こないだ言及した『この世界が消えたあとの科学文明のつくりかた』って本を参考資料にしたDr.Stoneという漫画がジャンプで連載してるそうなんですけど、これ上手くいったら日本のテクノロジー界隈に「サッカーにおけるキャプテン翼見て育った世代」みたいなインパクトもたらしないかなって思ってる。
なお、エンターテイメントエデュケーションの分野における警句として「チョコで覆われたブロッコリー」という表現があり、子どもが苦手なこと(勉強)をただ好きなこと(ゲームとか)で誤魔化しただけだと、かえって誰も喜ばない激マズなものができあがるそうである。
産業史に関する資料見てると、「賢い若者が短期間取り組んで成果出せる意味のわからん領域」っていうのが大きなイノベーションや儲け話のネタになる時っていうのがしばしばあって、常に「今の時代で言えばそれが何か」って意識しておくのは若者にとっても大人にとっても大事そう。
日本人の時間意識の変化について書かれた『遅刻の誕生』て本によると「日本人が勤勉」ていうステレオタイプもかなり疑わしい。幕末に操船技術教えに来てくれたオランダ人が「日本人の悠長さに呆れる」て文章残してるし、江戸時代は前夜飲み過ぎたとか天気が良かったとかで欠勤するのもざらだったそう。
当たり前だけど、電磁波とか、化学肥料とか、コンクリートとか、ロハスな人に嫌がられがちな発明は人類の多くを救った偉大なものなので、子どもの頃にそういうありがたみを教えておくとその後の人生で迷信ぽいものに惑わされなくなっていいんじゃないかな、とも思う。
『この世界が消えたあとの科学文明のつくりかた』って本がめちゃくちゃすごく面白くて、現代の便利な生活支えているテクノロジーがどれだけありがたいものなのかも理解できるし、高校時代の化学の授業もこういう感じで教えてくれたら面白かったのになーって思った。
夏休みに自然を観察するキャンプとかってけっこうよくあるけど、逆に「いまから1週間でどこまで科学文明立て直せるかチャレンジします」みたいなプログラムがあってもいいんじゃないか。自然の中で文明アイテムに頼らずに、火をおこしたり、石鹸作ったり、セメント作って小屋建てたりするの。
『進歩:人類の未来が明るい10の理由』って本には人類がこのわずか数十年ほどだけでも飢餓も病気も貧困も暴力も多くの問題解決してきてるってデータを細かく出して、何度も「昔は良かった」とか「人類はこれから危機を迎える」みたいな言説批判してて、人類みんな読めばよいのにって思った。
「努力は報われる」というよりも「努力はアドバンテージになりうる」というのが正しいんだと思う。どんな人でもできることを人と同じようにやってても何の差別化にもならないけど、人がやるべきことをためらってるようなことをたくさんやれば、それだけでたいていの競争は有利になる。
ただし同じやるべきことでも、「自分はたいへんだけど他の人はそうでもない」って努力を積み重ねても効率が悪く、逆に「自分はノンストレスだけどみんなたいへんだと思ってる」ってことをやり続けた方がアドバンテージ度合いは強い。こういう向き不向きを見つけることが才能というものなんだろう。
イノベーションこそが経済成長の源泉である、という考え方に基づくと、おそらく今はどこの国も「見たことのあるクマの色だけに捕らわれる人」よりも「見たことなくても北極のクマの色を考えられる」タイプの人を大事にしたり、予算や権限を与えてあげた方がいいんじゃないでしょうか。
人類のIQが時代と共に上がり続けていることを発見者の名を取ってフリン効果と呼ぶんですけど、彼によれば特にその中でも大きな進歩を示しているのは「仮定をおいて抽象的なことをロジカルに考える」という能力らしい。逆に言うと、自分の経験だけでしか判断できない人が昔はもっと多かったそうな。
