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「自分が気持ち悪いと思うもの」への耐性が低い、というのもあるだろうけれど、「自分が気持ち悪いと思うものと自分」という関係を、現代における標準である「加害者と被害者」のフレームで処理しようとするから、また道徳感情とも結びついて、妥協や共存が有り得ないものになってしまっているのでは。 twitter.com/marxindo/statu…
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個人的に、飲み会がつまらない、会話に入っていけない原因に、飲み会の会話の大半を占める「誰々さんが何々した」という世間話に追随できない、誰が誰だか覚えていない、というものがあるのだけど、先月から少しずつ読んでいる『言語を生み出す本能』という本に、まさにそのことが書かれていた。
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有名な話だけれど、サル(引用したヒヒもそうだ)は群れを維持するために毛づくろいをして相互関係のメンテナンスしていて、人間は毛づくろいの代わりに言語によってそれをするのだと。そして、そこで交わされる話の内容は7割が「誰が何をした」という社交的な話題なのだと。
twitter.com/aruto250/statu…
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だけどそう考えると、飲み会において「××がこの間○○したんだってよ」とか「△△さんが□□したときさぁ…」という話に入って行けない、そうした会話に追随できない人間というのは「毛づくろいのできないサル」なのだと考えると、そりゃあ生存していくことが難しくなるだろうなと考えてしまうな。
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眼鏡であったりLGBTの話でよくある、「日本ではとっくにそんな問題を乗り越えている」という点が全く評価されないという話、やはり「眼鏡は醜い」「セクシャルの異常は不道徳」という「前提」が共有されていないから評価の対象外になってしまうのだろうな。価値観を共有する仲間と見なされていない。
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そんな「前提」とは偏見なのであるけれど、ともかくそこで評価されているのは「偏見を乗り越えようというwokeな価値観を自分たちと共有していること」がもたらす自己陶酔なのであって、「最初から偏見などない」相手では、価値観を共有することで陶酔をもたらしてくれる仲間とは見なされない。
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ここらへんの構造は、よく批判されている「賃金が労働ではなく苦痛への対価になっている」というのと相似形に思えるな。「苦痛に共感できない相手の苦痛は対価に反映されない(無能の低賃金は自業自得なのでいくら苦痛だろうと評価に値しない)」という構造も同様に内包していそうではある。
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宮崎駿について「もはや誰にもキャンセルできない」という発言を見たけど、ご本人の存命中はともかく、御大が亡くなった途端に「作中の不適切なジェンダー描写にモヤモヤしていたけど皆が褒めている作品だから反論できずに黙らされていた」という意見が勢いよく取り上げられるようになりそうではある。
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またTV番組でもよく取り上げられている、才能あるクリエイターとしての、あるいはあの世代の人間としての「モーレツ」な働き方とそれを他人にも求める姿勢は、「押さえつけられてきたパワハラの告発」としてメディアが喜んで掘り起こしにかかる(そういう話をしてくれる関係者を見つけてくる)だろう。
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何しろ「あの怖い老人、世界的な権威」から何も反撃される心配なく批判できるようになるのだから、今まで「黙らされていた」人々は重石が取れて俄然勇ましい気持ちになってくることだろう。
そのとき宮崎駿の子供に注いでいた視線が格好の攻撃の材料にされるのは言わずもがなではある。
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こうした意見を見ると、戦争に負けた側の集団の男性は生殖の機会を失い、しかし女性はそうではなかったという有史以前の数千年間がもたらした遺伝的多様性のボトルネックの男女差が、防衛戦争に対する男女の認知にどのような傾向の違いをもたらしたのかということを見るような思いがする。 twitter.com/momokonojo/sta…
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ウクライナに降伏を勧める人たちに対して「太平洋戦争の米軍の占領政策が奇跡的だっただけ」という意見が集まっているけれど、その奇跡的な占領政策にも5万人の日本人女性を差し出す必要があったし、2万人以上の子供を日本人女性に産ませているわけで、奇跡的だろうと占領というのはそういうものです。 twitter.com/aruto250/statu…
