すずもと(@aruto250)さんの人気ツイート(リツイート順)

201
「不寛容に不寛容でなければならない」というたったひとつの小さな穴から、ありとあらゆる汚泥が流れ込んで広がっている。「寛容」というお題目を掲げることが、そのお題目を掲げる人間の倫理性を何ら保証しなくなってしまっていることに、当のお題目を掲げている人間だけが気付いていない。
202
「オタクはなろうとしてなるものではなく、止めようとして止められるものではない」という話と一体の「オタクは続けようとして続けられるものではない」という話。男女問わず、若いうちは「この熱狂があるから一人でも平気」と思えども、その熱狂が死ぬまで続くとは限らない。 togetter.com/li/1631469
203
むろんそれは選択の余地なく弱者である人を救うためのものではあるのだけど、弱者でない人も弱者として振る舞う方が有利になるので弱者として振る舞うし、また弱者へ共感や同情を寄せることが「正しいこと」とされたことと合わさって「弱者の立場で物事に向き合うこと」は現代の道徳やマナーとなった。
204
Twitterでもよく「団塊」という言葉が今の60代や50代を指すのに使われてしまっている(1960年や70年生まれは団塊世代ではない)のを目にするけど、ここ最近は明らかに80年代的デザインや文化を指して「90年代」と言ったり90年代を指して「昭和」と言ったりしているのを見掛けて世代観の溶解を感じる。
205
少なくとも男性と意見が対立した際に率先して折れることは認められるまい。理由なく折れるのは論外として、合理的に検討した結果折れるとしても「女性はやっぱり誤っているのだという偏見を助長する」わけで難しい匙加減が要求される。女性の示唆で誤りに気付いた男性が率先して折れる、辺りが無難か。
206
バブル以後の日本がずっとそうだったでしょう。「今こそ真に能力主義に変わるべきだ」と言って、上手くいかないのをずっと「能力主義が徹底されていないからだ、評価方法が不適切だからだ」と言われて騙され続け、「より適切な評価方法」に改められるたびに報われる人が少なくなっていったわけで。
207
「リベラルな人々こそがルッキズムを振り回している」という話、彼らの中で「リベラル」であることが単なる覇権争いの方便に堕している(その上で自らの優位に驕っている)ことの表れとは思うけれど、同時に彼らは無造作にルッキズムを振り回せる程度には実際に見目が美しいのだろうなとも思う。
208
この数日話題になってた「20歳以上の年齢層でも(中略)男性では40%近くが『交際経験なし』だった」ってやつはまさに社会のショーウィンドウ化によるものだと思うんだよな。もはや男にとって女性とは、「リスクが高く、自分の尊厳を傷つけるもの」でしかなくなりつつある。 nippon.com/ja/japan-data/…
209
話題沸騰の「ポテサラおじさん」も「遊び歩いて子供を餓死させる女」も、我々の社会が他人の育児に口を出すことをタブーにしてしまったことに追従できなかった人間なんですよ。我々がそういう方向に社会の舵を切ったことで振り落されてしまった人々を、我々は嘲笑したり叩いたりしているわけです。
210
「幸せそうという理由で私たちを殺さないで」も徐々に本気で主張している人が出てきてムーブメントに繋げたいという思惑を感じるのだけど、このフレーズから強烈に伝わる「おまえの不幸の原因は全ておまえにある」という主張からは他人の不遇に対する後ろめたさや責任感が微塵も感じられないのだよな。
211
よくある手法は、表現に「強い女」を用いる、というやつだよな。気の強そうな、主張の激しそうな、大半の男性が喜ぶよりも怯んでしまうと思える女性を用いて表現する。でなければ現実の(そこまで強くない)女性と同水準になるまで隙を無くして性的な視線に対する拒絶感を出すか。大体この2択になる。
212
ボスのヒヒが若いオスの挑戦を受けたとする。しかしその勝敗の鍵はメスの集団がどちらのオスに肩入れするかにかかっているし、勝った方のオスがメス達の気に入らなければオス同士の争いでボスを倒してもボスの座につけないのだという。表面上はオスがメス達を支配しているように見えるが逆なのだな。
213
「ただ『おはよう』と言い合いたいだけなのに」ではえらく謙虚な要求に見えるが、「ただ『おはよう』と言い合うだけで幸せな気分になれるような相手が欲しいだけなのに」と正しく言い直せばそれがどれほど困難な要求なのかが分かる。 欲求の言語化は正確にした方が自分のためにも良さそうに思える。
