例えば我々「マグロの山かけ丼」みたいなメニューを何の気なしに頼んでますが、海と山と田んぼから食材取ってこないとこの組合せが揃わないこと考えると、人類史上のほとんどの期間で王侯貴族しか食べられないレベルのすごいご馳走だったのでは…と気づき、普段より丁寧にご馳走様を言った。
近年色んなとこからの実証研究で、生産性向上のために心理的安全の重要性が示唆される中、どう考えても若手に「叱られ方」を身につけさせるよりも、「叱らずに改善点や解決策をフィードバックするやり方」を偉い人たちに身につけさせる方が筋の良いアプローチだよなって考えている。
「弊社は労働基準法を採用してない」のいうブラック企業の迷言が話題になってますが、社員みんなが「わかりました。では我々も刑法を採用するのやめますね」って反応したら会社ヤバいでしょうに。暴力、横領、放火、騒乱、ありとあらゆることのペナルティがなくなった北斗の拳ワールドになりますよ。
偉いおじいちゃんたちが教育に何かもの申す際、現代の学校を目にすることもなく、現代の教育を受けた若者に話を聞くわけでもなく、「大昔の自分の学生時代の経験とイメージ」だけで語ってたりすることがしばしばあるの罪深いなって思う。
自分の強み把握する方法としておすすめなのは、周りに「何でこんな簡単なこと出来ないんだよ!」て憤りを感じたことが自分の強みだって認識することだし、逆にそんなノリで人から憤られた際にはラノベの異世界住民みたいな勢いで「ええ!これを簡単だと言い切れる○○さんすごい!」て賞賛したらいい。
最近のWeb界隈ではググラビリティ(googlability)つまり「ググりやすさ」って概念があって、例えば商品名が一般的な単語だとグーグルで見つけにくく、せっかく興味持ってもらっても購買するページにたどり着けなくて不利、みたいなことを指す。ついでに言うとこの問題SNS分析する時にも関係してくる。
少子高齢化について色んなところで何度も書いてますけど、14年前のOECDのレポートで既に「日本はさっさと公的保育サービスの定員増と、子育て世帯への再分配進めんかい」て言われているのになぜかそこに取り組まず明後日の方向の政策取り続けているので人災感が強い。oecd.org/social/family/…
外見いかついのに全くの下戸で烏龍茶頼んでるとこしか見たことない友達が、たまたま知り合った女性と行きつけのバーに行った折に烏龍茶を頼めず、泣きそうな顔で「いつものキングオブドラゴンを!」って頼んだ結果ショットグラス入りの烏龍茶出してもらえた話、本当におもてなしってやつだと思う。
受験シーズンなので早稲田の政経が入試で数学必須化したことが改めて話題になってますが、この流れはどんどん進めて欲しいところ。ずっと前から数学抜きで経済学教えるの難しいでしょうし、政治学でも心理学でも教育学でも、実証研究の考え方を数学ドロップアウトした若者に教える先生たいへんそう。
スタッフをロボットに置き換えた「変なホテル」がロボットの半数をリストラしたそうである。自分の周りでも「人間の仕事をそのままAIやロボットで代替」系が上手く行かなかった相談はしばしばもらって、「そもそもそういう仕事不要にする」方向の方が筋良いんじゃないかって気がしてきてる。
一般論として、学校や会社やめたいっていうレール外れる系の相談を若者からされたとしたら、引き留めるのが大人の役割だと思う。レール外れるタイプの人間の多くは人の助言くらいで踏み止まったりしないし、そもそも相談すらしない。人の助言で止まるタイプはそこで止まっておいた方が良いのでは。
基本的に合理的な大人がお金を払って買うものは「そのお金より価値があると判断したもの」なはずで、買う方と売る方のどっちが偉いということもなく、お互い「良いお取引をありがとう」という間柄なはずなんだけど、売る側になった時には卑屈になって買う側になった時には横柄になるタイプの人、謎だ。
