そして九九の9の段、それまでに覚えた各段の中ボスである○×9がひたすら出てくるボスラッシュステージ感あるし、それ片付けた後に初見で出てくる9×9=81はラスボス感あるし、「十の位と一の位足すと9になる」っていう劇的に攻略が楽になる裏技用意されてるのも奥深い。十の段のエンディング感もいい。
ふと九九はゲームとしてのステージ構成がよく出来てるなって思った。チュートリアルの1の段、基本操作覚える2の段、序盤の難所3の段、2の段応用する4の段、ボーナスステージかつ各段のセーブポイントになる5の段、3の段応用する6の段、最難関7の段、4の段さらに応用する8の段と続く。
自分の売ってる何かに対して「高い」って言われた際に考えるべきは、「この値段で買ってくれた顧客ありがたいな」ってことである。実際に買ってくれた人は大事にすべき「顧客」だけど、不満言うだけで買わない人は「知らん人」であり、顧客が損した気分になるような安易な値引きはするもんじゃない。
料理でも雑貨でも、売り物に対して「原材料XX円しかかかってないのに高い~」とか文句を言う人が日本にたくさんいるの、アントレプレナーシップ教育が行き届いてないのでは。大した値段しない原材料集めて、ちょっとの手間かけただけで大きな価値生める可能性に気づくのが仕事の基本だろうに。
相手を羨ましいと感じた時に、本当に羨ましがるべきポイントを的確に羨ましがれるかって大人として大事だと思う。自分のやりたいこと上手くやってのけた誰かに対して、運とか生まれとか才能とかじゃなく、自分の中にない考え方とか勉強してきたことを見つけて羨ましがる。これを敬意を払うと言う。
スラムダンクて漫画の中で主人公のバスケ部のエース流川が学校選んだ理由を「近かったから」て答えてるの、半ばギャグ的に「何も考えてない天然」みたいに描かれてるんですけど、近いということによって得られる時間は年間だとすごい量になって、その間勉強や練習積み重ねたらすごい差になりそう。
あんまり誰も検索しないけど、意外とオフィス街から歩ける範囲にもちょこちょこマンション建ってたりするし、職場から徒歩圏だと昼食も夕食も自炊や宅飲みしやすくなって深夜タクシー代も不要なのね節約になるし、特に職場コミュニティよりお家が好きな人たちは検討すべき選択肢だと思う。
「会社員が向いてないからフリーランスになりたい」て相談頂いた友達の一部、よく話聞いてみるとただ朝の満員電車で疲弊してるだけだったことがあり、意外に会社の徒歩圏とか、「朝あんまり混まないバス一本圏」もしくは「下り電車で3駅以内」で通勤できるようにしただけで問題解決することもある。
インターネットの普及によって「権限を持った大人」に気に入られなくても、「不特定多数の好みの合う人たち」に認められることでアイデアや作ったものが広まったり、ビジネスチャンスになるようになったのは地味に大きな変化だと思う。
アパレル業界、ZOZOスーツのこととか議論するより先に、取りあえず顧客ごとのサイズ(S/M/LとかスーツでもYA体の何番とかそんな粒度)と、いっぺんやった裾上げ時の股下データだけ記録しといてオンラインで簡単に「同じ感じのやつもう一着」ってポチれるようにしてほしい。
靴もそうだけど、同じブランドの商品のはずなのにモノやシーズンによって微妙に似合うサイズが前後する現象何なんですか。パソコンメーカーが「今年はゆったりめに合わせるのがトレンドなのでUSB-Cじゃなく逆にHDMIで繋がないといけない」とかいきなり言ってくるぐらいの無茶ではないのですか。
おお、ポール・ローマーが今年のノーベル賞取ったんですか。これきっかけに経済成長論系の話が日本のメディアや政府にも広まって、「日本経済は衰退するからこれからは心の時代」とかいう意味わからん言説駆逐されて、「ガンガン研究開発投資して経済よくしようぜ」みたいなムードになってほしい。
分野が文系だろうが理系だろうが、手法が量的だろうが質的だろうが、人間対象にした学問勉強すればするだけ、人間や社会に対する理解深まって、「自分も他人も悪い人じゃない」って感覚が得られるの素晴らしいって思うので、他人を悪い人扱いするためだけに学問の理屈使う人と分かり合える気がしない。
