政策のややこしい議論に関する報道より、わかりやすい失言とかの報道の方が多くの人に影響しやすい現状だと、政治家の人の話し方は「何か言ってそうで何も言ってないけど好感度の高いポエム」にするのが最適解になってしまうのも当然であり、個々の政治家以前にそういう社会どうなのって気がしてる。
この数ヶ月に何回かマジで衝撃受けたんですけど、多くの人の生死がかかっている状況ですら、人の生死より「社会の中で自分がデカい顔したい」みたいなモチベーションを優先する方々がちょくちょくいらっしゃるようなので、昔漫画で読んだ「吐き気を催す邪悪」という概念について考え方を整理している。
最大限好意的に解釈しても、世界のビジネスには「安い人件費で枯れた製品を効率的に作る発展途上国の勝負」と「高い人件費で優秀な人集めてイノベーティブで儲かることする先進国の勝負」という二種類のゲームが存在していて、「発展途上国の勝負しかわかりません!」という話になるのではないか。
ITスキルの成長に「エラーが出たらちゃんと読んで調べて対処する習慣」というのめちゃくちゃ大事だと思うんですけど、以前謎に本気でエラーメッセージ全く読まない人たちに理由聞くと「自分の非を認めざるを得ず嫌な気持ちになるものは読みたくないから」と言ってて驚いたことがある。
相手を羨ましいと感じた時に、本当に羨ましがるべきポイントを的確に羨ましがれるかって大人として大事だと思う。自分のやりたいこと上手くやってのけた誰かに対して、運とか生まれとか才能とかじゃなく、自分の中にない考え方とか勉強してきたことを見つけて羨ましがる。これを敬意を払うと言う。
立法や行政に関わる人がGoogle Scholarでちょっと調べて見つかる程度の先行研究すら見ようとしないとか、そういう人たちばかり集まった会議だけで重要な意志決定することがあるのって本気で問題だと思っていて、せっかくEBPMとか言いながら「独自の謎データ」を集めようとするの本当にもったいない。
ChatGPTが話題になってたので「仮に行動経済学で有名なひっかけ問題とか聞いてみたらどうなるんだろう…」って試してみたら見事に想定通りに間違えており、めちゃくちゃ人間らしいとも言えるし、それは果たして知能なんだろうかと考えると難しいところである。
こういうギャップって今も存在していて、例えば新規事業のアイディアを募っておきながら、極めて理に叶った素晴らしい企画書が出てきても「成功事例を見たことがないから」みたいな理由で却下する人がいるんですけど、もともと人類こういう人が多かったと考えればまあしょうがないよね。
最近のWeb界隈ではググラビリティ(googlability)つまり「ググりやすさ」って概念があって、例えば商品名が一般的な単語だとグーグルで見つけにくく、せっかく興味持ってもらっても購買するページにたどり着けなくて不利、みたいなことを指す。ついでに言うとこの問題SNS分析する時にも関係してくる。
産業史に関する資料見てると、「賢い若者が短期間取り組んで成果出せる意味のわからん領域」っていうのが大きなイノベーションや儲け話のネタになる時っていうのがしばしばあって、常に「今の時代で言えばそれが何か」って意識しておくのは若者にとっても大人にとっても大事そう。
基本的に合理的な大人がお金を払って買うものは「そのお金より価値があると判断したもの」なはずで、買う方と売る方のどっちが偉いということもなく、お互い「良いお取引をありがとう」という間柄なはずなんだけど、売る側になった時には卑屈になって買う側になった時には横柄になるタイプの人、謎だ。
今まで色んなメディアに関わらせて頂いたんですけど、同じ情報を伝える上で「文章」のコスパが異常すぎる。文章経由で学べる力があればたいていのことはそれほどお金かけずに学べるし、資金にもご縁にも恵まれてない人でも、アウトプットすべき知恵と文章力があれば世に出せるのってすごいことだ。
世の中の「アドバイス」にはある種の逆選択的なとこがあって、有益なこと教えられる人ほど自分の人生に忙しいし「人に何かを教えたい欲」が充足されてるので見知らぬ人にアドバイスしたりしない一方、大したこと言えない人の方が暇で「教えたい欲求不満」からいらんアドバイスしがちという偏見がある。
