ティラノやトリケラにも「重症負ったがその後回復して長生きした痕跡が認められる=おそらくは動きが不自由な間、仲間の支援を受けていた」化石がある。 twitter.com/Simon_Sin/stat…
「女性がエロティックなものを楽しんではいけない」も「楽しまねばならない」も間違ってて「楽しみたい人は楽しんでもいい。そのための環境を妨げない」なんだよな。
それこそ子供番組である『ルパパト』や『プリチャン』では既に「カッコいい女性である自分が、かわいくファンシーなものを好むのは恥ずかしい」というのを「それもまた個性であり、個人の価値観であり、他者がどうこうすべきものではない」と乗り越えるエピソードが描かれてるんだよなぁ。
戦隊ライダーウルトラプリキュアなどについて「××な作品、キャラ、エピソードがあってもいいよね」と門外漢が求める時、たいがい既に実例がある。
「誰も傷つけない表現」「それが存在し得る」という概念は「皆が受け入れてるコレで傷つくお前は間違っている、存在すべきではない」に直結してるのよね。
一般原則として。 愛とかリスペクトとかが一切ない「悪意と揶揄だけのパロディ」も否定されるべきものではない。 原著作権者との法的闘争とか、商品としてのリスクマネジメントとかはまた別の話。 そこに戦略と覚悟と勝算がないなら最初から避けた方がいいわな。
今、広い意味でのオタク文化・産業が受け入れられているのは好ましい事だけど、70~80年代に「こういう趣味は恥ずかしい事じゃない」という立場を得るための『理論武装』や『闘争』が必要とされてたし、実際にあったという事も忘れちゃいかんわな。過度に美化する必要もないけど。
「多様性が大切」というのは何も道徳とか綺麗事じゃなくて「均質な集団はたったひとつの毒・疫病・デマ」で壊滅するからなんだよな。 「現状に最適化」を極めると不測の事態への対応力はゼロに近づく。
ある時代の若者が主張した「社会の歯車になりたくない」というのは、実は「必要不可欠な部品でないモノも存在できるのが豊かさなのだ」という事なんだよな。 「有用な歯車でない奴は無価値」という世界は貧しい。
「いじめはいじめられる側にも理由がある」というタイプの言説は「理由」という言葉を「動機」「論拠」「正当性」「必然性」などの概念を区別せずに雑に扱ってるんじゃないか。 「加害側がそうしたくなる動機」は「それを実行しても構わない正当性」じゃない。
何度か指摘してるけど「テロによる死者が出た五輪」でさえも「失敗」とは見なされていないんだよな。 どんな理由でどれほどの犠牲があっても、中止中断以外は「開催を望む側」は「成功」と見なす。失敗と成功の定義が事前になされていないから。
「親の本棚」もだけど、少子化ってのは「兄や姉の本棚資産」に触れないという事でもあるのだよなぁ。 物心ついた後に「ちょっと上の年齢向け」にコンタクトできたありがたみ。
死亡フラグもそうだが、ディザスタームービーに登場する「国や地球が破滅しそうな時にも金や名声の事しか考えてない政治家や経営者」が実はリアルな存在だとわかってしまったのがなぁ……。 twitter.com/ray_fyk/status…
もう偏見で言っちゃうけどさ。 SFでもロボットアニメでも特撮でもその他でも「偏狭さを純粋さと勘違いしてる人」ほど「我こそはジャンルの正しさの守護者なり」と思って「個人」としてではなく「ジャンルの看板」掲げて排他的な事を言いがちなんだよな。
コミケやSF大会の「感染拡大を見据えた対応の早さ」を目にすると都や国や五輪関係の「どうにかしてギリギリまで芽を残したい」という未練がましさ、決断の遅さという「現場感の不足」が気になってしまう。
テムはアムロの写真を見ながら「ガンダムがあれば若者が実戦に出ずとも戦争は終わる」と言ってるのよね。 むしろ「ガンダムに乗せたくない人」なんだ。それが酸素欠乏症でああなる。 子供をロボットで戦わせるなんて異常という事なのよね。 twitter.com/tori_555/statu…
暗黒時代の「暗黒」というのは別に絶望とか悲惨とかじゃなく「資料がなくてわからない」というだけ、という話。 今さら気づいたが「暗黒」の字面的な対義語は「明白」なんだな。
差別に関しては「ヒトは放っておくと差別する性質がある。かつては個体や集団の存続のためにそれが適応的だったが移動力や情報発信受信力の拡大、知識の蓄積などによって、既にその性質は弊害の方が大きい」という前提に立って差別を抑制し、発生した害を軽減・補償するしかないんじゃないかな。
セクハラ防止研修で「貴方の娘にしちゃダメな事は部下や同僚にしてもダメ」と言われても理解できなかったのに「上司や取引先社長の娘」と言ったら理解して青ざめたおっさんの話を連想してしまう。 twitter.com/m_tobermory/st…
ワシが一時期「SF界隈」に対して抱いていて、今でも完全には拭い去れない違和感と嫌悪感の理由は明文化されないムラのオキテや感覚論で「あれはSFじゃない」と言いつつ、SFムラの同胞や気に入ったモノについては「これもSF」と扱うような態度なんだよな。
何故、今『ポリコレ』を掲げる人の多くは「これを追加せよ」ではなく「これを取り下げよ、削って入れ替えろ」を要求するのだろうか。
これも何度か言ってる話だけど、実は作品の実像から遊離した「熱血スーパーロボットアニメ」のイメージは『ガンダム』がもてはやされた後で「逆算して仮想的に構築された幻想」だと思ってる。
江戸時代とか「遊郭は別に悲惨じゃない」ではなくて「もっと悲惨な境遇があちこちにあった」だけなんだよな。 身売りしてちゃんと飯食えるようになったから餓死よりよかった、は讃えるような話じゃない。
以前知人が指摘してたのだが、あの頃世に溢れた「綾波的なもの」のほとんどは実は「ルリルリ的なもの」であった。 twitter.com/hatz0_0show/st…
SNSによって「世の中、どんな胡散臭いデタラメでも本気で信じる奴はいる」というのが可視化されてしまったので「事実や本心と誤認されたらヤバい不謹慎なジョーク」を飛ばすのには慎重にならざるを得なくなった。