自粛でなく「飯を食う」ことで成り立つ権力や政治そのものをこの機会に終わらせて欲しい。 news.yahoo.co.jp/articles/bbd85…
よく、国を愛して何が悪いという人がいるけれど、国は愛するものでなく、愛と関係なく適切な運用に参加すべき制度です。その参加と運用の方策を民主主義という、とてもシンプルな問題。
「JASRACは2016年には絵画やマンガ、小説など音楽以外の著作権管理への進出に意欲」 JASRACがまんが著作権を一括管理したら二次創作から書籍での引用までことごとく著作権使用料を求めてくるだろうし電子書籍の著作権管理に介入して「中抜き」とか、碌な事にならんぞ。 buzzap.jp/news/20210305-…
「オリンピックに反対」といった声が聞こえてきた直後に音声が約30秒間途切れ、音声が戻った時には反対などの声は聞こえなくなっていた。 これやった時点でNHKは民主主義の敵に堕してしまう。中国で突然海外ニュースの映像や音声が途切れるのをもう日本は嗤えない。 news.yahoo.co.jp/articles/3bd90…
この菅の有権者を舐めきった態度の根拠が、希望的観測でなく、多分そうなんだろうなあ、というところがなんとも。
コロナ対策で露わになったのは首相から知事まで彼らの考える政治が「下々に言うことを聞かせる」でしかないこと。この惨状も自らの「失政」でなく「オマエらがいうことを聞かなかった結果」であり自らに責任があるとは微塵も思っていない。だから「もっと言うこと聞け」以外の対策は出てこない。
ニュースサイト覗くたび、小池・吉村が競うように「8時以降は店の明かりを消せ」「個人の行動を義務化する法律を作れ」と言いだし「暮しのファシズム」が「比喩」や「批評」でなくもの凄いスピードで現実になっていくようで正直、恐ろしい。
朝の番組、やはり「行動変容しない国民」を批判し「行動変容しない政権や知事」を批判しない。テレビをジャーナリズムととうに呼べないが、テレビの報道が権力を監視する装置でなく国民を監視する装置になって久しいがそれが報道のあり方なんだと思い込んでいることが始末が悪い。
休業要請で消費の対象を「生活必需品」とそうでないものに分け後者を規制の対象とするが「贅沢品」「生活必需品」の区分そのものが総動員体制に向けた経済統制の思考法なのに。つまり、今やっているのは「経済統制」 だということ。 「贅沢は敵だ」の標語はこの時のものだと忘れずに。
志位和夫が演説で厚生省の内部文書に言及している。「PCRの拡充は医療崩壊につながる」という喧伝されたロジックの発信元の一つが厚生省であったとわかる。 jcp.or.jp/akahata/aik21/…
緊急事態宣言下に憲法改定にひた走る。 しかも対中危機を煽って「流れ」を作ろうって魂胆がだろうが、全く、シャレになっていない。 「暮しのファシズム」のサブタイトル「戦争は新しい生活様式の顔をしてやってきた」そのままじゃないか。 twitter.com/nhk_news/statu…
ろくすっぽ使えってもいない憲法をどう使うかの実践の蓄積もない状態で、長期的な社会の設計の基礎となる憲法をコロナのいっ時の混乱に乗じで改憲に舵を切ることがどれほど未来に対して不誠実か、と考える人はいないのか。
SNSやYahoo!ニュースの投稿を見ていると、このファシズムの到来を予兆させさえする気配に「息苦しさ」や「恐怖」「絶望」を感じる人と、ある種の「愉悦」「高揚」や「歓待」の感情を持つ人の双方があるのを感じる。それは1945年あたりのもの書きの文章をまとめて読んだ時感じた気配にとても似ている。
これで立憲が賛成したら民主党時代の消費税に続いてまた愚かな選択をすることになる。 news.yahoo.co.jp/articles/e1fef…
この世論調査でも開催が20 %増。オリンピックの熱狂の後は内閣支持に転じ可能性が高い。 このあっさり流される二割に向けて政治が行われているなあ、といつも思う。asahi.com/articles/ASP6N…
このところ露骨に表明される、スポーツ選手の政治的なことは考えたくないというメンタリティーがとても政治家向きで、何故、スポーツ選手が選挙に担がれやすい理由もよくわかる。
キツイ言い方をするが「自分のために走る」はずが「感動させる走りをしたい」「見てもらえず悲しい」と妙な「公共化」を自分で始めた時点で、アマチュアの場合、様々な政治や利権に巻き込まれている、と、そろそろ自覚が欲しい。 news.yahoo.co.jp/pickup/6398187
「挙手していない記者(スマホ中)が指名され、さらに、その記者が質問を始める前に菅首相が答弁原稿を探し始めるという“珍事”がみられた」 もはやヤラセさえできないのか首相も官邸マスコミも。 nikkan-gendai.com/articles/view/… #日刊ゲンダイDIGITAL
これ僕が美大にいたときかなり強く感じた、アートなりデザインが公共空間や場を設計するときの甘えや傲慢さ、そこまでいかなくとも無責任さに通底する問題。表現を社会に発信したとき「身体」のレベルで人の行動に介入することへの倫理性が教員を含め脆弱なのでは。 news.yahoo.co.jp/pickup/6398573
「シン・ゴジラ」って「危機管理にあたって役割分担をしっかりとして仕事のできる政治家・官僚たちの映画」だったし、与党回りの若手が実際アレって俺たちみたいと言ってたのも仄聞したが、今回のオリンピックの仕事のできなさ見ているとあの姿はゴジラの存在以上の虚構だったのだなあ、と改めて思う。
五輪めぐるスチャラカはコロナのせいでもなく、アクシデントが偶然が続いたわけもなく政治家・官僚・広告代理店・企業に至るまで、いかに「上」の連中が仕事ができなくなっているかがとうとう露呈したということ。日本という国・社会が機能不全を起こしている状態。
ワクチン接種が政府の予想を追い越したように行政でも末端は機能し、医療も現場がかろうじて支え、しかし、丸投げの果ての現場ではそういう支えも不可能になってきている。SDGs以前に社会が人的組織の部分で持続不可能になっている。
表現をする人とそれを愛でる人をつなぐのが生業の出版社のトップが言うべき台詞じゃない。政治周りでうろうろする竹中の劣化版の政商が何言ってるんだか。カドカワの描き手として恥ずかしい。 辞めろよ。 news.yahoo.co.jp/articles/ddfdb…
五輪開会式、良くも悪くも「国家の自画像」なんだけれど「伝統」というより「観光」の表象としての歌舞伎や火消しがある程度であとは「ゲーム音楽、スポーツイベントのスタンダードポップミュージシャンによる国歌含むサブカルチャーでさえない何かTV界隈のもの」で自画像のかけない国なんだと再確認。
つい一週間前のオリンピックをめぐる憤りさえ忘れようとする中で、この、東京新聞の「忘れないよ」「忘れちゃダメだよ」と言う報道姿勢はとても正しい。 twitter.com/tokyonewsroom/…