「こまけえ事はいいんだよ!」じゃねえよ。 こっちは「こまけえ事がいいんだよ!」なんだよ。 そっちはそっちで勝手にやってくれ。こっちは別にそっちの在り方を否定や批判してる訳じゃねえ。
基本的な話として ・変身にポーズとかけ声が必要な理由 ・敵がひとりずつ攻めてくる理由 とか、ある程度力がある創作者なら「設定」の5個や6個は難なくひねり出せる。 →
→ けどそれが「ジャンルのお約束にツッコませないための言い訳」(マイナスの軽減、巧くいって0点)ではなく「その設定だからこその魅力」(プラスの獲得)に持っていくのは難しいのだ。 →
→ それこそ特撮本丸の例だけど、『クウガ』では「グロンギがひとりずつしか行動しない理由」が作品の柱のひとつであり、作品のカラーを過去の同ジャンルから一変させる源になっている。
だから「現実世界の問題について啓発する表現」と「娯楽フィクション」は別というのは(男女問わず)はっきり訴えていかなきゃならんのよ。 少女漫画も美少女漫画もBLも「現実の性愛での振る舞いを教える教科書」じゃない。 twitter.com/miruna/status/…
「男性の方が察して積極的に行動してほしい、するべき」というのは『女性が恋愛性愛に積極的、主体的であるのははしたない事である。リードされる側として振る舞った方が評価される』という事でもあり、旧弊として駆逐された方がいい恋愛作法じゃないかなぁ。
元々死を覚悟して行うテロに対して厳罰化は一切効果がないし、抑制には逆効果ですらあるのよな。 テロを防ぐ第一の手段は「テロを起こす必要がない対話の回路」を結ぶ事。
選挙万能思想で「政権取った多数派は何やってもいい。少数派は無視していいゴミ、あるいは排除すべき敵」という態度が蔓延すると選挙が《有権者との対話》として機能しないので、テロを起こす動機は強まるんじゃないだろうか。
ジョジョの受容史。 黄金時代のジャンプで根強い人気があった→多くの影響を残した→影響があまりに普及しすぎ&作品の長期化で「今さら人気を云々する必要がない、空気や水やガンダム」のレベルになった→その後、アニメ化されて「水だと思ってた人」が初めて原液に触れた。 こういう事かも。
内閣府 啓発用ポスター ほかの作品と類似で使用取りやめ | NHK www3.nhk.or.jp/news/html/2023… この件で、最初に寄せられた「問題点」が何だったのかが有耶無耶にされるのは望ましくないな。 それはそれこれはこれで、抗議の妥当性は検証されるべき。
興味深い話だけど「母集団が、そもそも映画を観ない」という可能性を考慮する必要があるな。 「映画を観ないから当然シンも観ない」と「映画はよく観るけどシンは対象外」では意味が違う。 twitter.com/morito_0000/st…
一文字ジャージでライダーファンが反応してしまう事態。 「お前の言ってる三日月って刀剣男子? 艦娘? それとも鉄華団の?」というのもかつてあったよな。 更には前世紀の「お前が好きなさくらってどのさくら?」
タイトルやコンセプトに「オタク」を掲げてるアニメを2本立て続けに見ると「いわゆるオタク的なアイコンをてんこ盛りにする」のと「登場人物が実際に何が好きでどう楽しんでいるかを描く」の差を痛感するなぁ。
>>「主人公はやりたい事を早く提示しろ」 主人公に〈できる事〉は山ほど提示されるけど〈やりたい事〉〈やらねばならない事〉が提示されないまま目先の課題の解決だけでサクサク進むタイプの話に興味が持てないのは、多分こういう話かな。 twitter.com/chogo2009/stat…
鬱エンドの大傑作『ミスト』は「限られた情報の中で主人公が理性と良心の限りを尽くして〈主体的に下した決断〉が全て無意味だった」から効くんだよなぁ。 ただ外部の力で為す術もなく不幸になるようなのは概ねつまらない。
できる事は全部やった。その時々で最良と思われる判断を下したし、それは倫理に適ったものだった。 だけど「前提となる情報」が不充分だったから、結果的に最大の悲劇になった。 主人公が無力だったり無為だったり間違ったりした訳じゃない。
私が「作品に魂がこもってない」だの「ロボットアニメの魂」だのという言い方に否定的なのは『第三者に測定できない、客観的判定が不可能な要素によって、相手を無条件かつ絶対的に否定できる』道だからである。 「有色人種には魂がない」「女性には魂がない」
これも何度か言ってるが『約束のネバーランド』が始まった時のジャンプ、同期の新連載も含めて3本が「大人社会はクソであり子供を支配抑圧搾取してるから立ち向かえ」だったんだよな。 twitter.com/ShinHori1/stat…
「管理・支配は絶対の悪であり、それに反抗するのは無条件に正しい」みたいな無邪気さは減ったけど「抑圧に立ち向かう物語」自体は別に滅んでないんじゃないかなぁ。
これはもう何度も言ってるけど、(非現実要素がある)漫画アニメの実写邦画でたいがい厳しいのは「衣装のコスプレ感」。 これ、デザインとか縫製とかじゃなく「着ててヨレた感」がないからコスプレっぽいのだ。
『DEATH NOTE』って原作のアレンジや再現の配分が上手いってのもあるけど、衣装は「普通の現代劇」でよかったのもプラスに作用してるんじゃないかなぁ。
これは特異な少数例だろうけど、65年生まれのリアルタイム子供として少年ライダー隊に感じた不愉快さは子供騙し以上に「田舎者の疎外感」なんだよなぁ。 自分はどうあっても出演・参加できないのだという壁の常態化。
「富野監督のシャア」って執念深い復讐鬼じゃなく「才覚が有り余っている、定見のない機会主義者」だよなぁ。 《やはり》ザビ家は許せんと《わかった》なんて、確固たる意志の持ち主の口から出る言葉じゃないよ。 twitter.com/EMBsince1982/s…
そういや『星矢ビギニング』ってあれだけスクリーン数抑えてるのに入場者特典とかはやってないんだな。 その点でも、いささか仕掛け方がチグハグなんじゃないだろうか。 「車田正美描き下ろしビギニング版聖衣ポストカード」とか配ればよかったのに。
惚れた腫れただの権力の奪い合いはガキでもやらかすけど「社会に対する(職業人としての)責任」はまさしく大人の領分だから『シン・ゴジラ』の切り口は適切だし、好評だったのよな。 twitter.com/suna_kago/stat…