214
吉野家の幹部の失言は品がないし(業界の慣用表現だとしてもそれがどう受け止められるか考え足りないという点で)脇が甘すぎると思うけれど、それで更迭というのは違うと思うのだよな。実際に若い女性を薬漬けにしたわけでも、それをしたいと表明したわけでもない。ただ比喩が不適切だっただけで。
215
「不適切な発言で会社に損害を与えたから解雇」なら分かるが「不適切な発言をしたから解雇」というのは気に入らない。「本日以降、当社と同氏との間には一切の契約関係はございません」という一文は、問題の人物をできるだけ強く蹴飛ばす反作用で少しでも浮き上がろうという経営陣の必死さを感じるな。
216
それにしても、「WTに参加した多くの方が心身ともに苦しめられた」という物言いは、いったいWTというものに何を期待していたのか。「おぞましいものを排除するためなら議論を尽くし境界をはっきりさせるなどという手続きを遵守する必要はない」という価値観の一致を確かめ合い結束を高める儀式か。
217
エビデンスは全て無視し、自分の意見をbenevolent sexismと指摘した表現にだけ飛び付いて「これでは『話にならない』ので以後関連議論はしない」と切り捨てて議論を回避する態度は、本当に本当に本当に、予想通り過ぎてガッカリするとしか言いようがないが、これが現代の「社会学」の姿なのだろうな。 twitter.com/SeanKy_/status…
218
「自分なんかが外見に気を使っても仕方ない」という意識で身動きが取れなくなっている男性は少なくないのではないかな。美容室へ行くことやオシャレな服を買うことに原因不明の強い抵抗感があるのは、恐らく「そんなことより先に取り組むべき問題(男性間競争)がある」という無意識の叫びだろう。
219
またその副作用として、「強者然とする強者」がすっかり食い荒らされ、あるいはそれを察して身を隠すようになり「強力なリーダー」というものが不足するようになってしまった。それは弱者・被害者のフレームに慣らされた我々には良いことのようにしか思えないが、そのために社会はだいぶ傾きつつある。
220
「現金の入った給料袋をドンと置く姿に夫の威厳を保つ効果があった」という話を「そんなことで威厳が変わるわけがない。情けないのは本人の問題だ」とバカにするような人の中にも「クレジットカードはお金を使っている実感がないのでつい使いすぎてしまう」という警句に同意する人は少なくないのでは。 twitter.com/Sapiensism/sta…
221
失言を撤回した元総理に対して「撤回したからといって許されると思うな」という批判が集中していた。そしてまた、男性を集めて女性に対し反省の意を示させるイベントにも「反省したくらいで許されると思うな」という批判が集まっている。 この「許さない」というのがキャンセルカルチャーなのだよな。
222
「男は塹壕を掘って戦い女性を守れ。女性は戦えないが出産できるのだから」という旨の発言に対し「なら女性は守ってもらう対価として産み育てろ」という発言を見たが、女性は守ってもらうことに対価を払う必要などないのだよな。理由はこの写真の通り。「女性を奪われたくなければ男は戦え」なのだ。
223
もうそうなってしまうと、記事でも触れているように、法律の専門家でも表現の専門家でもない、ビジネス上のリスクを恐れる金融機関の担当者という、クレームや世論に非常に脆弱な立場の人間が、流通してよい表現とそうでない(キャンセルされるべき)表現を決めることになってしまう。
224
これは何度か言っているけど、人間によく似ているが違う物を見ると感じる恐怖は、ホモ・サピエンスと中途半端に近縁な種との交雑を避けるためだったと思っている。充分に近縁なら健康な子が生まれるし、遠い種なら子は産まれない。しかし中途半端に近いとライガーのように次世代が不妊になってしまう。 twitter.com/ZplusC1Bst/sta…
225
Twitterやfacebookがトランプの発言を制限するのも、企業がトランプ支持者と判明した従業員を解雇するのも、大学が共和党支持者と判明した学者をパージするのも、それぞれが自分の権能の及ぶ範囲で素朴に「正義」をなす人々による草の根運動なのだよな。それが米国の随所にあってトランプを倒した。