すずもと(@aruto250)さんの人気ツイート(古い順)

176
映画を観ながら無惨様の「いつまでもエヴァに拘っていないで結婚して子供を育てて暮らせば良いだろう 殆どの人間がそうしている 何故お前たちはそうしない?」「ファンの相手は疲れた いい加減終わりにしたいのは私の方だ」みたいなコラが頭をよぎって仕方なかった。監督はエヴァに飽いている。
177
貞本版エヴァでも思ったが、「終わらせるために終わらせた」という印象の作品だった。「(旧エヴァの二の舞にせず)最低限の義理を通すために終わらせた」感があり、シン・ゴジラとかシン・ウルトラマンの路線に移行したい監督がエヴァを清算したかったのかなと思わせる、手切れ金みたいな作品だった。
178
登場人物たちが事前に「いいかみんな、今日でエヴァを終わらせるぞ!」「応!」と示し合わせたかのように息を合わせて風呂敷を畳む畳む。そして出てくる結婚と子供と生活の大事さを伝えるメッセージなのだが、そりゃ監督は結婚できたからいいけど、それがかなわなかったファンは辛いだけでしょこれ…。
179
そして旧エヴァでは庵野監督がシンジ君になっていたけれど、今回は完全にゲンドウが監督ですね。自分はこんなダメ人間だったけど理想の伴侶が突然降ってきて幸せになりました、って、そんな監督の幸運な人生を作品に仮託して語られてもどうしたらいいのか。カルト作品の完結編でしていい仕打ちなのか。
180
「日本アカデミー賞はアニメが日本全国の映画館を救ったのにアニメへの扱いがあまりに軽過ぎる」という話、アニメが日本の映画を救ったことに対してはむしろ「アニメのくせに俺たちに『こいつに救われた』という劣等感を抱かせやがって」と感謝ではなく恨みを募らせるくらいしていると思うんだよな。 twitter.com/takanadu/statu…
181
「我々は弱者である・被害者である」と言いながら、世の中の空気の決定権を握っているのは誰なのか。対立相手を即座にパージできる力があるのは誰なのか。また対立相手を見つけてパージすることに積極的なのは誰なのか。「我々は弱者である」というのも、もはや「大本営発表」の類いなんじゃないか。
182
学者大戦争に「私も遅ればせながら事件を知りました。これはお二人の問題に矮小化してしまってはいけないと思います!」みたいな人が続々と合流していて、「あの人権先進国のアメリカで行われているキャンセルカルチャーによるアカデミアの浄化をやっと日本でもやれるんだ!」と正義に浮き立っている。
183
しかし「謝る」という行為が有効なのも相手がことを収めるつもりがある(どこで手打ちにするか暗黙の了解がある)場合に限った話であって、相手が敵の社会的に抹殺し追放することを目的としているのであれば、謝るという行為には相手を勢い付かせる以外に何の効果も意味もない。
184
「謝る」ということを無意味にしてしまった結果がいまの日本政治の「意図的に見当違いの答弁で押し通す」手法の蔓延とそれによる停滞や専横だと思うのだが(考えてみれば本邦の政治は30年前にキャンセルカルチャーが吹き荒れていた)、学問も政治と同じ道を辿ってしまうのかね。
185
「この社会からあいつの居場所を全部奪ってやる。社会的に死ねばいい」という暴力的な衝動を「今回のことを関係各所にお知らせしてしかるべき対応を期待する。どう対応するのかが問われている」などと澄まし顔で表現するのが本当に嫌いだ。しかも期待した対応が取られなければ恫喝するつもりの人間が。
186
上位者に有無を言わさず解決してもらわない場合「強い方が勝つ」「動員できる人数が多い方が勝つ」「失うものが無い方が勝つ」「言い分が通っても人間関係で孤立する」のような、道理とは別の次元で勝負がついてしまうのを嫌がっているのだよな。迷惑な隣人に対する苦情が町内会長に入るのも同じだ。 twitter.com/marxindo/statu…
187
「カズオ・イシグロ氏の記事にはポリコレが裕福な人間に独占されているなんて書いていない」という人は、「東京からパリ、ロサンゼルスなどを飛び回って」という文章から経済状況を読み取る力がなく、また「横の旅行ではなく縦の旅行」の「横」と「縦」が何を意味するかを読み取る力も無いのだろうな。
188