例えば彼は、1900年時点のロシアの農村で「北極には常に雪がある。常に雪がある地域のクマは白い。では北極のクマは何色?」という論理学の問題を出すと、「俺が今まで見たクマはみんな茶色だった」と答えられたというエピソードを紹介している。ted.com/talks/james_fl…
こういうギャップって今も存在していて、例えば新規事業のアイディアを募っておきながら、極めて理に叶った素晴らしい企画書が出てきても「成功事例を見たことがないから」みたいな理由で却下する人がいるんですけど、もともと人類こういう人が多かったと考えればまあしょうがないよね。
心理学の研究上「後に起こったことによって過去の記憶が書き変わる」という仕組みを人間は持ってるそうなので、辛いことはその場で意味付けを変えてしまうとよいのかもしれない。具体的には脳内で 「逆境。だがこの経験が、後に彼の爆発的な成長に繋がるのである」 みたいなナレーションつけるとか。
なおいわゆるIQは昔「子どもが順調に知的な発達を遂げているか」って側面から研究されていたこともあるため、精神年齢≒知能って表現が用いられることもあるけど、近年の研究では一般的に同年齢の男女生徒間でIQの差はほとんどあるいは全くないとされるのでこの意味では差別の理由にならない。
自分の知る限り、一般的な認知機能じゃなく「精神的な成熟」とか「コミュニケーション能力」とかいうふわっとした概念の測定尺度で確立したものはなく、「北国生まれは体が強い傾向にあるのでインフルエンザの治療薬やワクチンの使用は後回しでもよい」とかいうレベルの理屈じゃないですかと。
もしかすると中のどなたかが急に調査されて苦し紛れの言い訳として思いついただけなのかもしれないけど、医療にエビデンスが求められる現代において、うっかり一番最悪の言い訳を選んでしまった感がある。
「女子が男子よりも精神的な成熟が早く、受験時はコミュニケーション能力も高い傾向にあるので女子受験者差別すべき」っていう何のエビデンスに基づいてるんだかわからない考え方をふつうに受け入れている医学部の教授達に自分や家族の治療方針決めてもらうの、正直ちょっと怖くないですか。
知能っていうと「筋道を立ててよく考える」みたいなニュアンスが含まれるけど、現行の統計的機械学習技術ではこの部分ほぼ抜け落ちてて、どちらかというと「色んな経験積んで直感で判断できるようになる」みたいな仕組みである。なので人口知能じゃなく「人工直感」て言った方が適切なのかもしれない。
そういえば、 ・たまたま大学の近くにあったため ・電子工作が盛んになり ・コンピューターを趣味にする人が集まる というところまではシリコンバレーと秋葉原が同じような歴史たどってるのに、秋葉原はいったいどこで道を間違えてしまったんだろうな。
この数年、地方創生周りの仕事して色んな人の話伺うんですけど、日本人の多くが「稼ぐ方法」として農水産物売るか観光客に来てもらうかしか思いつかないって状況けっこうヤバい。発想が南の島でのほほんと暮らしてる人みたいじゃないか。
昔ただの地方大学だったスタンフォードの教授が「いくら教えてもこのへんに電子工学活かせる仕事ないし教え子みんな東海岸で就職してしまう…」みたいな問題意識から、教え子の起業をサポートしたり、産学連携に注力した結果シリコンバレーは生まれたって話、日本の地方も参考にした方がよさそう。
礼儀とかマナーとかそういうやつ、「きちんと敬意を払いたい相手を喜ばしたり少なくとも不快にさせない非言語な方法」というものなので知っておいた方がいいのは間違いないんだけど、大した恩恵与えたわけでもない相手がその姿勢示さなといちいち不機嫌になる人「自分を何様だと思ってるんだ」感ある。
確か自分が以前聞いた話だとインド人は20の段まで九九覚えるらしく、11以降はやりこみ勢向けの裏面または続編だろうか。意外と簡単な11の段から始まり、通常面の最難関だった7の段を応用する14の段や、新機軸の13・17・19の段など、こちらもバラエティに富んでてやりこみ甲斐があると思う。