たまに「インターネットの黎明期は既得権なかったから若い起業家が活躍できたけど今は難しい」みたいな話する大人がいらっしゃるんですけど、いつの世も「若者が活躍できる新しい領域」とは「影響力ある大人から見えてないところ」にあるってだけの話じゃないかという気もする。
たまに自分より年下の男性でも「仕事から帰ったら家が片付いててご飯が用意されてる状況が欲しいから結婚したい」みたいなこと言ってる人いるんですけど、それなら婚活より先に家事の効率化と外注を検討したら良い気がする。ちゃんと家のこと出来ない人はパートナーとして魅力的に思われないだろうし。
長めの文章を書くのに必要なコツは「ボケとツッコミ」みたいな感じで「語る側と質問する側」を脳内に併存させることである。1時間一方的に話し続けられる人はいないけど、1時間インタビューに応じられる人がいるのと同様で、「手短な一言での回答」と「読者が一番疑問を持つところ」を往復させるのだ。
ドリカムは「ねぇどうしてすごくすごく好きなことただ伝えたいだけなのにルルルルル上手く言えないんだろう」て歌ってましたけど、大人になってくるとどちらかと言えば、すごくすごく嫌なことをやりたくないってただ伝えたいだけなのにルルルルルってなることの方が多くなってきませんかね。
統計学や機械学習身につけるのに「まず○○を最初にしっかり勉強した方がいいんですか?」という質問にはたいていNoと答えてる。「何かわからんけど知りたい結果に関係がある項目見つかった!」とか「何かわからんけど正確に予測できた!」みたいな感動後回しにすると独学者は大抵挫折するので。
自分の強み把握する方法としておすすめなのは、周りに「何でこんな簡単なこと出来ないんだよ!」て憤りを感じたことが自分の強みだって認識することだし、逆にそんなノリで人から憤られた際にはラノベの異世界住民みたいな勢いで「ええ!これを簡単だと言い切れる○○さんすごい!」て賞賛したらいい。
「本で読みかじっただけの知識に意味はない」みたいな感じで本から学ぶことを下に見る人たちのことが子どもの頃から不思議だったんだけど、ひょっとして彼らは字は読めても「本から何かを学ぶこと」が苦手で「本読んで役立った経験」に乏しいからそういう発想になるのではという仮説を思いついた。
日本人だったら子どもに「頑張ったね!」って褒めるような状況で、英語圏の人が「君はリスクテイカーだね!」って褒めているところを目にしたんですけど、こういう細かい言葉の差が積み重なって文化ができていくのだろうか。日本人、頑張るだけじゃなくリスクテイキングを褒められるようになればいい。
例えば中1とかで習う「ジャガイモにヨウ素溶液かけたら紫になるのはデンプンと反応したから」みたいな話も、例えばデンプン以外のものが反応してるとなぜ言えないのかとか、やろうと思えばいくらでもツッコミどころはあるわけなんだけど、そこまでやるとたいへんだからスルーされてるのだろうと思う。
かつて日本で色々と嫌なことがあったタイミングでたまたまアメリカに行く飛行機に乗ったんですけど、その日めっちゃ雨降ってるのに当たり前ながら雨雲より高く飛ぶと晴れてるんですよね。それ以降大抵のストレスは「俺の高度が足りてない」って解釈して雨雲の上に飛ぶ方法はないか考えることにしてる。
個人だろうが法人だろうが、開業するときには「仕事をもらうための営業・マーケ」「請求やら納税やらする事務」「何らか価値が認められるスキル」の3つについて「最悪自分で何とかできる」状態じゃないと売上は安定しない。故にこれらの仕事に疲弊したから独立するっていうのはリスクでしかないんだ。
「わかりやすい話」ざっくり言うと、 1)受け手に求める前提知識 2)話自体の長さ 3)厳密さや発展性 のトレードオフを最適化する行為であり「専門外の人向けのわかりやすい話」が上手な賢い人、ある種の諦念で3)の部分ガンガン捨てて「わかった気にさせるのが上手い」って側面しばしばある。