そしてトッドやピケティが近年どのような警告を発しているかについても興味関心がなく、またリベラル系やインテリ系の人々がどのような人々となぜ対立しているのかを社会の出来事から読み取ることもできていないということなので、知識の統合能力が低いか、でなければ何か強いバイアスがあるのだろう。
189
昨日あたりから学校体育への恨みがTLを流れていて、あんなのは「指導」じゃない、ただ運動の得意な奴を調子づかせ運動の苦手な人間を苦しめるものだと叩かれてるけど、座学の科目だって同じくらい雑な「指導」であって、勉強の得意な奴を調子づかせて苦手な人間を苦しめるものだったりしてませんかね。
190
体育の「指導」の雑さによって、例えば柔道で33年間に121人が死んでいるのと同じくらい、雑な勉強のゴリ押しで死人が出てるんじゃないのか…みたいなことは考えてしまうわけですよ。実際のところ児童や生徒の自殺理由の2トップは「進路に関する悩み」「学業不振」で、死人だって1年間に数百人ですよ。
191
先日、差別主義者とされた学者に対し主張されていた「誰もその人の名前を挙げないようになればいい。論文についても代替可能な論文があればそちらを引用して」という旨の意見、存在を抹消したいという嗜虐心の恐ろしさもさることながら「代替可能な論文」という一文に引っかかってしまった。
192
「代替可能な論文」というものがあるとして、その論文の新規性についてはどう考えているのか…いやまあ、「論文Aの説から発展して出てきた論文B」を参照すればセーフ、みたいな話なのかな。直接名前を出さなければいいという。しかしこうした記録抹消刑が好きな人はフーコーも今後は引けなくなるな。
193
しかし「あらゆる社会的弱者に対する長年の性差別・ハラスメント行為」とまで言われるようになってしまうとは、それこそ「この世の全ての悪」みたいな扱いというか、まるで民話か何かの世界をみているような気にさせられるな。「あいつはこんなに悪い奴だった」という話にどんどん尾ひれがついていく。
194
先月に小学生が「うっせぇわ」を歌っているのを見かけて本当に流行っているんだと感心したが、あの歌の自分は凡庸な人間と違う天才だと言いながら会社の飲み会で串から焼き鳥を外しながらキレる歌詞のアンバランスも、今の小学生のなりたい職業第一位が会社員だということを思うとまあ妥当なのかもな。
195
良い子にしていなさいと言われ、ならば良い子にしていたら周囲が色々と報いてくれるのだと思い込み、頑張って良い子をやっていたけれど、そうしたら実際には「手のかからない人間」として気配りの対象から外されただけ、顧みなくてもいい人間として誰からも気にされない存在になっただけ。という。
196
「北の国から」について「当時は心から感動したのに今観ると現代的な規範とジェンダー観にそぐわない描写や田舎に縛られる子供の苦悩が気になって楽しめない。世の中も自分も随分変わった」的なコメントを見かけた。いやあなたは今も昔も世間の価値観と一体化しているという点で変わってないですよね。
197
まあ実際、その時代時代の「感動」を前面に押し出した作品に心から共感できる人ほど、時代が変わってから過去の作品を見たとき「価値観が合わない。楽しめない」となるだろうな。時代の価値観と一体化する能力は重要な社会性だ。戦時下で非国民の糾弾に熱心な人ほど平和な時代には戦争反対を叫ぶのだ。
198
世代論にしてしまうのは安易とは思いつつも、氷河期前後の世代のお行儀の良さに比べ、団塊世代(1947年生まれは74歳)の自己中心ぶりよ…と思わずにいられないグラフだなこれは。若者は自重しろ、とはなんだったのか。 www3.nhk.or.jp/shutoken-news/…
199
不妊に悩む女性に「子を産みたいという意識から降りればいいんですよ。降りたら『子供いないけど、まあ自分って幸せだな』と思えるようになるんですよ。それが『降りる』ってことです」と言い放つのは恐ろしく無神経だと思うが、異性のパートナーを求める男性には同等の言葉が軽々しく投げつけられる。
200
マイケル・サンデルの『実力も運のうち』を買わなければ…。 しかし多くの人がずっと訴えて無視されてきたことが、この本が出た途端「こんなこと考えたこともなかった。目を開かれる思い。検討する価値がある」みたいに騒がれるというのも酷い徒労感がある。いや、ようやく日の目を見たということか。