9月入学に関してのワーキンググループで「教育の経済学」の中室先生が発表したスライドがめちゃくちゃ大事な話だと思うので共有したい。臨時休校で授業時間減ると将来の年収減るリスクも示されてるので、人の親として学校には減った分の授業時間補うことを強く求めたい。 drive.google.com/file/d/1wGoEJP…
それがどれだけ得な行動であれ人に新しい行動取らせるのたいへんって例として「毎年知人に薦めても花粉症の舌下免疫療法誰も受けねぇ」というものがある。自分はスギに関してはほぼ完治したし、保険適用でコストも大してかからず科学的根拠も揃ってる。それでもみんな毎年受けずに花粉症を愚痴るのだ。
緊急事態宣言受けて色んなもの中止したり制限受けるのはしょうがないにしても、少なくとも「突然止める金銭的リスク」と「それを予見するためのコスト」くらいは政府が負った方がいいんじゃないかって思った。そうじゃないとしわ寄せ行くの社会で一番立場の弱い側になるんじゃないかなという気がする。
個人的には、物理的だったり心理的な安全性確保された状態で健全に話しあえる状態こそが本性というやつじゃないかと思ってて、高ストレス下で多少何かやらかしても「大変だったねー」って思うだけだし、自分が付き合う人に対しては極力「安全な状態の本性」を出し合える間柄でいたいと思う。
日本には「守・破・離」って素晴らしい言葉があって、師から学ぶ型をまず守った後に破って離れることでその分野が発展するわけですし、ノーベル賞はじめ研究では良い「離」が評価されるんですが、最初から教科書疑うだけで「守」が出来てない人、しょうもないオカルトや車輪の再発明にはまりそう。
分野が文系だろうが理系だろうが、手法が量的だろうが質的だろうが、人間対象にした学問勉強すればするだけ、人間や社会に対する理解深まって、「自分も他人も悪い人じゃない」って感覚が得られるの素晴らしいって思うので、他人を悪い人扱いするためだけに学問の理屈使う人と分かり合える気がしない。
元々肺炎って先進国の死亡要因としてウェイト小さくなくて、高齢者に多い誤嚥性肺炎除いても例えば2018年(公表済み最新の人口動態統計)では日本で9万人ぐらいが亡くなってるし、1,2月はそのピークであるって話知ってるかどうかで、「新型肺炎で何人亡くなった」という情報の捉え方変わってきませんか。
実は前から内心気になってたとこなんですけど「脊髄反射コピペ人間」みたいな人世の中に紛れてませんか。文脈関係なくこちらが言った話の単語に反応して「それらしい聞き飽きた決まり文句」を発声することでコミュニケーションしてる感出してくる人。あれひょっとしてAIで実装されたNPCとかなのか。
100万人中2.5人に強いアレルギー反応、というリスク解釈を元英国王立統計協会会長の本をもとに計算すると、 ・1年間に不慮の死を遂げる確率の2.5倍 ・107km散歩して死ぬ確率と同程度 ・これがバイク運転だと28km分 ・マラソンに出場して死ぬ確率の約1/3 である。 www3.nhk.or.jp/news/html/2021…
例えば20代の頃半日集中すれば理解できた資料を読むための時間を30代が確保できる機会は週に1度だったり、30代の頃に一週間あれば出来たアウトプットを40代が達成できる機会は四半期に1度だったりする一方、20代の頃1年以上頑張っても実現できなかった話が40代になると電話一本で大きく進んだりする。
教育の大きな仕事として「3つ以上の概念」とか「2つのことの間のグラデーション」に意識が向けられるってところがある気がしてる。逆に言うとそのへん欠けてるのか万事ステレオタイプに「男と女」「日本人と外人」「資本家と労働者」みたいな二分法でしか物事捉えられない人けっこう見かけませんか。
ちなみにあの番組でよく「2000人ぐらい集めれば大丈夫です」とか言ってた美添先生、後に日本統計学会の会長もされてる大御所なんですけど、かつて一般向けの場に一緒に登壇させて頂いた際、「トリビアの泉に出てた先生ですよ」っていじったらめちゃくちゃフロア湧いたのすごいことだと思う。 twitter.com/philomyu/statu…