西内啓 Hiromu Nishiuchi(@philomyu)さんの人気ツイート(新しい順)

最近の若者が「怒られた」ことを「怒られが発生した」って自然災害みたいに言うのいいなと個人的に思うことがある。しょうもないことで怒ってネガティブな感情で過剰に人をコントロールしようとする大人は少なからずいるので「あなたの感情と私がすべき行動は区別すべき」っていう姿勢悪くないのでは。
一応文脈補足するとこの人医学部の先生で、当時の自分に圧迫気味に「○○がなんでかわかる?」って質問してくる時は毎回その生物学的メカニズムに対する理解を問うてきたので、そのマインドセットで咄嗟に答えた結果大惨事になりました、という話であります。
それは申し訳なかったなと思うんですが「何かにネガティブな感情を覚える」というのと「キレて感情の制御ができなくなりその理由の言語化さえおぼつかなくなる」はだいぶギャップがあるし、それが前頭葉なのかはうろ覚えだけど、理不尽にキレる理由は本人の脳機能ではという仮説みんな持ってるといい。
昔、年長者が突然理不尽に自分にキレだして「今なんで怒ってるかわかる?」みたいに質問された際、咄嗟に「前頭葉でしたっけ?確か加齢で前頭葉の機能が弱ると感情のコントロールが下手になって怒りやすくなると学部の授業で習った気がします!」って答えた結果この世の最上級のブチギレに遭遇した。
最近のTwitter、攻撃的なリプライとかして人からブロックやミュートされたりすればするほど他の人のリプライ欄でも表示されにくくなるみたいな仕組みだっていう話を聞いて、自分が誰からも見えてない透明人間状態なのにそれに気づかずリプライ欄で攻撃的に絡んでる人とか想像するとちょっと泣ける。
キングオブドラゴン、正確に言うと縦長なショットグラスに烏龍茶と炭酸水を1対1で注いで、スタッフのノリ次第でグラスの縁に塩がついてたりライムささってたりするのをショットガンスタイルで飲むやつなんですけど、アルコール苦手な人の健康のためにこっそり流行って欲しい概念である。
見た目かなりいかついけど下戸で烏龍茶ばっかり飲んでる友達が、行きつけのクラブのバーカウンターで女の子相手にかっこつけたかったのか「いつものキングオブドラゴン」ってオーダーした結果、空気読んでショットグラスに烏龍茶の炭酸割り出してもらえたってエピソード今でもたまに思い出してウケる。
母校の大学(東大)の学生、メディア的にはガリ勉して入ったキモオタみたいな偏見で描かれがちな気もするんだけど「恵まれた家庭環境でスクスク育ったイケてる男女」が意外と多数派で、そこに「謎にこの世の『学問』という概念がフィットした雑草」とごくわずかなガリ勉で構成されてそうな気がする。
企業がマジメに勉強してきた学生より知人のノートのコピーで単位取りつつ派手に遊びまくった学生採用しがちみたいな現象、個人的にはあかんと思うけど一定の合理性はあって「組織内の情報を素早く入手しまとめる力」と「一部若者の消費体験に関する深い知見」を求めるJTCならマッチするんだと思う。
「やる気でない」くらいの意味で使う「億劫」って言葉もえげつない誇張表現で、仏教だと「100年に一回岩山を布でこすること繰り返して全部砂粒にするまでの期間の一億倍より長い」って話になるし、ヒンドゥー教だとストレートに43京2000兆年とかなのでまだまだ我々はスケールが小さい。 twitter.com/philomyu/statu…
何なら李白も「メンタル凹み過ぎて白髪が9000メートルくらい伸びた」って詠んでるので、意外と歴史ある修辞表現なのかもしれない。
最近のSNSで「5億年ぶりに見た」みたいに数字誇張する表現ちょくちょく見かける気がするんだけど、よく考えたらそもそも我々の国歌自体「推しの家系マジ尊すぎて8千世代くらい栄えて欲しいし、そこまで行くと小石が堆積岩形成して苔生えたりしそう」みたいな誇張表現で出来てる。
そういや今のAIの進歩の一因として「異常な性能のGPUがこなれた値段で売られてること」っていうのがあると思ってて、さらにその理由考えると「コンピューターゲームが儲かる市場が形成されてガンガン投資と量産が進む」という出来事がなければ歴史けっこう変わってたのかもしれない。
