すずもと(@aruto250)さんの人気ツイート(新しい順)

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夫に偽って浮気相手の子を産む、いわゆる「托卵」を良い話風に描いた漫画が流れてくるのだけど、この漫画の衝撃を女性に伝えるなら「産科で子供の取り違えをしてしまったスタッフが『どの子も命は平等なのだから幸せに子供を育てて欲しい』とキラキラしたことを言って締める」くらいのものだろうか。
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「人間関係が嫌なら逃げていいんだよ」「仕事が嫌なら逃げていいんだよ」という話には人気が集まるけど、最近ようやく「逃げていいとか囁く人間は逃げた後のことに責任を取ってくれない」という気付きが出るようになった。そろそろ「男性性が嫌なら逃げていいんだよ」にもそうした気付きが要るのでは。
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現代的リベラルにとってインフラたる資本主義が地方を見捨てるから、地方で「イエ」のシステムが息を吹き返してしまっているぞ、という記事と読んだ。 だがそれでリベラル資本家が「地方を救わねば」と思うかというとそうではなく、地方蔑視と切り捨てが加速するのだろうな。 shinsho-plus.shueisha.co.jp/interview/sach…
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社会の能力主義は止められないにせよ、ならば尚更、能力で序列化される社会で下位に押しやられる人というのは「誰かが引き受けなければならない損な役回り」を嫌々であれ引き受けているのであって、社会はそうした人々へ後ろめたさや感謝を抱くべきと思うのだが、実際には罵倒や嘲笑が与えられている。
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幼く見えず威嚇的にも見えるアジアンメイクは「わきまえない」タイプの人々に歓迎されがちだけれど、アジアンメイクはむしろ「わたくしめは手前に相応の美の領分というものをよくわきまえております」という態度にも思え、つまるところ「わきまえてみせる相手を乗り換えた」だけなのかも知れないな。
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逆に「欧米人はフレグランスで体臭を隠さない方が自然だよ!無理に若く見せなくていいんだよ!」と言って納得してもらえるとは思えない。「美しさ」という領域における領土争いというか、領有権の主張が行われているように見えるし、そう考えるとアジアンメイクは文化的隷属の証にも思えてしまうな。
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「アジア人はツリ目とエラを強調したメイクが自然だよ!黄色い肌に誇りを持って!」という「ナチュラルアジアンビューテイー」観は本当に大きなお世話というか、「大きな目や色白という美しさは我々白人のものだからアジア人はそれを用いるな」と言っているようなものだと思うがそれで良いのだろうか。
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だけどもし本当に、こうした権威に指摘されるまで問題点に自力で気付けなかったのだとしたら、そのような人に己をリベラリストだと考えて欲しくない、と考えてしまうな。そのような自己点検ができない、批判的な目線を自分たちの側に向けられない人々の「リベラル」は、端的に言って危険だと感じる。 twitter.com/aruto250/statu…
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例えば90年代の中頃までは経営者の高額報酬なども批判されてましたよね。それを能力主義はまず上からと「海外ではCEO(という呼び方も同時に輸入された)が能力に見合った報酬を受け取るのは当然のこと」と言って経営者の高額報酬が定着し、株主配当は上がり、賃金は下降を始めて今も回復していない。
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バブル以後の日本がずっとそうだったでしょう。「今こそ真に能力主義に変わるべきだ」と言って、上手くいかないのをずっと「能力主義が徹底されていないからだ、評価方法が不適切だからだ」と言われて騙され続け、「より適切な評価方法」に改められるたびに報われる人が少なくなっていったわけで。
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ただ、これは読む前から心配しても仕方ない話なのだけど、「能力主義と言いつつ実際には能力でない要素が大きいものを事後的に能力差ということにしているだけじゃないか」という批判を受けた人々が「能力の評価方法が間違っているのだ。評価をもっと正確にすべきだ」という方へ行かないといいのだが。
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だがこの「サンデル教授がリベラルか否かという謎の論争」ってのは本当に謎の論争だな。こういうのは異端審問の類いではないのかね。つまり、この「リベラルか否か」というのは、すなわち「(内容以前に)この人間に発言権を与えても良いか否か」という意味なのだものな。 twitter.com/shotichin/stat…