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自分は世界の複雑さに耐えられないので、「陰謀論にハマるのは世界の複雑さに耐えられない人間である」という単純な図式に飛びついてしまいたくなる。バカなあいつらとバカに困らされる思慮深い自分、みたいな陰謀論者への軽蔑ありきの図式には甘い蜜のような誘惑を感じる。
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侵略された側の国家へ熱心に降伏を勧める人々、「人命は地球より重い」という枠組みにガッチリ固まった上で、「戦闘を続ける限り日々命が失われていく」という認識が彼らの精神に猛烈なバイアスを生じさせ、かつ「話の通じそうな方に責任を負わせる」ことであのような言動になっているのだろうな。
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しかしそれらの前提にある「国際社会の目があるから征服した側もそう悪いようにするはずがない」というような、「社会の目」の絶対的な抑止力への信頼はどこから来るのだろうな。どうもキャンセルカルチャーに付き物の「世間の皆さんがどう思うでしょうね」という文言と同じものを感じてしまうのだが。
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どちらも「世間の目(≒属する集団の「いま、ここ」において支配的な価値観)に従順な人間ほど、他人にも世間の目への従属を求める」というやつが根底にあるんじゃないだろうか。そしてその従順な人間は、自分が風見鶏のような人間だとは自覚していない。自分はただ正義に燃える人間だと思っている。
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またモテと暴力性が話題になってるようだけど、暴力性はともかく、男性は何らかの形で男性間闘争(サル山の闘争)に参加して、自分が「最底辺のオス」ではないという自覚を持たなければ精神が病んでしまうな。これは闘争を好むと好まざるに関わらない。運動不足は病気になるのと同じ次元の話だ。
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代理母出産を利用するセレブをリポートする記事だが、ハイファッション誌的な無造作が恐ろしい。「セレブともなると、代理母のセレクトも厳しく、そしてそれなりのコストがかかる」と、セレブ目線から代理母を務める女性を完全にモノ扱いしていることが如実に伝わってくる。
vogue.co.jp/celebrity/deep…
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「好ましくないタイプの女性が代理母を希望するようになってしまうということを避けたい」なども、それこそ実在する女性を妊娠出産する道具扱いに他ならないように思うのだが、女性が女性に対して行う限りは無罪なのだろうな。もし男性がこのような言動をしたならば…などと考えるだけで恐ろしい。
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また「自分の子を妊娠せず他人に任せているのは、本当に大変で辛かった」という発言に至っては、心配になる気持ち自体は分かるけれども字面のパワーがあまりにも強すぎる。しかしVERYの例の対談といい、セレブリティとその取り巻きは人間の欲望の形を実に分かりやすくディスプレイしてくれるものだな。
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例のキャンセル公開書簡周りの動き、自分たちで勢いよくオープンと銘打ったにも関わらず、都合が悪くなるや遮二無二情報を削除や非公開にして事実を見えにくくし、あとは自分たちの証言だけを(その声の大きさで)流通させれば経緯を都合よく書き換えられるという態度はロシアと同じ不誠実さを感じる。
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ロシアが証拠を隠滅したり無視してどれほど不誠実に振る舞っても、ロシアが核を持っている以上、外部から責任を取らせることは不可能だ。例の公開書簡の関係者が証拠を消したり無視してどれほど不誠実に振る舞っても、ポリコレとして無敵の属性を持っている以上、やはり責任を取らせることは不可能だ。
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外部から責任を取らせることが不可能である以上、自ら進んで責任を認めるのを待つ他ないが、自ら進んで損をするようなことをするはずもない相手なのだ。
倫理を自らの上位に置かない強者は責任を取らない。彼らにとり責任を取らされるのは弱者の証だ。強者はただ皺寄せを弱者へ押し付けるのみである。
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吉野家の幹部の失言は品がないし(業界の慣用表現だとしてもそれがどう受け止められるか考え足りないという点で)脇が甘すぎると思うけれど、それで更迭というのは違うと思うのだよな。実際に若い女性を薬漬けにしたわけでも、それをしたいと表明したわけでもない。ただ比喩が不適切だっただけで。
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自分はもともと不適切な比喩で更迭されるという流れには賛同しないのだけど、もはや不適切な比喩を使ったら更迭するものという慣例が成立してしまい、それ自体が力を持って後続の例を作り続けてしまっている。また、言葉から内心を推し量った上でその内心を裁く、というやり方も恐ろしいものに思える。