若い頃にお金や恋人や権威を持たないが故の攻撃的な仕事してると、同じ鬱憤抱えた人たちから共感や喝采浴びて成功することもあるんですが、その成功によって色んなもの手に入れた後も若い頃と同じことやり続けてたらいつの間にかただのハラスメントになってしまうの、みんな気をつけた方が良さそう。
日本人だったら子どもに「頑張ったね!」って褒めるような状況で、英語圏の人が「君はリスクテイカーだね!」って褒めているところを目にしたんですけど、こういう細かい言葉の差が積み重なって文化ができていくのだろうか。日本人、頑張るだけじゃなくリスクテイキングを褒められるようになればいい。
「本で読みかじっただけの知識に意味はない」みたいな感じで本から学ぶことを下に見る人たちのことが子どもの頃から不思議だったんだけど、ひょっとして彼らは字は読めても「本から何かを学ぶこと」が苦手で「本読んで役立った経験」に乏しいからそういう発想になるのではという仮説を思いついた。
100万円ていう金額、宝くじ当たらなくてもクイズに正解しなくてもZOZOの社長フォローしなくても、ふつうにビジネスしてれば世界中でビュンビュン請求書や領収書が飛び交う金額なので、そのリアリティが感じられるまではムリに法的に保護された労働者としての権利を手放さなくていいと思うんだ。
独立開業して大丈夫かどうかの目安として、ふつうにフルタイムで仕事してた上での副業として100万円ぐらい稼げるか、ってところがある気がする。「本業が忙しいからお金もらえるレベルでできないこと」はその後仕事に出来にくく、逆に「副業に集中しすぎて本業に支障が出た」ぐらいの方が理想の流れ。
個人だろうが法人だろうが、開業するときには「仕事をもらうための営業・マーケ」「請求やら納税やらする事務」「何らか価値が認められるスキル」の3つについて「最悪自分で何とかできる」状態じゃないと売上は安定しない。故にこれらの仕事に疲弊したから独立するっていうのはリスクでしかないんだ。
「会社を辞めて自由に生きるコツ」というものについて、それを自分で気づくわけでもなく、独学で調べられるわけでもなく、「誰かに教えて欲しい」とか、「同じ悩みを持った人と集いたい」みたいな思考になる人、たぶん独力で商売するのに不向きなタイプが多いので会社辞めない方がいい。
おそらくスポーツに限らず、「同じ努力で成長しやすい」人が何かに成功した際、その人が努力してないわけでもないし、「努力は自分を裏切らなかった」という実感もウソではない。だからと言って自分より成果の劣る他人に対して「努力が足りない」と考えるのは陥りやすい罠だ。
『スポーツ遺伝子は勝者を決めるか』って本によると、プロの指導で同じように筋トレしても筋肉増えやすい人もいればほとんど増えない人もいるし、同じように走りこんで心肺機能すぐに上がる人もいればほとんど上がらない人もいるそうだ。努力の報われ方が人それぞれ違うって話、もっと知られていい。
「○○ばかりになったら国がつぶれる」という話は○○のとこに何いれてもたいてい成立する。国民全員がおっさんばっかりになっても子どもは生まれないのでたぶん国はつぶれる。この対偶考えると、つぶれない国には一定以上の多様性があるってことになりませんかね。
いっぱいリツイート頂いたので出典補足すると、シリコンバレーとデザインの歴史描いた『世界を変えるデザインの誕生』て本の中に出てくるカール・クレメントのエピソードですね。legacy.com/obituaries/sfg…
さらに自分なりのコツとしては、「この世に存在するどんな手段を用いても良いので」っていう但し書きを最初につけ加えるともう一段階発想が広がりやすくなるし、それでもアイデアが広がりきらない時はIPPONグランプリのナレーションとBGMを付け加えると大喜利的な変化球の可能性に意識が向く。
ヒューレット・パッカードの初期を支えたデザイナーが「『新しいトースターを作ろう』ではなく『温かくてこんがりしたパンを得るための方法を考えよう』と言い換えるだけであらゆる可能性が生まれる」という言葉を残してるんだけど、これは大抵の仕事において大事な考え方である。