角川の件。腹立たしいのは3億5千万あれば角川の頁単価7000円の新人原稿料を1万にして新人と担当が命がけでやりたいというオリジナルの新作一体何作作れ、そこから大ヒットが出てよそに版権料払うのではなく自社に入る作品が出る可能性はかなりあること。お金の使い方を根本で間違えている。
政府のコロナ対策のローコストぶりを見ていると、結局、この国はコロナ以前から切り捨てようとして来た人々を淡々と切り捨てているだけで、誰を切り捨てるかがコロナで可視化され、そこに自分も含まれていることに気づき愕然としている人が多数いる、という状況なんだろうな。
元首相の「国葬」は一つ間違えば国民参加の「神格化」になりかねず、他方では電通が「国葬」企画のプレゼンとかリアルに準備してそうで、今進んでいるのは「陰謀」じゃなくそういう「政治」を野放しにして来た果ての光景。
「シン・ゴジラ」って「危機管理にあたって役割分担をしっかりとして仕事のできる政治家・官僚たちの映画」だったし、与党回りの若手が実際アレって俺たちみたいと言ってたのも仄聞したが、今回のオリンピックの仕事のできなさ見ているとあの姿はゴジラの存在以上の虚構だったのだなあ、と改めて思う。
出版社であればお詫びする相手は「関係者」でなくまず本を買ってくれる「読者」なのだろうが、今のカドカワには投資家や製作委員会や提携企業などの「関係者」の方を向いていてそこがすっぽり抜け落ちているのだろうなあ。 と、こういうところに見えてしまう。
ビジネス関係者の入国って聞こえがいいがビジネスマンはともかく「ベトナムなど11カ国」の「技能実習生、留学生ら」が含まれ、要は安価な奴隷的労働力は入れるだけ入れて、一方では帰るに帰れない技能実習生がいても放置、という政策のどこに「思い」があるのか。asahi.com/articles/ASP17…
コロナ感染者が激減したのはいいことだが、感染者が適切な治療を受けられず自宅でいく人も死んでいったのはほんの一月かそこら前だよ。あれはパンデミックだから仕方かったではなく明らかに「失政」で、責任は選挙で問われてしかるべきだろうに「終わったこと」にどこかなっていないか。
インボイスに関する赤松健の体たらくぶりを見れば与党に投票すると言うことがどうゆう意味を持つか少しはわかるのではないか。
この記事、アベノマスクの利権についてのもので今更驚きもしないが(無論、怒るべきだが)それ以上に、記事中のアベノマスクの費用466億円が「東京スカイツリーの建設費」(450億)を上回っているという指摘に驚愕。 あれ一個分、無駄にしたんだ。 buzzap.jp/news/20200422-…
大手新聞社のウクライナ戦争に関する取材受ける。記者の人、「ロシアのウクライナ侵略を戦時下日本の中国への侵略と重ね合わせる発想は自分には全くなかった」と本気でおっしゃるのに唖然とする。 戦時下についていくら本書いたって世の中に届かないのは当然か。
インボイスはまんがアニメ業界の問題でなく企業労働者を個人事業主化して雇用の流動化をはかりそれ故に徴税を徹底する、という「働き方改革」の流れの達成の一つで「個人事業主」というより広い労働問題。
やめていく首相を批判してはいけない、という同調圧力があっという間に作られたが、主権者の一人として国民から委託された権力を正しく行使し得たと考えられない以上、それは適切に批判することが主権者の責任のはず。
ニュースでウクライナ市民が市内にとどまり市街戦のため銃を持ち皆で火炎瓶を作る様が「美談」として日本でも報じられているが、これは自発的な「玉砕」の準備に等しくこの時代錯誤的な姿が改憲論などの情緒化、感情化に与える影響は大きい。戦争に感動を求めたらダメだよという自制が報道に欲しい。
かつて日本が戦争に参加していく過程でこれを抑止したりどこかで止める安全装置を持たず敗戦でさえ結局天皇に決めてもらうという形しか取れなかった反省から戦後社会は「憲法九条」に価値を見出したが、じゃあ、これを破棄した時、いかなる安全装置で代替するのか、という安全保障論はないんだな。
表現をする人とそれを愛でる人をつなぐのが生業の出版社のトップが言うべき台詞じゃない。政治周りでうろうろする竹中の劣化版の政商が何言ってるんだか。カドカワの描き手として恥ずかしい。 辞めろよ。 news.yahoo.co.jp/articles/ddfdb…
報道で蓮舫あたりの与党糾弾場面の切り取りばかり流し「批判ばかりの野党像」を作って、「そうではない」野党像が求められそれが維新だっていうこのシナリオってまさに「工作」だよなあ。「反共」世論作りとか含めやってる方は、「陰謀」でなくマーケティングの感覚なんだろうな。
このところ露骨に表明される、スポーツ選手の政治的なことは考えたくないというメンタリティーがとても政治家向きで、何故、スポーツ選手が選挙に担がれやすい理由もよくわかる。
菅会見より「まず自助、次に共助」 これが管政権の基本か。 コロナもその経済的後始末も、これからまたいくつも起きる自然災害も、格差も老いも病も子育ても、生活に及んだ安倍政権のつけは、自助・共助という自己責任論で国民自らが贖うのか。
政府のコロナ対策の「給付金10万にとアベノマスク配ったからもういいだろ、あとは自分で何とかしろ」感って何かに似てると思ったら、軍が疫病にかかった兵士をイモ6本与えて追い出すという大岡昇平の「野火」だった。
キツイ言い方をするが「自分のために走る」はずが「感動させる走りをしたい」「見てもらえず悲しい」と妙な「公共化」を自分で始めた時点で、アマチュアの場合、様々な政治や利権に巻き込まれている、と、そろそろ自覚が欲しい。 news.yahoo.co.jp/pickup/6398187
旧統一教会の人の「左翼弁護士」発言で、「左翼」と誰かを面罵すればそれで何の根拠もなく批判が成り立つという昨今の時代錯誤的語法が流石におかしいと感じる人が随分出てきている。
他国の戦争にフリーライドした戦時下気分に口先いさましく高揚するさもしさよ。何も出来ないのならせめて平和を祈れ。
大体「自助共助公助」論がおかしいのは自ら払った税金を自分やそのほかの人に役立てる自助・共助を国や行政が代行するのが「公助」なのに、まるで政治家や役人が自分の金を施してやるのが「公助」みたいな顔をしている点じゃないのか。
「財界」や大企業のに益するように使え、と言いたいようだが、ポイントでは一番追い込まれた人たちが今月の家賃や保育料や医療費を払えず廃業寸前の小店舗でも使えない。こういう「財界人」の人としての下劣さにもっと怒っていい。 headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200416-…
ミュシャ騒ぎの最後に、明治30年代、日本から一歩も出ずミュシャ様式をリアルタイムで咀嚼し「明星」の表紙を描き、酒のみで原稿は遅く友達もおらず詐欺容疑で逮捕もされ人として最低で早逝ししかし新潮社創業者佐藤儀助をして絵一枚で雑誌を売ると言わしめた一條成美という画家を覚えてやって下さい。