すずもと(@aruto250)さんの人気ツイート(古い順)

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このような活動が私には断末魔の苦しみに見える。これまで他人よりグレードの高い生き方をしてきたはずの自分の人生が虚しく終わることを受け入れられない人間が、必死で自分の迎えるであろう死に方を肯定しようとしている。価値あるものだということにしようとしている。 twitter.com/bunshun_senden…
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「夜中にコンビニ行ってパピコを半分こしたり朝起きたら真っ先に顔を見ておはようを言いたいだけなのにそんなものを得るのがどこまでも難しい」という話、「そんなもの」を得たいのではなく「そんなものでも幸せになれてしまうほど素敵な相手」を得たいという話なのでむしろ難易度を爆上げしている。
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「ただ『おはよう』と言い合いたいだけなのに」ではえらく謙虚な要求に見えるが、「ただ『おはよう』と言い合うだけで幸せな気分になれるような相手が欲しいだけなのに」と正しく言い直せばそれがどれほど困難な要求なのかが分かる。 欲求の言語化は正確にした方が自分のためにも良さそうに思える。
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さらに正確に言うならば「ただ『おはよう』と言い合うだけで私を幸せな気分にしてくれるような相手が欲しいだけなのに」と言ったところか。表現を誤ると、まるで自分が「些細な希望さえ叶えることができない人間」のように思えてきて惨めになってしまう。これでは精神衛生上も良くない。
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こういうものを見るたび打ちのめされる。強者男性が現実の女性をモノのように扱い、それを悔い改めるストーリーに感激するが、実在の女性をモノとして扱ったことなどない弱者男性のことは路傍の石ころのように無視しておきながら「性的モノ化で女性を搾取している」と告発だけはしてくるのだ。
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女性が若い頃は性的魅力で、老いては性的搾取の告発で利益を得るのが二毛作なら、強者男性が若い頃は女性をモノ扱いして、老いては「男性社会から降りた」と言って利益を得るのも二毛作だろう。そして女性からも強者男性からも若くても老いても殴られ笑われ唾を吐きかけられ続けるのが弱者男性なのだ。
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「私たちはわきまえない」と言っていたフェミニストたちが、彼女らの言動に疑義を差し挟んだ女性を「わきまえ」させている様子がTLに流れてきた。「再教育キャンプが必要」などという発言も飛び出す界隈ではあるが、思想矯正の対象になるのは男性だけではないのだな。
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「非モテはレベル上げて欲しいという話が燃えるのは分かるけど、非モテを嘆く割に外見に気を遣わない人が多すぎる」という話、やはり男性は「男性間の争いに勝つことこそが異性を得るための本質」という認知を生得的に持っているのではないか。男性にとって外見は勝ったことのシグナリングでしかない。
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「自分なんかが外見に気を使っても仕方ない」という意識で身動きが取れなくなっている男性は少なくないのではないかな。美容室へ行くことやオシャレな服を買うことに原因不明の強い抵抗感があるのは、恐らく「そんなことより先に取り組むべき問題(男性間競争)がある」という無意識の叫びだろう。
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「自分は男性間の競争で十分な価値を示した」という自覚・自信・自己肯定感がないと、「自分はオシャレをするに値する」という意識を持てないのではないか。 だから「非モテ男性だけどもっとオシャレに」を実現するためには、非モテ男性はまず男性間競争に勝たなければならないということになる。
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TLにまた女性からの、「私たちは子供の頃から同級生や社会の男達から性的に消費されてきた!」という叫びが流れてきた。恨んで攻撃するならば、誰が・どういう男性がそういう行為をやってくるのか観察し、そうした相手をこそ攻撃すべきではと思うが、必ず「男はみんな同罪だ!」と言われてしまう。
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従前言われていた傾向を確認する上でもかなり興味深いデータだ。スポーツ系の部活動でもまずメジャーであることが最も重要で、次に競技のスタイルが 1対1 < 1対多 < 多対多 の順で恋人を獲得しやすい。集団の中で自分を位置付けていくことが好き/得意/身についていることが大きな要因となるのだろう。 twitter.com/sumomodane/sta…
