根本的な問題は「AIに仕事を奪われる」事ではない。 「人間の労働力を必要としない方向に進んでいるのに、個々人は仕事しないと食えない社会」のままである事ではないか?
その結果「とりあえず人間でさえあればほぼ誰でも構わんと誤認されてる仕事、自動化機械化が難しくてコストに見合わない仕事」において、人間のダンピングがひたすら進行する。
個人事業主との契約だから雇用じゃなく、従業員としての福祉を考慮しなくていい。 登記はタックスヘイブンだから法人税その他は払わない。 そういう「技術」ばかりが当たり前になっている。
この期に及んで「いわゆる左派」がふがいない……というよりは共産陣営の崩壊という「対抗場の喪失」が資本主義を傲慢で無慈悲な方向に進化させちゃったんだろうな。 安易な自己責任論がまかり通って、労働者の権利と尊厳を守る圧力が小さすぎる。
これも何度かネタにしているが。 ネアンデルタール人や縄文人どころかティラノサウルスやトリケラトプスにも「怪我をして当座役に立たない状態から長く生きた個体」の骨や化石がいくつも発見されている。 「労働力にならない奴は無価値」こそが、近現代の特殊な偏見なのではないか。
ティラノが負傷した群れの仲間をケアして生き残らせる事。 ゴリラやライオンが子殺しする事。 どっちもただの「適応的な行動」なんだよな。
野生や自然に対して、人間的なイメージをなすりつけて「厳しい」というのも「優しい」というのも、恐らくはどちらも間違っている。
ついでに「間違わない、合理的」というのも恐らくは間違っている。 進化論的なスケールの不合理やミスは個体の生活レベルでは認識しづらいだけだろう。
同業者先輩によく言われた話。 「設定や考証の甘さ雑さが気になるのは、キャラやプロットの引力が弱いから、そのあたりに視線が向く」 「よく考えたらおかしい話でも、読んでる間観ている間に《よく考える暇》を与えなければ勝ちだ」 twitter.com/CRwVUTh6Xjn2eG…
先に指摘してた人がいるけど「犯罪やトラブルに関与した人が参加した作品は封印する」だと、共演者などには「自分の仕事を守るために、犯罪の隠蔽に協力する」という動機が生じるからマズいんだよな。 「以後、新規の仕事はナシ」と「過去作の封殺」は切り離さないと。
『性的な表現』や、他人を一方的に性的対象と見る態度を批判する人が、敵対者を罵倒・揶揄する時に「童貞」「モテない」みたいな「性的な経験が人間の価値を決める」ど真ん中の言葉を使うのは支離滅裂ではないだろうか。
ものすごく即物的というか身も蓋もない話として「否定し、禁じられると、それによって権威を持つ」という側面もある。 無駄に持ち上げられているセブン12話とか、「教科書が教えない」系の売り文句とか。 「上映中止、出版停止」というのは実は利敵行為なんだよ。
これ、裏返せば「創作・フィクション受容以外の趣味や経験が乏しい奴」は手札が根本的に少ないという話でもある。 「アイドルアニメが好きな奴」と「アイドルのおっかけやってる奴」では情報量や解像度や体験したディテールに差が出てしまう。 twitter.com/ichiro_sakaki/…
何度も言ってる「マジンガーZは怪獣ブームの一部」もそうだけど「ダイモスはブルース・リーとスーパーカーブーム、トラック野郎のヒットありき」だし、家庭用ゲーム機文脈なしに『ワタル』の話をしようとしても無理。
ロボットアニメ史を「ロボットアニメ」の流れだけで見ているとわからない事が「メカアニメ」とか「アニメ全般」とか「特撮・人形劇含むテレビまんが全般」とか「映画や一般ドラマ含むメディアフィクション全般」とかで見えてくるケースは、まあある。
タローマン、自分が「たまたま」特撮をかじってるし、世代でもあるから即座によくできた冗談だとわかるんだけど、疎いジャンルで同じクオリティ同じ手法で「過去の捏造」をやられたら気づける自信はない。
それどころか、例えば「80年代にガーナで作られた番組」みたいな、素人には裏取り自体が難しいネタをやられて、しかもそれがセンシティブなもの(差別や偏見を煽ったりとか)だったら?
モキュメンタリー的な手法においては無様であっても、ちゃんとネタばらしする責任があるのが現代ではないのか? 野暮を責めない、嘆かない、嗤わない方が「より成熟した粋」という時代。
むしろ「フィクションだと明記されているのを承知の上で、許される場では一端それを棚上げして《事実だったフリ》を楽しめる」粋というべきか。 ネタばらしされた程度で《事実だったフリ》を止めるのが野暮なのだ。
「常識で考えればわかる」というのは「自分の常識」が万人に共有されている、自分が知らない「他人の常識」は存在しないという多様性の見過ごしであり、油断だ。
ホント、SFだのガンダムだのの「うるさがたマニア」に必要なのは「つまらない、出来の悪い、肌に合わない××」を「あんなの××じゃない」ではなく「駄目な××」として直視し、受容する事だよなぁ。 サメ映画やゾンビ映画のマニアを見習ってほしい。
仮に「水星の魔女見たけどなんかノレない。ガンダムって何から見たらいいの?」という人が実在してたとしたら、まず訊ねるべきは「何でその質問をするの? 別にガンダムを見るのは義務でも基礎教養でもないよ」という話ではないだろうか。 ひょっとしたらロボアニメがそもそも肌に合わん可能性。
『ガンダム』、既に「一年戦争でガンダムタイプがボロボロ実戦投入されてた」みたいに「第一作の描写」を否定するようなのが《公式設定》《常識》になってるからなぁ。
「富野監督の宇宙世紀のみが正史!」と息巻いても、その先に「1作目の完璧な大団円を踏みにじって商業的要請に屈したZ以後などクソ」とか「TV版と劇場三部作はパラレル?」とか「Zや新訳で登場したMSVや0083要素はどうする」とか「本質が最も出てるのは小説版」とかの泥沼が。
『ガンダム』一作目で「宇宙移民のプロセス」「連邦の政治機構」「開戦の直接の原因」などに触れなくても(というか巧妙にブラックボックスにぶち込んであるのも)「アムロという、それらには興味のない少年」が主人公兼視点人物だから、それが最適な表現という事。