政治家、特に首相などのトップが公の場でその政治責任についてメディアにきちんと詰問や叱責されることは、かわいそうでも揚げ足取りでもなく、最低限の民主主義。 タレントの不倫の吊し上げと全く違う。
穿った見方かもしれないが自分の意思で残った少数の邦人が本当に自分に意思か確かめようが今はなく、政府機関だけは早々に脱出、協力者らも危険が迫る中とり残される様をみて、ああ、こうやって満州移民は放置されたのだなあと、開拓民だった父親の話が改めて生々しく感じる。 news.yahoo.co.jp/articles/89f9e…
出版の世界で取次が消えると説明は省くが単に中間業者が消えるのではなく「金融」の役割を果たしていたので出版社の資金繰りにも関わってくる問題。中小の出版にとどめを刺したり業界の大手中心や大手同士の合併など再編が一挙に進むかもしれない。 news.yahoo.co.jp/articles/a872b…
コロナ感染者が激減したのはいいことだが、感染者が適切な治療を受けられず自宅でいく人も死んでいったのはほんの一月かそこら前だよ。あれはパンデミックだから仕方かったではなく明らかに「失政」で、責任は選挙で問われてしかるべきだろうに「終わったこと」にどこかなっていないか。
自民勝利、立憲惨敗をもっともらしく野党共闘の失敗として論じているが要は時代錯誤の「反共」キャンペーンを与党が仕掛け報道・維新・国民が乗っかり有権者が生理的に動いたというレベルの問題で、政策や体制選択などという大仰な立論や論争があったと言い繕うのは殆ど歴史の捏造ではないか。
月刊Hanadaに評価される国民民主。 晴れてあちら側。 twitter.com/HANADA_asuka/s…
報道で蓮舫あたりの与党糾弾場面の切り取りばかり流し「批判ばかりの野党像」を作って、「そうではない」野党像が求められそれが維新だっていうこのシナリオってまさに「工作」だよなあ。「反共」世論作りとか含めやってる方は、「陰謀」でなくマーケティングの感覚なんだろうな。
危惧していた通り子どもの権利を守るためではなく「伝統的家族像」とやらを推進する組織になりそう。「暮しのファシズム」(生活への「国家」の介入)はコロナを準備期間として経てあからさまになってきた感がある。親学とかいい出しそう。 nordot.app/84341397947827…
関西に出張しているとウンザリするのが「維新・吉本的言語空間」。週末朝から吉村、読売テレビに出ずっぱり、さりげなく小池百合子をディスりつつ(まあ、それはいいけど)維新やってる感を頼もしく演出。そりゃ選挙、圧勝する。この「維新・吉本的言語空間」、誰か正面から批評の対象にするといい。
翼賛体制下、いかにまんが家自身が自らを動員し、かつ、読者を動員することに加担もしたか。この本や「大東亜共栄圏のクールジャパン」で描きたいのは戦争の被害者としての漫画家でなく、協力者、もっと厳しく言えば「加害者」としての漫画家です。 人事ではないんだよ。 book.asahi.com/jinbun/article…
著者的に近所の古本屋に自分の本があるのは実は嬉しいがブックオフに大量にあるとなんだかなと思う。同じ「古本屋さん」と思うかもしれないがブックオフの株主は大日本印刷、丸善、講談社、小学館、集英社といった面々で、新刊の売り上げを確実に減らし著者を疲弊させる事業で配当得ているからです。
他国の戦争にフリーライドした戦時下気分に口先いさましく高揚するさもしさよ。何も出来ないのならせめて平和を祈れ。
たかだか国家のために総動員されて死にたくない、死なせたくないと一瞬でも脳裏をよぎったらそれを素直に認め、心に刻み、忘れそうなら紙にでも書き、そこからこの作のための、倫理でもし思想でも文学でもなんでもいいから、日々の言葉を作り直す起点にする。徒労に思えても。
ヤフーニュースのコメント欄、すっかり出征兵士を送る「銃後」化しているが、政府は「ボランティアで戦争参加」を黙認するのか。ジャーナリストや医師が戦地に命がけで行くのと根本的に違うんだけど。 news.yahoo.co.jp/pickup/6419712
重要なのは「銃後」感の高揚で安全保障や様々な政治判断、政治的選択を戦時モード化することが正しい判断なんだという世論をつくる「過ち」を侵さないこと。それで間違えた歴史がある。有権者として「平時」の冷静さを保つことが必要。
朝の番組。「ロシアはウクライナの解放を名目に侵攻し」「侵略されたウクライナの怒りは消えない」といった意味のコメント。今回の当たり前すぎる解説としてなのだろうが侵略の大義と、された側の怒りはいつの時代も変わらない、と自らの歴史を振り返ることぐらいテレビのこちら側の私たちはできる。
安倍晋三が当時自賛したプーチンとの信頼関係を築き、報道されたように外交で各国の信頼を得ていたなら、皮肉でなくその影響力を行使しすべきだが「核共有」発言という率先して世論を戦時モードに焚きつける様に、あれは虚像だったと自ら認めているようも思える。
プーチンが核をちらつかせているどさくさで、核共有を世論としようとするさもしい政治を支持することと、だからこそ核を持たない側の代表であるべきだとこの国があたらめて選択し表明することのどちらがたった今ウクライナの人々感じる恐怖を共有することになるのか、考えればわかる選択なのに。
他国の戦争に現実に私たちが個人でできるのは自らの国のかつての戦争や今の私たちの戦争観の倫理的な問い直しぐらいで、繰り返すけど他国の戦争にフリーライドした戦時下的高揚を持ってではなく、ウクライナと違い「ここ」は「平時」という冷静で残酷な事実を噛み締めて。
この戦争に対し無力な私たちができることは、だからこそ戦争を止められるのはその国の主権者だけであることの再確認と、だからそこにはいかなる政治家や政治体制を選ぶか、選択を誤っても政治の暴走を抑止できる法秩序になっているか、そして有権者がいかに理性的に政治選択ができるかということだけ。
今、欧州でも日本でも起きているのは「プーチンによる世界像の書き換え」で、それはウクライナの主権の変更の有無だけでなく、日本が煽られ憲法を改定したり非核三原則を放擲したりすることは「覇権主義のゲーム」が唯一のルールの世界像作りに「貢献」することにもなってしまう。
この国が核を持つということは、政治のトップにそれを盾にした今のウクライナのようなぎりぎりの交渉の場に私たちの命を預けて核のボタンを持たせ立たせるということも意味し一体、与党の顔ぶれを見て一体誰がその任に耐えられるのか。そこまで含め考えたほうがいい。
ウクライナも木村さんの死もあらゆる悲劇に乗っかって自分らに都合のいい政策に持っていくのがどの政党なのか。人としてダメだろうし、罪とはそう言うことを言う。 lite-ra.com/2022/03/post-6… @litera_webより
ウクライナを見て考えなくてはいけないのは「侵略されたらどうする」と核や改憲を語ることでなく「侵略しない国でいるにはどうする」なんだ、とやはり言うべきだろう。 言う。
ロシアの横暴を見ながら「戦前戦時下の日本みたいになるのは嫌だなあ」と思わず「戦前戦時下の日本」にいかにこの社会を近づけようとするのか、あれこれ言い出す、その感覚が僕にはわからない。