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先日「オーバーニーソックスは単純に可愛いと思ってたけど、ソックスとスカートの隙間を見て性的に喜ぶ男性が多いと聞いたので良くないと思うようになった。男性を喜ばせないで欲しい」という旨の意見を見て、実に端的に女性の心理が表れていると思った。性表現の「女性の主体性」もこれが鍵なのでは。
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つまり「結果的に男性が喜ぶこと」「男性を喜ばせるためにやっていること」「男性を喜ばせるためにやらされていること」の区別がつかないし、つける必要もない、ということなのだよな。だから必要になるのは「これなら男性は喜ばない」という確信なわけだ。一体どうすればその確信が得られるのだろう。
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よくある手法は、表現に「強い女」を用いる、というやつだよな。気の強そうな、主張の激しそうな、大半の男性が喜ぶよりも怯んでしまうと思える女性を用いて表現する。でなければ現実の(そこまで強くない)女性と同水準になるまで隙を無くして性的な視線に対する拒絶感を出すか。大体この2択になる。
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昔ならその他にも「これは女性だけのものだから男性は興味を持たないはずだ」という確信を持つことが可能であったし、セーラームーンやプリキュアはその幻想で保っていた(いる)ところがあるけど、今はネットで様々な男性の目線が可視化されてしまったことでそうした幻想に縋れる余地は少なくなった。
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こういうことは皇道派の青年将校みたいなのであまり言いたくないけど、内親王の結婚問題なんて「リベラルで開かれた皇室」をやってきた当然の結果というか、むしろ「成果」とでも言うものですよね。リベラルな皇室は伝統の自重に耐えられない。リベラルを続けるなら皇室の消滅は時間の問題でしょう。
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「皇位を継ぐより自己実現したい」と言われたら祝福の言葉とともに宮内庁を解体して大統領制に移行するのが「リベラルで開かれた皇室」を担ぐ国民のすべきことですよ。皇統は継承者が「天皇としての責務を全うすることが自己実現」と思うかどうかにかかっているし、またそうでなければならないという。
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個人的には、国民として敬意と勤労(税)を捧げるのと引き換えに皇室には良き君主であって欲しいけれど、そういうのはもう80年ほど前にお断りされてしまってるのだよな。敬意を捧げても関係ないとなると後はもう「俺は俺の責務を全うする!」という人が幸運にも代々続いてくれるのを期待するしかない。
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実際に国民の総意というか平均的な意識はそうでしょう。たまたま皇室に生まれついただけの自由な個人に生き方を強制することなんてできないし、そんなことがあってはならないと思っているから「あれは本人がやりたくてやってくれているんだ」と処理するし、次の代でもそうなることを都合よく期待する。
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以前にも、守られる側が守る側に対価を差し出す描写がないから鬼滅の刃は家父長制を肯定する作品とは言えない、ということを言ったけれど、まあリベラルを自認する皆さんが煉獄さんに対して抱いているのと同じ種類の期待が皇室に向けられているのだろうなとは思う。
twitter.com/aruto250/statu…
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手元に『ローマはなぜ滅んだか』という本があるのだけど、確かに「性解放・女性解放・知性と教養と文化」として1章を割いてこの辺りの話をしている。姦通が横行するだけでなく、女性が鎧や武器を持って男性のスポーツに参加するようになったと。オウィディウスについては13ページも割いて記述がある。 twitter.com/akihiro_koyama…
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何らかの物語・出来事を理解するための枠組み(認知フレーム)が「強者と弱者」「加害者と被害者」という形に最適化されており、その上で「弱者」「被害者」の視点から物事を解釈する、というのが現代の標準的な物事の受容方法になっているのだよな。現状の社会においてもはそれが最も適応的なので。 twitter.com/marxindo/statu…
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むろんそれは選択の余地なく弱者である人を救うためのものではあるのだけど、弱者でない人も弱者として振る舞う方が有利になるので弱者として振る舞うし、また弱者へ共感や同情を寄せることが「正しいこと」とされたことと合わさって「弱者の立場で物事に向き合うこと」は現代の道徳やマナーとなった。
