だいたいどんな分野の知識やスキルも、 1)最初は全くわからない 2)ガチ教材何冊かこなしてわかった気に 3)自分で色々やり出すと壁にぶつかり 4)奥深さを噛み締め学び続ける専門家に みたいなステップで進むんですが、「短期間の勉強で専門家に追いつける」って思ってる人、2)の壁を打ち破れてない。
「正論言われただけで人は動かない」という話、基本的に正しいけど「私は正論だけでは動かないからお前ら上手いこと説得せぇ」って姿勢の人は損してるとも思う。自分に正論言ってくれた人に敬意払ってさっさと行動できる人の方が明らかに人にも機会にも恵まれるではないかと。
実は日本人でノーベル賞とった先生方の経歴見ると、その多くは地方の公立高校(含む旧制中学)出身である。こういう突発的に地方に生まれた才能をいかに拾い上げて国際的な研究者に育て上げるかって、国の教育行政の大きな仕事の一つだろう。nikkei.com/article/DGXLAS…
「自分がやられて嫌なことはやめましょう」って教え方、人間同士の異質さや多様性に対して想像力働いてなさすぎるだろう。この教え方だとお酒好きな人がアルハラすることにも、アレルギー持ちの人にその食材食べさせるのも、異なる宗教の人のルール冒涜することにも何の歯止めにもならないのである。
文系は数学の能力全く不問で卒業できて、理系は思想や歴史の知識全く不問で卒業できる大学の仕組みの大きな問題の一つに、その両方を土台にしないといけない「人間や社会を科学的に理解する」「人間や社会のためにテクノロジー活かす」という現代の主戦場に適した人が輩出されにくい点があると思う。
報道全般「行政や立法のダメなところを批判する」側のスタンスが多いわけですけど、逆に年末特番とかで「今年のナイス政策ランキング」「ナイス新法ランキング」みたいな企画やっちゃダメなんだろうか。個人的にはそんな番組あったら超見てみたいんですけど。
台風19号で色んな河川が氾濫した中、「そういやうちの近所の川は大丈夫だったな」って思ったら「○○川 治水事業」って検索してみるといいと思う。意外と十数年前くらいには浸水被害起こってたところでもガッツリ対策されてて、自分たちの生命や財産の安全が単なる幸運じゃないこと知れたりするのだ。
ウサギとカメっていう童話で大事なポイントは、カメが勝負にあたって上手いこと長距離走勝負の合意取り付けた部分だと思う。ウサギはそもそもの生態として日中寝る生き物なので、その時間考慮した場合に勝てるレギュレーションの合意を取ったカメめっちゃ賢い。
最近「使う言葉を一段階だけポジティブ側に寄せるだけでお互い幸せにならない?」って仮説持っている。例えばシャンプーしてもらったりマッサージしてもらったりして、湯加減や力加減聞かれた際に「大丈夫です」じゃなく「バッチリです!」って言うと、それ以降みんな親身になってくれる気がする。
他人に対して平気で「コミュ力低い」とか蔑む人の大半、「自分と同じような人としかコミュニケーションとれない」という点で大したコミュ力ではない。コミュニケーション能力が限界突破すると、仮に相手がコミュ障だろうが互いに気持ちよく意志疎通できるので人のコミュ力など気にする必要がないのだ。
逆に今本気で「役に立たないもの」の例を考えてるんですけど、けっこう難問である。そのへんの小石だって集めたら基礎工事の役に立つし、砂だってガラスや半導体の原料になる。「○○なんて役に立たない」と人のモチベーション下げる発言より役に立たないものがあれば教えて下さい。
一般論として、世の中で言われる「○○なんて役に立たない」という発言のほとんどは、その発言者本人が「私は○○の役立て方を知りません」と言ってるに過ぎないので、もし自分が手に入れようとするものに対して「役に立たない」と言われたとしても基本全く気にする必要はない。
政策のややこしい議論に関する報道より、わかりやすい失言とかの報道の方が多くの人に影響しやすい現状だと、政治家の人の話し方は「何か言ってそうで何も言ってないけど好感度の高いポエム」にするのが最適解になってしまうのも当然であり、個々の政治家以前にそういう社会どうなのって気がしてる。