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『よつばと!』の新刊を読んだが、読み始めた頃は気が付かなかったこと…つまりこの漫画が都市型リベラルのための作品であるとか、描かれる世界の高文化であるとか、経済的な豊かさであるとか、そういう格差みたいなことばかりが見えるようになってしまい、もう純粋には楽しめなくなってしまったな。
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山形の芋煮会で使われる重機が毎年新品を使用している(芋煮会で使用した後はオーバーホールされ販売され、翌年はまた別の新品を使う)という話は、なにか式年遷宮で新しくなりつづける社殿を思わせるな。やはり芋煮会は神事なのか。 twitter.com/Redpanda76/sta…
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以前も似たようなことを言ったけど、夫婦別姓を推進する人は、そもそも姓の廃止を目指すべきではないのかな。相手の姓になりたくないのは分かる。だが自分が自分の親の姓になるのはなぜOKなのか。そして自分たちの子供には姓を与えるべきではないはずだが、そこの議論があまり無いのはなぜなのか。
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批判が多いけど自分はこれに同意する。ただ、自分もそうだが「他人に優しくしなくていい理由」を血眼で探しているのはロスジェネ底辺だけではなくほとんどの人間が同じだろう(「自己責任」「自業自得」なんてそのための言葉だ)。そしてロスジェネはあまりにも「理由」に使えてしまう不遇が多すぎる。 twitter.com/0icco/status/1…
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もう先に言われてしまったけど、選択的夫婦別姓で一世代ごとに二世代前と異なる側の姓を選ぶことを繰り返した場合、姓によってほとんど何も遡ることができなくなり、もはやそれは「姓」というものの機能を果たさなくなるのだよな。それは「姓」と呼ぶ意味がない単なる個人名の一部になってしまう。
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またしばしば言われる「平民は近代まで姓などなかったのだから伝統などない」みたいな話も、当時は転居というものが少なく(奉公に出ても基本的には戻ってきた)、人間は土地に密着して生きていたということを合わせて考えないといけないと思うのだよな。土地そのものが姓と同等の機能を果たしていた。
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やはり転居の自由というものは、近代において決定的に社会を変えたものの一つなのだろうな。土地ごとに異なっていた多様な文化が分解消滅し、日本という大きな括りでも成立(共有)できるような、ゆるくて曖昧な「日本文化」になってしまった。夫婦別姓の導入で多様性はまた一段と失われるのだろう。
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根無し草の人間には「多様性」なんて作り出せないのですよ。例えば単身アメリカに渡った日本人に、一人で日本文化の全てを担保できるかと言ったらできないわけです。2億人の中の1人ではほとんど何の文化も守れない。ただ東アジア系の人間であること(それは身体に刻まれているから)しか残らない。
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だけどそうしたことが、「いま・ここ」にしか関心のない人々には分からないのだ。自分の生きている「いま」・自分の住んでいる「ここ」に、外国人の登場人物が増える、それを「多様化」だと考えてしまう。自分の人生を花束みたいに沢山の種類の人間で飾りたてることが「多様性」だと思ってしまう。
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こういうことを言うと「排斥を正当化している」とか指摘されてしまうのだろう。だけど、排斥の行き着く先は征服であり併呑なんだよな。むしろ混ざってしまう。とすれば、真に多様性を守る行動というのは、きっと集団の間に立って、互いを混じり合わせることなく対立を調整し続けることなのだろうな。
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話がそれた。ともかく夫婦別姓については、どうにも「自分と夫/妻」「自分と子供」「自分と親」という、「いま・ここ」の視点でしか考えていない議論があまりにも多いと感じる。そういう視点の「多様性」は、導入直後の世代の人生こそ華やかにするだろうが、文化の多様性は失われていくだろうと思う。
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牝馬が仰向けに股を開いている写真に対して「青少年も見ているのだから通報した」「馬にも基本的馬権がある」という発言が出るのはすごい。女性であることをキーにした共感(または萌え画嫌悪と同種の男性の性的目線への嫌悪感)は、ヒトという種を超えて少なくとも哺乳類にまで適用されてしまうのだな。
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シン・エヴァンゲリオンを観たけれど、この内容なら十年遅い、いや十五年遅いよ!伴侶を見つけて結婚しろ、子供を作れ、現実を大事にしろというメッセージならファンが30歳くらいまでのうちに伝えなきゃ。今頃そんなメッセージをお出しされてもファンは取り返しのつく年齢を過ぎてしまっている。