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だから今は「一億総弱者」「一億総被害者」の時代なのだろう。そしてみんなで糾弾するための強者や加害者を一生懸命に探している。それは多くの人が強者であろうとして、食い物にするための弱者を探していた時代とやっていることのレベルに違いがないんじゃないかな。
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確かに「弱者が有利になる」というルールによって、選択の余地のない弱者が救われている面はあるのでそこは良い点ではある。ただ「弱者として振る舞うものが有利になる」という転倒によって「(暗黙の)ルールに合致する『弱者』」が救われて、実態としての弱者が置き去りになるケースが目立ち始めた。
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またその副作用として、「強者然とする強者」がすっかり食い荒らされ、あるいはそれを察して身を隠すようになり「強力なリーダー」というものが不足するようになってしまった。それは弱者・被害者のフレームに慣らされた我々には良いことのようにしか思えないが、そのために社会はだいぶ傾きつつある。
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先日の選挙結果を受けて「有権者のレベルが低い」という旨の感想を抱いている人たちがいる。彼らはふだん他人のナショナリズムというものを心底軽蔑しているけれども、そんな彼らも彼らの心の中にある、まだ見ぬ偉大な祖国「いい人だけの国」へのナショナリズムは大変に強いように見えるな。
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この件でキャンセルに一斉になだれ込んだ人たちへ向けて反省しろみたいな意見が出ているけど、キャンセルしてやった側にしてみれば、正義が為されたのに何を反省する必要があるものかと思ってるのではないのかな。まあ、自分の「危なそうな記事」をしれっと消すくらいには後ろ暗い人もいるようだけど。 twitter.com/aruto250/statu…
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キャンセルカルチャー全般に感じるのが、この動物みたいな興奮状態なんだよな。何をどこまでやると何処にどの程度影響が出るか、みたいな思慮が感じられず、ただ問題の見つかった人間をそのつど追放していけばいつか社会が変わるんだと、性交のチャンスを目前にした男子のように知能が低下してしまう。
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しかし「男性皆殺し協会」の記事やらを削除というのは本当に驚いた。自分の正義を自分でも信じておらず、それでいて、そのことを正面切って認めようとはしないということだものな。狂信者でもなく、手頃な獲物に対してだけ、社会的に抹殺するまで止まらない。そこにあるのは明らかに信念ではない。
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いま読んでいる本で解説されているヒヒの生態が興味深い。ボスのオスは数頭のメスとその子供たちを従えており個別のメスには威嚇で行動を制限できるが、メスはそれが気に入らなければ団結して反抗し、そうなればボスも引き下がる他ないのだと。まあここまでは別段驚きはないのだが問題はボスの交代だ。
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ボスのヒヒが若いオスの挑戦を受けたとする。しかしその勝敗の鍵はメスの集団がどちらのオスに肩入れするかにかかっているし、勝った方のオスがメス達の気に入らなければオス同士の争いでボスを倒してもボスの座につけないのだという。表面上はオスがメス達を支配しているように見えるが逆なのだな。
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メス達は、オスが交尾の機会欲しさに争うのを利用しているだけなのだ。ただ単に「それで常に強いオスが私達に供給されるのであればどうぞご自由に」として、勝ったオスが気に入れば採用するし、気に入らなければオス同士の争いの結果をリジェクトする。実に「メスらしさ」を感じる社会ではある。
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ちなみにボス以外のオスは(よくあるパターンであるが)オスだけの群れを形成し、メスのいる群れのボスオスと入れ替わるチャンスを狙いつづけるのだという。生殖の機会のための無限の闘争に放り込まれるオスと、ボスオスに対抗するためにメス同士に対する団結力(政治力)を磨き続けるメスの構図だな。
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とは言えメスも気に入った若いオスがいればボスの目を逃れて交尾しようとするし、そこで見つかればボスからシメられたりするという。
そしてメスはメスで、多くのメスから好かれていないと、ボスオスからシメられた時にメスが団結して庇ってくれなくなってしまう。同性からの支持は死活問題なのだ。
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地位の低いメスは群れのメスそれぞれから平均で1日2回ずつ軽い脅しを受け、週に1度ほどは本格的に攻撃されるという。深刻な被害の出る攻撃では全くないが、こうしたストレスにより下位のメスは排卵に支障が生じ、地位が1つ下がるごとに生涯で産む子の数が半減するのだとか。これがメスの闘争なわけだ。