分析結果報告した際に「私の感覚と違う」みたいなこと言う人しばしばいて、「ご自身の感覚修正する機会になって良かったですね」と自分は思うんだけど、結局「感覚と違うから分析結果は無視する」みたいな方向に進むタイプもいて、マジ何のためにデータや分析に沢山お金払ってるんだかよくわからない。
世の中の人「ふつう」のハードル高過ぎないかとたまに思うことがあって、そのへん「りっぱ」ぐらいに思ってた方が人生楽しめそう。多くの人が言うふつうのごはん、ふつうのキャリア、ふつうの会社、ふつうの異性とか、冷静に考えるとすごい手間暇かけないと成立しない立派なものだったりしないか。
あれちゃんと実験しようとすると、 ・色んな食材ミキサーにかけて放置 ・上中下の三層を分離 ・それぞれにヨウ素溶液 ・明らかに色が変わる下層を取り出す ・その層を乾かすと粉が得られる ・色の変わらない下層は粉がない ・この粉を沈澱物の粉と呼ぶ ・略して澱粉 くらいは必要だと思うのだ。
例えば中1とかで習う「ジャガイモにヨウ素溶液かけたら紫になるのはデンプンと反応したから」みたいな話も、例えばデンプン以外のものが反応してるとなぜ言えないのかとか、やろうと思えばいくらでもツッコミどころはあるわけなんだけど、そこまでやるとたいへんだからスルーされてるのだろうと思う。
科学って基本「既存の知識を疑い検証すること」の積み重ねで出来てるんだけど、子どもにそのプロセス教えようとするとすごい手間なので高校までは「既存の知識を正しいと受け入れて覚える」形式で教えられており、故に科学を「信じるか信じないか」ってものとして捉えてる大人が少なからずいそう。
星新一の小説で神様を作れと言われた科学者がとりあえず最高のコンピューターに大量の文献や全人類の持つ膨大な神様に関する情報インプットしてそれ模倣するよう処理させたら、最終的になぜかコンピューターが光放って消えて本当に神様らしきものが生まれるって話をChatGPTで遊んでてふと思い出した。
ChatGPT3、「九州にある九つの州を全部教えて下さい」とか明らかに答えが出ないこと聞いても「知らない」とか「そんなものない」じゃなく適当なこと返してくるんだけど、ひょっとして我々の「無知の知」って処理意外とややこしいことしてるんじゃないか、という仮説が芽生えた。
たまに若者から「やりたいことがわからない」って相談されることあるんですけど、あれ食べ物で例えると「学校給食だけ食べてきた人がいきなり『一生ほぼ毎日これだけ食べ続けるものを決めろ』とか言われてもよくわからない」て話なんじゃないかと思ってて、まずは何かノリで食べ歩くのがいい気がする。
過去何度か若者から博士課程に進むべきか相談されたことがあるんですけど、個人的な判断基準として「研究が好きで苦にならない」タイプなら何としてでも進んだらいいし、そうじゃないのになぜか「研究者とか学者とか大学教授の立場に憧れがある」みたいな感じならやめといた方がいいよって答えてる。
ちなみにあの番組でよく「2000人ぐらい集めれば大丈夫です」とか言ってた美添先生、後に日本統計学会の会長もされてる大御所なんですけど、かつて一般向けの場に一緒に登壇させて頂いた際、「トリビアの泉に出てた先生ですよ」っていじったらめちゃくちゃフロア湧いたのすごいことだと思う。 twitter.com/philomyu/statu…
逆にランダム化比較実験バラエティみたいなものが世の中に欲しい。ちゃんと事前に倫理審査通して研究計画登録しといて、ガチで世の中の俗説に白黒つけるようなやつ。例えばダイエット法一つとっても、世の自称専門家たちのメソッドの勝ち負けちゃんとつけるだけでコンテンツ的に面白くできそう。
自分が若い頃『トリビアの泉』って番組では面白仮説に対して1000人ぐらいに調査して検証してたのに、その後『ほこ×たて』では1事例のみで仮説検証してるし、チコちゃんに至っては「専門家の意見」みたいなとこだけでゴリ押ししてくるので年経るごとにバラエティのエビデンスレベル下がってる。