世の中に少なからずいる主語の大きな話全般、おそらくその正しい解釈は ・私はそういう人とばかり出会いがち ・私は人にそういう態度とられがち ・私は人をそういう風に見がち というあくまで話者が主語の、「私がどう偏ってるか」という点である。
たまたま「弱みの反対に強みがあるからそこを意識しろ」「苦手なこと克服する成長なんて不要」みたいな自己啓発系記事目にしたんですけど、あれ正しさと誤りが半々ぐらいあって、何かの仕事上手く行った人全般「自分の強みで上手くいく環境に巡り会えたのマジ感謝」ぐらいの謙虚さが必要だと思う。
この時期特に、戦時中にどれだけリソース不足の無謀な精神論で貴重な若い命が失われたかみたいな話たくさん耳にするのに、戦前生まれのお年寄りの中に今でもリソース不足の無謀な精神論で貴重な若い人の人生損ねるような主張する人いるの、何か日本社会の潜在的不具合感あってヤバくないですか。
@sadaaki さんに教えてもらって今でもめちゃくちゃ大事にしてるのが「10倍手間かけて100倍売れるもの作りましょう」という考え方である。これ、色んなものが勝者総取り的な仕組みになりつつある現代市場でさらに重要性増してくだろうし、実際我々が制作した書籍は従来の統計学本の百倍買って頂けた。
こないだリクルートが炎上してた「内定辞退確率の予測」てやつ、そもそもそんな予測が必要になる時点で就活市場のメカニズムデザインが、会社側にとっても学生側にとっても上手くいってない状況だとも考えられて、リクルートはこの機会にその筋の経済学者とサービスを再設計した方が良いのでは。
仕事でデータの話をするとたまに「データってのは過去の話だから」ってドヤ顔で話す年長者が出てくるんだけど、可能ならば突然その人にデコピンしたい。たぶん1発目は避けれないけど2発目は避けるだろう。幸い彼は「こいつはいきなりデコピンしてくることがある」という過去のデータから学べるのだ。
プレゼンのコツとして、とにかく最初の数分で「自分が何者で/なぜここにいて/なぜこの話をするに相応しいのか」を伝えるというものがある。端的に言えばまず最低限の信頼を築きなさいということであり、これがなければその後いくらいい話をしても効果が希薄になってしまう。
ドリカムは「ねぇどうしてすごくすごく好きなことただ伝えたいだけなのにルルルルル上手く言えないんだろう」て歌ってましたけど、大人になってくるとどちらかと言えば、すごくすごく嫌なことをやりたくないってただ伝えたいだけなのにルルルルルってなることの方が多くなってきませんかね。
以前「仕事辞めてフリーランスになりたい」って言ってる人の中にしばしば「単に満員電車通勤に疲弊してるだけ」って人がいるって書きましたが、あれ裏返すと会社側は勤務のフレキシビリティあげることで「優秀なフリーランス」を社員として獲得できるチャンスが出てくるってことだとも考えられる。
個人的に面接とか学生時代の活動アピールする方向に大学入試が移行していくの反対ですし、かつてアメリカがそういう方向に改革したのって「筆記試験だけだと大学がユダヤ人やアジア人だらけなるから」っていう人種差別的な意図があったって指摘されてる話は今後何回もしていきたい。
基本的に交通事故の死傷者数って年々減ってるし、交通事故統計見ると例えば子どもに限定してもこの10年間で負傷者数半分ぐらいに減ってるのに、世論は「最近交通事故が怖い」感じになってるの、単に報道バイアスのせいだったりしないだろうか。npa.go.jp/publications/s…
殺人事件とかもガンガン減っててこの20年間で2/3ぐらいにまでなってるので、警察に張り付いてるメディアの方々がショッキングなニュースを求めようとすると、それまで見過ごされていた「悲惨な交通事故」を扱うしかなくなっているのだという考え方もできるかもしれない。hakusyo1.moj.go.jp/jp/65/nfm/n65_…