日本には「守・破・離」って素晴らしい言葉があって、師から学ぶ型をまず守った後に破って離れることでその分野が発展するわけですし、ノーベル賞はじめ研究では良い「離」が評価されるんですが、最初から教科書疑うだけで「守」が出来てない人、しょうもないオカルトや車輪の再発明にはまりそう。
中国やインド出身の人たちでも優秀な技術者の人件費は国際的にどんどん高騰していて、逆に日本人だと1千万も出せばかなり優秀な人が雇えるというのは世界的に見て超割安である。日本企業みんな、このアドバンテージに気づいて、実践して、価値に変えられるような経営や製品開発をしたらいいのに。
当たり前だけどアメリカ人の99%は東大も京大も知らないし、国際的な評価としてはこのへん、精々ミシガン大とかUCバークレイとかの「良い州立大学」と同じくらいなので、卒業生たちも変にエリートぶらずに「地元の大学で良い教育を受けました」ぐらいの意識でいるのが国際的には正しいんだろうな。
大学ランキング見るとカナダやオーストラリアも「国で一番の大学がアメリカの良い州立大くらい」という壁を突破出来ない中、シンガポールと中国だけはその壁を乗り越えて「英米の超名門校と同等」という評価や業績のアウトプットを出しつつあるので、日本政府もっと危機感持って高等教育に投資すべき。
昔自分の本にも書いたけど、エビデンス上営業職のパフォーマンスはあまりIQとかの認知機能や学歴と相関しないので、職種によっては「世の中学歴じゃねぇ」が当てはまることもあるんだろうけど、教育年数の長さが生産性向上や経済成長促進しうるという実証研究も沢山あるので、要は役割分担なんだろう。
この考え方だと、アメリカ人のホワイトカラーから見て、日本は行政でもビジネスでも万事「ヤンチャなアウトロー」が、学問的な成果使わず努力と根性と個人の機転だけで解決してるように見えるだろうし、「大学時代麻雀しかしてなかったガハハ」系の偉い人たち、確かになかなかヤンチャである。
昔アメリカ人と話してて驚いたんだけど、彼らの学歴観ておそらく日本のそれより数年ぐらいズレがあるようで、学部卒の大人は「ヤンチャなアウトロー」扱い、MBAとかの専門職修士取ってると「手に職つけた」扱い、博士号取ってやっと「ちゃんと勉強してきた」扱いしてもらえるような印象を受けた。
統計学や機械学習身につけるのに「まず○○を最初にしっかり勉強した方がいいんですか?」という質問にはたいていNoと答えてる。「何かわからんけど知りたい結果に関係がある項目見つかった!」とか「何かわからんけど正確に予測できた!」みたいな感動後回しにすると独学者は大抵挫折するので。
大学も、何なら大学院であっても、人間が勉強することに理由なんていらなくて、「なんとなく」でも全然問題ない。自分も今まで「なんとなく」という以外の理由で勉強しはじめたことなんてほとんどないけど、勉強した後はじめてその意味や使い道に気づくし、概ね世の中そういうもんだと思う。
例えば20代の頃半日集中すれば理解できた資料を読むための時間を30代が確保できる機会は週に1度だったり、30代の頃に一週間あれば出来たアウトプットを40代が達成できる機会は四半期に1度だったりする一方、20代の頃1年以上頑張っても実現できなかった話が40代になると電話一本で大きく進んだりする。
日本のテック業界全般もっと先行研究を学んだ方がいい。疫学も知らずに「医療データを収集して病気の発症を予測します!」とか、リーダーシップ研究も知らずに「人事データを収集して優秀な管理職を探します!」みたいな、そういう車輪の再発明試みる人とそれらをつい評価しちゃう人が多すぎる。
大学以降の専門的な勉強では、物理において数学のセンスが問われ、化学において物理の理解が問われ、生物において有機化学の知識が問われたりするんだけど、高校の進路指導はあまりこのへん言及せず、高校までに得意なことをそのまま専攻しようとして苦労する若者をちょくちょく見かけたことがある。