なので世の大人は「頑張れ」「やるべき」とかいう感じじゃなく、「ガンガンインプットしてくの気持ちいいんだぜ…」「考えぬいて答えが見えた瞬間ぶっ飛ぶぜ…」みたいなノリで、この快楽にハマる子どもや若者を増やしていった方がよいのではないかとたまに思うことがある。
なお同様な感じでスタートアップ界隈でよく言われる「ゼロから1を生み出す」みたいな表現についても、1つの偉大な発明を整理すると色んな構成要素や思想的背景や文脈で出来上がってたりするし、普段から0と1の間にある小さな数について認識の解像度あげて行こうぜって個人的に思ってる。
「大学受験のための辛い勉強を乗り越えたご褒美としてそれ以降は勉強しなくても高所得な仕事についてドヤ顔できる」って日本人のマインドセット何とかした方がよい気がするし、「超楽しいこと学ぶ権利を得るための基礎トレとして受験勉強くらいした方がいい」くらいのノリが大事なんじゃないかと思う。
若い頃にお金や恋人や権威を持たないが故の攻撃的な仕事してると、同じ鬱憤抱えた人たちから共感や喝采浴びて成功することもあるんですが、その成功によって色んなもの手に入れた後も若い頃と同じことやり続けてたらいつの間にかただのハラスメントになってしまうの、みんな気をつけた方が良さそう。
似たような概念で「金持ちケンカせず」というのもあるけど、あれも現代において正確に言うと「ただし必要に応じて法的措置はためらわない」みたいな但し書きつける必要あると思うし、場合によっては何かやらかした際のリスクがちょっとした「ケンカ」などよりもえげつないものになることもありそう。
人生のコツの一つとして、可能な限り「この人みたいな人生おくりたい」って大人との接点増やして、「お前みたいな人生おくりたくねぇ」って大人との接点減らすといい、みたいな知恵はもっと知られてもいい気がしてる。
結婚って制度およびその状態に応じた社会の慣習、色んな要素詰め込みすぎて現代の多様性にマッチしてないんじゃないかという気がしていて、少なくとも「ロマンティックな関係のシンボル」「生殖と育児」「財産の共有と承継」「互いにケアしあうパートナーシップ」とか分けた方がよくないかなと思う。
エアコンの温度を27.5度から25度に下げただけで作業効率が4%ぐらい上がる、という研究が本気であるので、社会人の皆さんは「働き方改革だ!生産性向上だ!」と言いながらクーラーをガンガンかけるといいと思う。jstage.jst.go.jp/article/aije/7…
そういや神社お参りする時には口すすいでからとか、刀を見る時には和紙を口に咥えるとか、お線香消す時にも直接息で吹き消さないとか、日本昔から「息は不浄で失礼なもの」って文化があったはずなのに、この騒ぎになる前「接客業でマスクするの失礼」とか言ってた年長者たち一体なんだったんだろうな。
日本の大学が新入生にコンパ生活させてほんの一ヶ月前まで出来てたはずの英語や数学の学習習慣をリセットしたり、日本の会社が新入社員をビジネスマナー研修と飲みニケーションで拘束してほんの一ヶ月前まで出来てたはずの卒論書くスキルリセットしたり、けっこうもったいないことしてませんか。
大学ランキング見るとカナダやオーストラリアも「国で一番の大学がアメリカの良い州立大くらい」という壁を突破出来ない中、シンガポールと中国だけはその壁を乗り越えて「英米の超名門校と同等」という評価や業績のアウトプットを出しつつあるので、日本政府もっと危機感持って高等教育に投資すべき。
あとPerl開発したラリー・ウォールも言うようにプログラマーの美徳は「怠惰・短気・傲慢」なので、初等教育の思想的なプロトコルをこっちサイドに寄せてこないと、最悪の場合「本来向いてたはずの子がプログラミングを嫌いになる」という結果にもなりそう。
殺人事件とかもガンガン減っててこの20年間で2/3ぐらいにまでなってるので、警察に張り付いてるメディアの方々がショッキングなニュースを求めようとすると、それまで見過ごされていた「悲惨な交通事故」を扱うしかなくなっているのだという考え方もできるかもしれない。hakusyo1.moj.go.jp/jp/65/nfm/n65_…