葛西伸哉 ラノベ作家(@kasai_sinya)さんの人気ツイート(いいね順)

「男がメインで女が少数のスーパー戦隊」と「女がメインで男は基本メンバー入りしないプリキュア」の両方があるのが多様性であって「戦隊もプリキュアも、どっちも男女同数。主人公やリーダーも均等に」が多様性ではないよな。
前にツイッターで、こんな訴えを目にした。 「何故衛生に厳しいはずの病院で感染者が出るのかって? それは何故プロの軍人が死ぬのかと同じだ。最前線で仕事しているからなんだよ!」
多分「サイゼで喜ぶ彼女」を反転させたものは「カップ麺で喜ぶイケメン彼氏」ではなく「デートの時彼女が近所のコンビニに買い物に行くようなすっぴんジャージで来る彼女を喜ぶ彼氏」じゃないかな。 そして「さすがにイヤ」じゃなく「それでもいい。それこそがいい」という男は一定数いる。
「本当に貧しい人はスマホ持たない、パチンコしない」「本当に善意の人はコミケの合間にはやりません」 「本当の日本人なら」 「本当のオタクなら」 「本当の女性なら」 他者の《本当》を判定できる、する権利があると考えるのは、非論理的で下品な行いじゃないかしら。
「マンガやゲームよりニュースが悪影響」みたいな揶揄はどうかと思うけど、さすがに「報道を参考にしたと思しき凶悪犯罪の、模倣しやすく効果的な手口」を詳細にテレビで読み上げるのは問題意識当事者意識が乏しすぎるんじゃないか。
『岸辺露伴は動かない』、NHKの展示で衣装の現物もデザイン画も担当者のコメントも目にしたけど、漫画のビジュアルを再現する、形を寄せるんじゃなく「デザインに込められた意図、演出が必要とする表現」に基づいて再構築してるからこその成功なんだよな。 実写『JOJO』はそこで失敗してた。
これはもう何度も言ってるけど、(非現実要素がある)漫画アニメの実写邦画でたいがい厳しいのは「衣装のコスプレ感」。 これ、デザインとか縫製とかじゃなく「着ててヨレた感」がないからコスプレっぽいのだ。
ロジハラがあるなら当然「過度の感情論で相手を追い詰めるエモハラ」もある事になるんだよな。 割と無視されるけど。
あるフィクションが描いている内容を好む事は必ずしも「実行したい」「現実に起きてほしい」を意味しない。 サメに喰われたいサメ映画マニアは多分極めて少ない。
性欲も差別心も攻撃性も、まず自分にそれが「ある」のを認めないと管理もできない。 「私のは性欲じゃない、差別じゃない」という正当化の野放しこそが危険。
ヴィーガンにせよベジタリアンにせよ、個人の思想としては尊重するけれど、それが「自然」だとか言われると、消化系にせよ代謝系にせよ歯列にせよ、ヒト種の肉体は動物を食べる方が効率的であるという事実を持ち出さざるを得ないのだよな。
「誰も傷つけない表現」「それが存在し得る」という概念は「皆が受け入れてるコレで傷つくお前は間違っている、存在すべきではない」に直結してるのよね。
男か女かという話じゃなく、世の中ってそんなに「性欲・恋愛欲求を最優先に駆動している」人間ばっかりなの? 「群れにおける互恵のメリット」だとか「自分が善良な人間だと実感できる喜び」だとか「良心の呵責」だとか、そういう動機で日々のささやかな善行ってやらないの?
おたる水族館にて。
「現実に児童買春や児童虐待をやった犯罪者」ってどの程度漫画やアニメやゲームを嗜んでたの? そういう調査ってちゃんとやってるの? 現実の子供に手を出すのは家庭・学校・宗教団体・スポーツクラブなど「他者が介入しづらい環境」での支配者・上位者という話はいろいろ聞くんだけど。
ラノベの講師してた時「江戸時代の日本人が、初めて目にするハンバーガーを食べる場面」という課題を出してたんだけど、その時に言ってたのが「トマト、レタス、肉食などについて《史実》と《大多数の読者がイメージする江戸時代》には大きな違いがある。そこで、どちらに則るかは自由」。
『チコちゃん』あたりでは未だに遺伝や進化に関して「~するためにこうなった」みたいな目的論的な表現がまかり通っているが、今Eテレの『なりきり! むーにゃん生き物学園』ではちゃんと「~という行動が何万年も繰り返された結果、この遺伝子が残った」と説明していた。
『シン・ゴジラ』って「誰かが一度通ってみる必要があった崖っぷちのエッジ」であって「大通りのど真ん中」ではないよね。
「何故日本はサメ映画(およびゾンビ映画)の一大消費地でありながら、サメ邦画は少ないのか」の話。「日本には低予算B~Z級映画のマーケットが貧弱」というのが原因であり、いわゆる「邦画つまらない問題」とも繋がってるんじゃないかしら?
ナウル共和国では「労働という概念のない世代」が現れて国の立て直しに困ったという話があるけど、「然るべき対価を払っていいものを買うと誇らしい」「パーっと散在すると気持ちいい」という『文化』が世代レベルで途絶えると、景気向上って難しいのかも知れない。
まあ『北斗の拳』の頃には、作中でどんなにゲスな事ばっかりやっていても、見た目がよくて強いと人気が出てしまい、死に際に善人ムーブをかまして死後は「偉大なる強敵(とも)」扱いで許されてたのを思えば『鬼滅』や『忍極』の倫理観は高いと言える。
昔、同業者知人が話したネタ。 「ジャズとか、渋い大人の記号として乱用されちゃってるけど、現代日本でハードボイルドな探偵キャラが独りになって聴くのが〈そいつが若い頃にヒットした他愛もないアイドルソング〉とかの方がよっぽど利くんじゃないだろうか」
そしてプリキュアが好きな男子や戦隊が好きな女子も、どっちも好きな子も両方苦手な子がいるし、いてもいいのだ。
鬱エンドの大傑作『ミスト』は「限られた情報の中で主人公が理性と良心の限りを尽くして〈主体的に下した決断〉が全て無意味だった」から効くんだよなぁ。 ただ外部の力で為す術もなく不幸になるようなのは概ねつまらない。
映画『大怪獣のあとしまつ』プロデューサーを直撃「予想以上に伝わりませんでした」 | ORICON NEWS oricon.co.jp/special/58541/… @oriconより いや、政治風刺もコメディも三角関係もデウスエクスマキナも「伝わったけど、つまんなかった」のよ。