日本だと、小泉政権の時、広告代理店の報告に基づきテレビでもワイドショー、紙媒体ならスポーツ新聞と政治的に動員しやすい有権者に特化したメディアに向けたマーケティング的が露骨に始まり、更に自民下野あたりからwebはユーザー特性により細かく対応した動員に寄与している。 twitter.com/hiranok/status…
ゼレンスキー演説の危なかっかしさは外国の大統領とはいえ動員の話術を持つ政治家の本気のプロパガンダ演説が国会で行われテレビ中継されること。そういうガチに慣れていない日本の有権者の持っていかれ方や報道の扇動のされ方は要注意。
ゼレンスキー演説、ひたすら情緒に訴え、反核に連なる広島長崎でなく「サリン」「原発事故」で戦争の記憶を代替し、日本をロシアの侵略戦争にアジアで最初に抗議した国と持ち上げる。まるで日本を侵略戦争の歴史から解放しアジアのリーダーと持ち上げるようでもあり、実に巧妙。
国々で受け手がそう記憶したい歴史認識で戦争を語り、歴史を修正し「みんなの戦争」化する技術はまさに動員の話術で圧倒的。煽るだけじゃないギアチェンジも得意とするところ。抑えた口調は多分左派にも好評のはずで救いは山東昭子の打ち震える声のスピーチで、これで少しひいて醒めた人もいたのでは。
ゼレンスキー 、北米では扇動、ドイツでは挑発、日本では「感謝」と「持ち上げ」と政治家のメンタルを計算しきった動員技術に唖然とするが日本人がどれだけ「日本スゴイ」と言われたがっている承認欲求の強さを見抜かれていて、そこはほんと恥ずかしい。 が。宗雄も立憲も志位さんまでもってかれた。
しかも日本、復興支援お願いな、とトランプ、プーチンだけでなくゼレンスキーからもATM扱い。 まあATMに徹するという安全保障もあるのか。 と、つい説得されかけもする。恐るべし。 twitter.com/MiraiMangaLabo…
日本が「侵略戦争」とロシアを罵りアメリカは民間人殺害を「戦争犯罪」に認定する。新しい戦争はかつての戦争を内省する抑圧からかくも開放するのか。それが同じ愚を繰り返す理由なのだと呟き記憶する。
安倍や岸田の外交力を自賛してきたが、主要国の首脳が最悪の事態回避のための外交に必死の中、日本はゼレンスキーに戦争終わったら金出せやと言われるのみで、要はこの瀬戸際の外交への参与は国際社会から期待されていない、という日本外交へのリアルな評価をもう少し現実のものとして受け止めないと。
「本当の戦争」を回避する外交に各国が奔走する中、世論は憲法九条に「平和ボケ」とマウントを取るのに熱心だが「前文」から読み取るべきは武力でなく外交で国際社会に貢献していくことで、それを放擲してきたから今、出番がなく、そこに気づかず「内政」の改憲論に熱心な方がどれほど「平和ボケ」か。
僕が保守論壇にいた時、何を書いても結びは戦後民主主義、憲法九条が行けないで締めればいい、と言われた。僕はそれで保守論壇で戦後民主主義を肯定的に語る選択をしたが、この「なんでもいいから戦後民主主義批判」が今のこの国の暗黙のうちの言語空間の基調に確実になっていることは申し添えたい。
このバリエーションとして「日教組」「戦後教育」が悪い、というのもあった。
今、九条や平和主義について肯定的に呟く言葉を飲み込み口を噤むと、後悔するか、それを心の中で正当化するために「転向のロジック」を捜すことになる。 「確かに平和は大事だが」の「確かに」と「だが」はいらんです。「現実」を口実に平和主義へのマウントを取る人らの「現実」も。
ウクライナ戦争を機に考えるべきは、軍事でなく食料やエネルギーの自給で、輸入に依存し続けるなら、そうならないための外交がいかに必要かということなんだけどなあ。改めて戦時下リスクがあらわになった原発の再稼働論でもなくね。
ニュースでウクライナ市民が市内にとどまり市街戦のため銃を持ち皆で火炎瓶を作る様が「美談」として日本でも報じられているが、これは自発的な「玉砕」の準備に等しくこの時代錯誤的な姿が改憲論などの情緒化、感情化に与える影響は大きい。戦争に感動を求めたらダメだよという自制が報道に欲しい。
戦いの準備をする姿に感動し高揚することは、殺すこと、殺されることに高揚し、感動することなんだよ。 その錯誤が戦争自体を美しく見せてしまう。とにかく、戦争に「感動」を付与しちゃダメだがオリンピックで国旗降って感動する条件付けがされてるしなあ。 twitter.com/MiraiMangaLabo…
ゼレンスキーや報道の垂れ流す「美談」で平和主義を簡単に捨て戦争に感動を求め自分もこうありたいとあっさり思ってしまう方の「平和ボケ」をなんとかして欲しい。あのさ、戦時下って「美談」の山で、誰もが戦争で感動したいって待ち構えているとても気色わるい光景がかつてもあったんだから。
キエフ市民がキエフにとどまり銃や火炎瓶で戦い準備をする姿を見ても、僕は杉並区や三鷹市や吉祥寺を守るために市街戦に参加しようと思えない。「国土」や「郷土」としての「国」を「自衛」するつもりでも、市民の死をもって実際に守ろうとするのは「政権」や官僚システムなんだけどね。
国のため、郷土のために戦う、死ぬ、というと陶酔できて気持ちよくても各市町村の首長の顔思い浮かべて、武蔵野市にために戦う、小池百合子の下で戦って死ぬ、って考えるとあまりならんでしょう。 なる人もいるかも知れんが。 twitter.com/MiraiMangaLabo…
戦争が起きた時、自分に何かできることはないかといったら、ないし、できることは戦争に参加することだけで、あとは「参加しない」が唯一できること。対して、戦争が「始まらないように」できることはいくらでもある。
報道は戦争が心底嫌になるニュースも日本ではいくらでも流せるのに、なんで戦争に感動するニュースばかり流すのか。 そのことにも冷静になった方がいい。
Yahooニュースのコメントには仕方ない、当然が上位に並ぶ。理研の短期の成果主義が小保方問題の背景にあったことやノーベル賞受賞者がこぞって基礎研究の重要性を訴えて来ても全く顧みらないことに驚く。  news.yahoo.co.jp/pickup/6421991
ロシアのウクライナへの侵略に憤る人らが必ずしもかつての日本のアジアへの侵略に想像力が及ばないのが不思議でならない。侵略された側の憤りは同じはずなのだが。普遍的であろうとしない戦争を語る言葉は信頼できない。
イラク戦争では侵攻する側、ウクライナ戦争では侵攻される側と常にアメリカの側の視線から戦争を観るだけで、侵攻され市民に犠牲者が大量に出ている側に普遍的に立ちそういう戦争を全て否定すべきなのにそうではない今回のロシア限定の侵略戦争批判はいささか恣意的だといってもわからないんだろうな。
ウクライナ戦争に関する言説か地政学と戦争美談に二極化していることにも注意しておくこと。地政学と美談はわかりやすく戦争を大衆に説き に動員する第二世界大戦でも活用されたツール。美談に感動し地政学という大きな物語で理解した気になる。いわばセカイ系と同じ思考回路。
戦時プロパガンダの原則は戦争という複雑な現実を考えるのが面倒な人々にいかに単純で感情にうったえるシンプルなスキームや言説とそのための加工した情報を与え考えた気にさせるかにある。だから戦時広告は戦争が終わるとしばしば間抜けに見える。