煉獄さんの「うまい!うまい!」ってギャグっぽいけど「彼は思った事を何でもすぐ口にしてしまう人間である」という表現であり、それによって敵である猗窩座との対話がスムーズになってるという演出の流れなんだよな。
来たぜ。
やはり今のうちに、各地方の人が「私が体験した80年代オタク事情」を何らかのかたちでは残さないとなぁ。 東京史観だけに塗りつぶされてはアカンのだ。
『ダーウィンが来た!』や『おかあさんといっしょ』が劇場版になっているので、やはり望まれるのは『劇場版ピタゴラスイッチ』だな。 大スクリーンで展開する2時間の超大作ピタゴラ装置。
ナチスを「狂気」と表現するとき、重要なのは「あいつらは狂ったから特別だ」ではなく「我々もまた、たやすく狂いうるものなのだ」という認識ではなかろうか。 twitter.com/tanosensei/sta…
ヴィーガンにせよベジタリアンにせよ、個人の思想としては尊重するけれど、それが「自然」だとか言われると、消化系にせよ代謝系にせよ歯列にせよ、ヒト種の肉体は動物を食べる方が効率的であるという事実を持ち出さざるを得ないのだよな。
若者のライトノベル離れ。 数年前から某社担当さんとの間では「ブームとして強く見えるなろう系の(不遇社畜の)異世界転生無双系」と「実は中高生にリーチしてる現代学園ラブコメ」の乖離という話は何度も出てるんだよなぁ。
ウルトラ側から見ると、地球というのは実に厄介な惑星で。 *自分たちは滞在時間制限がある(他の宇宙人は平気) *他の惑星の「生物兵器」レベルの怪獣が天然で、多種多様多数生息している。 *惑星破壊兵器を作れる、けど恒星間航行はできずないので宇宙のルールをよく理解してない種族がいる。
ワシは現状「共産主義は素晴らしい理想ではあるが、それが実行できるほど個々のヒトが善良で理性的ならば、そもそも共産主義は必要ではなかった」という立場なのだが、ひょっとしたら同じ事は「民主主義」についても言えてしまうかも知れないと思い当たってしまった。
90年代のヒット漫画を今からアニメ化。 確かに有効なアプローチではあるんだが「現代物」が「時代劇」になってしまう齟齬をどうするかという問題はあるんだよな。 概ね今に近いテクノロジーが普及していながら「携帯電話」だけが欠けている(=日常の習慣や規範が全然違う)という時代。
「反則を使わないと勝負にならないチーム」は競技全体の敵である。 twitter.com/comv3ysysy/sta…
「同性愛者は実在するんだから、特別な理由なしにフィクション内に登場してもいい、するべきだ」という主張は『同性愛者』を『巨乳の美女』に置き換えても全くその通りになるんだよな。
「なんで怒ってるのか、わかる?」ってのは「怒りという感情」を用いた典型的なエモハラだよな。 多くの場合、それが職場や家庭内の関係性にも起因するからパワハラ「でも」あるだけで。
むしろ現状最も横行してるのではないか。 「私が傷ついた。不快に思った。その事について私の側には一切責任や原因がない。感情は神聖にして無謬であり、補償不可能である。お前は謝罪し、全面的に私に屈しなければならない」というエモハラ。
ロジハラがあるなら当然「過度の感情論で相手を追い詰めるエモハラ」もある事になるんだよな。 割と無視されるけど。
講義で言ってた話。 「いわゆる萌え属性の多くは、既にある概念に名前がついただけである。イザナミ、娘道成寺、八百屋お七は日本3大ヤンデレだ」 → twitter.com/utakuochi/stat…
思えば、日本が「アニメもグローバル化しなきゃ」とかほざいて、その「グローバル」が実質アメリカでしかなくて空振りしてる時に、当のアメリカのディズニーは中国市場に色目使ってボタン掛け違えて大問題起こしてる訳か。
昔、同業者知人が話したネタ。 「ジャズとか、渋い大人の記号として乱用されちゃってるけど、現代日本でハードボイルドな探偵キャラが独りになって聴くのが〈そいつが若い頃にヒットした他愛もないアイドルソング〉とかの方がよっぽど利くんじゃないだろうか」
#出版物の総額表示義務化に反対します 恐ろしい点のひとつは「税率を下げます」という多くの人が喜ぶ決定によって大量の絶版本、版元の倒産を誘発できるんだよな。当然それは印刷製本など様々な周辺にも及ぶ。 日本の出版文化と産業を滅ぼす気なのか?
今の「萌え絵」と呼ばれているものが、直系としてもざっと40年位前の「メジャー少年誌へのラブコメ&オタク世代作家の大量参入」から脈々と続いてきた文化のひとつの表出と認識している人と「ここ数年で急に地底から吹き出してきた気持ち悪い突然変異」と思ってる人の断絶は、多分ある。
そして一種の折衷案として出たのが、セーラージュピターの「長身」という「当人にはコンプレックスにもなるけど、うさぎから見れば素敵な身体的特徴」。
確か「フィギュア王」のインタビューだったか。 『セーラームーン』企画時に担当編集から「これはいわば戦隊なんだから、ひとりは三枚目のデブとか混ぜた方がいいんじゃないか?」という意見が出たが、武内直子は「少女マンガはみんな綺麗でかわいい方がいい」と突っぱねたのだとか。
そしてプリキュアが好きな男子や戦隊が好きな女子も、どっちも好きな子も両方苦手な子がいるし、いてもいいのだ。
「男がメインで女が少数のスーパー戦隊」と「女がメインで男は基本メンバー入りしないプリキュア」の両方があるのが多様性であって「戦隊もプリキュアも、どっちも男女同数。主人公やリーダーも均等に」が多様性ではないよな。
『チコちゃん』あたりでは未だに遺伝や進化に関して「~するためにこうなった」みたいな目的論的な表現がまかり通っているが、今Eテレの『なりきり! むーにゃん生き物学園』ではちゃんと「~という行動が何万年も繰り返された結果、この遺伝子が残った」と説明していた。