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マイケル・サンデルの『実力も運のうち』を買わなければ…。 しかし多くの人がずっと訴えて無視されてきたことが、この本が出た途端「こんなこと考えたこともなかった。目を開かれる思い。検討する価値がある」みたいに騒がれるというのも酷い徒労感がある。いや、ようやく日の目を見たということか。
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不妊に悩む女性に「子を産みたいという意識から降りればいいんですよ。降りたら『子供いないけど、まあ自分って幸せだな』と思えるようになるんですよ。それが『降りる』ってことです」と言い放つのは恐ろしく無神経だと思うが、異性のパートナーを求める男性には同等の言葉が軽々しく投げつけられる。
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世代論にしてしまうのは安易とは思いつつも、氷河期前後の世代のお行儀の良さに比べ、団塊世代(1947年生まれは74歳)の自己中心ぶりよ…と思わずにいられないグラフだなこれは。若者は自重しろ、とはなんだったのか。 www3.nhk.or.jp/shutoken-news/…
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まあ実際、その時代時代の「感動」を前面に押し出した作品に心から共感できる人ほど、時代が変わってから過去の作品を見たとき「価値観が合わない。楽しめない」となるだろうな。時代の価値観と一体化する能力は重要な社会性だ。戦時下で非国民の糾弾に熱心な人ほど平和な時代には戦争反対を叫ぶのだ。
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「北の国から」について「当時は心から感動したのに今観ると現代的な規範とジェンダー観にそぐわない描写や田舎に縛られる子供の苦悩が気になって楽しめない。世の中も自分も随分変わった」的なコメントを見かけた。いやあなたは今も昔も世間の価値観と一体化しているという点で変わってないですよね。
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良い子にしていなさいと言われ、ならば良い子にしていたら周囲が色々と報いてくれるのだと思い込み、頑張って良い子をやっていたけれど、そうしたら実際には「手のかからない人間」として気配りの対象から外されただけ、顧みなくてもいい人間として誰からも気にされない存在になっただけ。という。
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先月に小学生が「うっせぇわ」を歌っているのを見かけて本当に流行っているんだと感心したが、あの歌の自分は凡庸な人間と違う天才だと言いながら会社の飲み会で串から焼き鳥を外しながらキレる歌詞のアンバランスも、今の小学生のなりたい職業第一位が会社員だということを思うとまあ妥当なのかもな。
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しかし「あらゆる社会的弱者に対する長年の性差別・ハラスメント行為」とまで言われるようになってしまうとは、それこそ「この世の全ての悪」みたいな扱いというか、まるで民話か何かの世界をみているような気にさせられるな。「あいつはこんなに悪い奴だった」という話にどんどん尾ひれがついていく。
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「代替可能な論文」というものがあるとして、その論文の新規性についてはどう考えているのか…いやまあ、「論文Aの説から発展して出てきた論文B」を参照すればセーフ、みたいな話なのかな。直接名前を出さなければいいという。しかしこうした記録抹消刑が好きな人はフーコーも今後は引けなくなるな。
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先日、差別主義者とされた学者に対し主張されていた「誰もその人の名前を挙げないようになればいい。論文についても代替可能な論文があればそちらを引用して」という旨の意見、存在を抹消したいという嗜虐心の恐ろしさもさることながら「代替可能な論文」という一文に引っかかってしまった。
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体育の「指導」の雑さによって、例えば柔道で33年間に121人が死んでいるのと同じくらい、雑な勉強のゴリ押しで死人が出てるんじゃないのか…みたいなことは考えてしまうわけですよ。実際のところ児童や生徒の自殺理由の2トップは「進路に関する悩み」「学業不振」で、死人だって1年間に数百人ですよ。
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昨日あたりから学校体育への恨みがTLを流れていて、あんなのは「指導」じゃない、ただ運動の得意な奴を調子づかせ運動の苦手な人間を苦しめるものだと叩かれてるけど、座学の科目だって同じくらい雑な「指導」であって、勉強の得意な奴を調子づかせて苦手な人間を苦しめるものだったりしてませんかね。
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そしてトッドやピケティが近年どのような警告を発しているかについても興味関心がなく、またリベラル系やインテリ系の人々がどのような人々となぜ対立しているのかを社会の出来事から読み取ることもできていないということなので、知識の統合能力が低いか、でなければ何か強いバイアスがあるのだろう。