例えば他の大学の学部出た人が院から東大来ることを「学歴ロンダリング」って言うみたいな話がTLに流れて来たんですけど、逆にそういうこと言ってる人全般「大学入試シグナル差別主義者」なんじゃないかと思うし、大学院以降に学ぶ学問について一切イメージ出来てないのではないかって心配してる。
ある世代にはかっこいい扱いされてた文化が下の世代から見てダサく感じられる一因として「自分の周りにいる尊敬出来ないタイプの大人が好きそう」っていうイメージと結びついた「負のロールモデル」みたいなメカニズムが存在してるのではないかという仮説を持っている。
元々ふつうに風邪と言われるものの15%くらいもコロナウィルス由来で、病原体の種類を問わず「風邪こじらせて肺炎になる」のは特に高齢者にとって危険な状況である。新型コロナウィルスの怖いところはこの「こじらせやすい風邪」だという前提、あまり世間で共有されてなくない?という仮説を持った。
『はじめてであうすうがくの絵本』という名著の中でも数の概念の導入として「せいくらべ」って話が出てくるんですけど、数量的思考は適切に運用すれば時間や空間を超えて色んな物事を比べて判断できる素敵なものなので、みんなちゃんと身につけていこうぜって思ってる。amazon.co.jp/dp/4834009084
多くの人はそう言われると断念するけど、逆に大抵の人類が思いつく製品は理論上「無制限にリソースつっこめば可能」というところに勇気がわきませんか。そういういくつものアイディアの中からたまたま技術の進歩によって「あ!今なら案外現実的なリソースで!」っていうのが新事業のネタになると思う。
@iida_yasuyuki 余談ですが、自分がジビエ系のお店で初めてワニの尻尾食べた時には「おそらくこれがドラゴンボールで少年時代の悟飯が食べてた恐竜の尻尾に近いやつ!」ってテンション上がってました。
公人が何か言って炎上してる時、元発言の全文まで遡ると意外とまともな話してるところの一部切り出されて、逆の意図のヘッドラインつけられてたりするんだけど、あれやってる報道の人たちはそれが正しいと思える程度のリテラシーしかないのか、それとも思想やビジネス上の理由で敢えてそうしてるのか。
受験シーズンなので早稲田の政経が入試で数学必須化したことが改めて話題になってますが、この流れはどんどん進めて欲しいところ。ずっと前から数学抜きで経済学教えるの難しいでしょうし、政治学でも心理学でも教育学でも、実証研究の考え方を数学ドロップアウトした若者に教える先生たいへんそう。
他人からの切実な相談に対して「あなたは自己肯定感を高めないとダメだ」みたいな説教してる人見たことあるんですけど、あれどう考えても矛盾してるだろう。本気でそう思うならまず「私を信頼してくれてありがとう!そこまで問題を言語化できてるのすごい!」くらい相手を肯定した方がよさそう。
何なら「全然割れない」「最悪捨てることになっても惜しくない」という特徴のためおそらく母が幼児にも使わせやすいな…と判断したんだろうと思うんだけど、自分が物心ついて以降最初に自分で牛乳飲んだコップが「モロゾフのあれ」なので、長年ありがとうございましたという感謝しかない。
近年色んなとこからの実証研究で、生産性向上のために心理的安全の重要性が示唆される中、どう考えても若手に「叱られ方」を身につけさせるよりも、「叱らずに改善点や解決策をフィードバックするやり方」を偉い人たちに身につけさせる方が筋の良いアプローチだよなって考えている。
Amazonの注文履歴をCSVでダウンロードできるChrome拡張の存在とか1年間すっかり忘れてたけど超便利だった。1年後の自分のためにドキュメント更新しておこう。forest.watch.impress.co.jp/library/softwa…
COVID-19が絶妙にタチ悪いポイントとして重症化率とか死亡率とかを「平均」でまとめて把握するにはあまりに年代別リスクが違いすぎるってところもある。平均すると致命率1%ぐらいだけど、30代までなら「かかっても重症化するリスク0.1%未満の病気」で70代だと「かかると22人に1人が死ぬ病気」なのだ。
