今目の前にいるのは間違いなく「唯一無二、本物のファイズ」なんだけどその中身が何者かという保証はない」という事だよなぁ。
→ 分類コードとかそれっぽいタームを覚えるだけで、自分なりに考えて分類分解する習慣がないと、あっという間に流されて思考が雑になるぞ、というお話。
『タローマン』全39話とか52話とかいう説が流れているけど、5分番組かつフィルムが現存してないという事は「帯」「子供向けバラエティ内の1コーナー」である可能性が大きい。 月~金で一年やってたとしたら260話あってもおかしくないぞ!
ウルトラマンやゴジラに比べても、仮面ライダーというのは「何故ああなったのか、ヒットしたのか」というのが理屈だけでは割り切れない要素が大きいので、庵野という怪物にしてもなお「ロジカルに分析して再構築する」のではなく「表層に現出しているものをなぞる」になってしまったのかも知れない。
『BAD CGI SHARK』みたいに「雑な因習村ホラーを濫作していたPDが、自作そっくりの因習村に迷いこむ」なんてのもアリかも知れない。 監督や脚本家に押しつけた無理矢理で矛盾だらけの因習に苦しめられる。
厳しい言い方ではあるが、日頃から保守主義の立場に立っている人が「親に顔向け、我が子に恥ずかしくないのか」型の批判をするのは、賛同はしないけど一貫性の点で「信用」はできる。 リベラルだの人権だのを唱える人がこれを主張したら、信頼どころか対話可能性さえ怪しいという評価になる。
野生や自然に対して、人間的なイメージをなすりつけて「厳しい」というのも「優しい」というのも、恐らくはどちらも間違っている。
だから「現実世界の問題について啓発する表現」と「娯楽フィクション」は別というのは(男女問わず)はっきり訴えていかなきゃならんのよ。 少女漫画も美少女漫画もBLも「現実の性愛での振る舞いを教える教科書」じゃない。 twitter.com/miruna/status/…
#プリキュア 「恨むな憎むな」ではなく、その感情に流されるな(=行動を自制せよ)というのは踏み込んだ脚本だな。 それを人間同士でやるとやっぱりしこりが残りがちなので、妖精に絡めたあたりも巧い。
『シン・ウルトラマン』もそうだったけど『シン・仮面ライダー』における諸々のオマージュや小ネタも「原典を知ってると美味しい加点」であっても「知らないと意味不明」ではないんじゃないかなぁ。
「悪を懲らしめ、問題を解決した後は必ず立ち去ってくれる。その後の自分たちの日常生活には関係なくなってくれる」という点で《完璧なヒーロー》像の典型であるのが水戸黄門。
ファンタジー世界にダーウィニズムが適用できるとなると、現実地球史では成立しなかった「直立二足歩行の他種多用な知的種族の共存」が適応的である世界という事になるんだよな。 ゴブリンがオーガやトロールとの生存競争に敗れて絶滅しなかったのは何故か? twitter.com/ogawaissui/sta…
むしろパイオニアである『マジンガー』では丁寧に描かれて、後継作品の「様式化」によって削り落とされた部分を再発見したのが『ザンボット』や『ガンダム』なのではないかとずっと考えてる。 twitter.com/yumeyaZF/statu…
我が子の「教育を受ける権利」を否定し、見世物にして稼ぐ親って、大きく括ればカルト二世問題と同じで「家族の絶対視、密室性」に起因するんだが、じゃあ現状で「家族」に変わる信頼できるシステムがあるかというと結構悩ましい。
「富野監督のシャア」って執念深い復讐鬼じゃなく「才覚が有り余っている、定見のない機会主義者」だよなぁ。 《やはり》ザビ家は許せんと《わかった》なんて、確固たる意志の持ち主の口から出る言葉じゃないよ。 twitter.com/EMBsince1982/s…