どの犯罪という訳でなく犯罪者の「××に影響された」は『一見納得しやすい理由』ほどしっかり検証しないと「責任逃れのための言い訳」「警察が調書にまとめるための定番の《作文》」として多用されている、故に後続の模倣者が再生産されるという可能性がある。
ビートルズにせよ何にせよ「たくさんの人の心を動かしたから価値がある」論は、結果論から逆算した権威主義の浅ましさだけでなく「じゃあ少数の人間しか救わない、感動しないもの」は踏みにじっていいのかという危険性に無自覚ではないか。
多数派にとって不快な表現によってしか救われない人は救われなくていいのか。多数派と同じにならなければならないのか。自分は救われたいと叫んではいけないのか。 それもまた《魂の殺人》ではないのか。
それこそリアルタイムでは顧みられず、あるいは俗悪なものとして批判された表現が、後代に「多くの人の心を動かして高い価値を得た」例だってあるよな。 売れなくて困窮の果てに自殺した画家の作品が、今では人類の至宝扱いとか。
『沈黙の艦隊』って連載中にソ連が崩壊しちゃったのも「時代」だけど、実は今さら展開すると厳しいのが「大国・先進国のトップレベルは、それぞれ思惑や価値観は違えど理性と知性に基づいて判断している」というところではないだろうか。
明るくてテンション高めの眼鏡っ娘なんて、90年代には既に「ひとつの定番」だったよな。
「加害者の未来のために云々」という話を見ると、「罰」が相手を更生させて適切に社会復帰させるためではなく「加害者を苦しめ、未来を奪うためのもの」という認識が広まってるのを痛感する。
というか、こういう「起こりうるバグ、不具合」を想定して洗い出し、対策を考えるのが知性だよなぁ。 感情論のぶつけ合いじゃなくて。 twitter.com/inoken0315/sta…
「同性愛者のキャラは同性愛者が演じるべき」は「じゃあ異性愛者を同性愛者や両性愛者、無性愛者が演じるのも《同じロジックで》アウトだよね」になって、かえってマイノリティのチャンスを奪う事になるし「仕事を得るためのアウティング圧力」という問題も引き起こさないか?
これ、ルパンは「大切な人のために頑張る、攻める側」でパトレンは「社会のために働く、守る側」だから、子供が前者に感情移入しやすくて大人が後者に肩入れするのは自然な帰結だったんだよなぁ。 twitter.com/koto_30ban/sta…
これ、マスメディア側が「我々の過去のやり方が間違ったモデルケースになってしまった」「それを反省し、自己批判し、今後は改める」という表明は必要だよな。 その上で「ネットリンチは無意味で逆効果で弊害が大きい」と訴えるべき。 twitter.com/adachi_hiro/st…
日本で、特殊な能力者を育てる学校で、多分最もポピュラーな原作は『忍たま』。 twitter.com/m_nsc/status/1…
何度か言ってるけど、全国区マスメディアの社員や中央省庁の官僚が「首都圏都市部ホワイトカラー」の常識しか知らない人に占められる事による《日本全体》への解像度の低さというのは結構デカい問題なんじゃないだろうか。 twitter.com/moritakisetsu/…
アニメにおける人型機動兵器の扱い。 実は結構賢いのが「何故人型なのか」「どういうメリットがあるのか」とか一切説明せず、いきなり空戦も海戦もMSでやった『ガンダムW』じゃないだろうか。 下手に理由をつけてボロを出さない、問答無用。
『タローマン』関係、好きか嫌いかで言えば好きだし、面白がっているけれど「野暮になっても構わないので、引くべき一線をちゃんと引こうよ」と思う。 知らんぷりをするのが粋、という文脈は現代では危険すぎる。
戦隊は子供向けだから、このあたりかなりデリケート。 『チェンジマン』では終盤敵の一員だった元宇宙海賊が義をなして死ぬのだけど、彼の死を悼む主人公たちの言葉は「平和な宇宙だったら、彼も宇宙海賊なんかにならずにいられたんだ」。 twitter.com/224_miyano/sta…
主人公たちがズバリ海賊の『ゴーカイジャー』では、第一話で手持ちの宝石を売って地球の通貨を入手し、その金でカレーを食う描写がある。 「悪の帝国に逆らう海賊だけど、地球人から奪ったりはしない」というのをしっかり見せてる訳だ。
実はとてつもなく画期的なのは「由来がなくてルールだけがある」事じゃないかな。 アレ以前の《超能力》は既存の(疑似)科学やオカルトや伝説などを説得力の箔づけにしていた。時には神話を自作したり(『風小次』の聖剣とか)。 スタンドには何もない。 twitter.com/shin_akagi/sta…
二世漫画だと ・先代主人公を超えられない。 ・逆に先代主人公が駄目な大人になってる。 ・先代の焼き直しに終わってしまう。 などがありがちな問題なんだけど『K2』はそのあたりを上手くクリアしてるんだな。
これ、最初の『ゴジラ』が戦争・核の恐怖をキャラクターに託したものだったのに「怪獣」というカテゴリが定型化したせいで忘れられてたのを、現代的に翻訳したとも言える。 twitter.com/BATI_NIGHTCAP/…
『岸辺露伴は動かない』、NHKの展示で衣装の現物もデザイン画も担当者のコメントも目にしたけど、漫画のビジュアルを再現する、形を寄せるんじゃなく「デザインに込められた意図、演出が必要とする表現」に基づいて再構築してるからこその成功なんだよな。 実写『JOJO』はそこで失敗してた。
例えば「露伴は機能性合理性よりも美意識を優先する」というところから、レザーのトレーニングウェアとか。
で、レザーという素材の質感なんかは、まさしく「漫画に対して、現物そのものを使える実写映画のアドバンテージ」なんだ。
予断だけど、間近で見て興味深かったのは「衣装の作りは意外に荒い」という事。 露伴の服の「穴」なんか単に切り抜いてあるだけで糸のほつれとかあった。 トラブったら修繕すればいいだろうし、実用の衣服とは思想が違うんだな。
これもまあ好みの話なんだが。 メディアコンバートの巧拙を「原作愛の有無」みたいな話にするのはどうよと思う。 愛なんぞなくてもプロとしての責任感と能力があればクリアできる問題なので。