十分親しい間柄なら呼び捨てもニックネームも好きにしたらいいし、同じ組織に所属してアイデンティティ共有できるなら国会やジャニーズ事務所に準じて年齢性別問わず「~くん」、公的な場で専門家同士が呼び合うなら「~先生」、それ以外は全部「~さん」でいいんじゃないかと前から思っている。
「大学院生が自分の研究の話に興味持ってくれた異性好きになる」みたいなtweet見かけたんですけど、学者同士だと性別問わず相手の研究に興味持ってしまった場合、プライベートな時間がいきなり学会発表後の質疑応答みたいな緊張感持ち始めたりするので「好き」とか言ってられないよなと思った。
昔から言い続けてるんですけど、福祉って「かわいそうな人を救うため」ではなくて、彼らが追い詰められて治安脅かすっていう社会的に大きな損失に対する、人類が過去に色んな失敗した後やっと辿り着いた効率的な対策である。個々人の悪事よりそれ防止できる社会の仕組みを議論したい。
学問全般、「勉強しなくても合格しました笑」みたいな踏み台に使っていいようなものではなく、きちんと勉強すれば何かしら仕事や社会やプライベートが豊かになるものだと思うので、学ばないことが格好良いみたいな雰囲気蔓延させない方が世の中良くなる気がしてる。
40代で早逝された恩師から、 ・20代はインプットのことだけ考えろ ・30代になるとガンガンアウトプットしろ ・40代になるとチームを作れ って昔教えてもらって、これらをちょっとだけ早めに実現してきたのが自分の人生なんですけど、この続きは「50代になると組織作れ」なのかもしれないと最近思う。
もし体調悪くて何らか収入の面で仕事休みにくいと感じてる人がいたら、保険証に書いてる番号に電話して「傷病手当金」について確認することをおすすめしたい。バイトでも派遣でも有給使いきってても、社保に入ってる限り4日以上休む場合の所得の一部が補償されるはずである。 kyoukaikenpo.or.jp/g3/cat310/sb30…
世の中の人、人の頭について「賢いか否か」って方向で評しがちだけど、それより「学ぶ人か否か」ってところに注目した方がいい。今時点で何かを分かってるかとか、人から賢く見られてるかどうかより、自分が何わかってないか認識して学び続ける人の方が素敵だし中長期的には何かを成し遂げられそう。
未だに検査の意味や解釈について世の中に理解のギャップあるなって思ったのと、この話理解しとくと機械学習技術を評価する際にも役立つなって思ったので、特別連載第2回では感度と特異度の話書きました。 cakes.mu/posts/29803
どうせ定期的にあたらしい「ヤバい風邪」が生まれて大流行することは今後も十分ありうるので、この機会にみんなめちゃくちゃちゃんと手を洗って、体調崩した人はちゃんと当たり前のように家で休める社会にしておく、というのは中長期的なパブリックヘルス上すごく重要になっていきそう。
「うつる」って性質の病気がある以上、「病気だけど頑張って職場に出てきて働く」という行為が日本で長年美徳とされてきたの割とマジで謎で、このご時世では美徳どころかけっこうな害悪である。この期に検査も診察も関係なく熱や咳ある人は「家で休むのが義務」って方向に価値観変わっていって欲しい。
新しい分野のこと勉強しようとAmazonのレビュー見つつ本漁ってるとどんだけ高評価な本にも否定的なコメントついてることあって、初学者向けに全体像概説する本には「浅い」、フォーカス絞って詳しく説明する本には「視野が狭い」、全体像詳しく説明する本には「わかりにくい」って書いてる気がする。
あれちゃんと実験しようとすると、 ・色んな食材ミキサーにかけて放置 ・上中下の三層を分離 ・それぞれにヨウ素溶液 ・明らかに色が変わる下層を取り出す ・その層を乾かすと粉が得られる ・色の変わらない下層は粉がない ・この粉を沈澱物の粉と呼ぶ ・略して澱粉 くらいは必要だと思うのだ。