この世論調査でも開催が20 %増。オリンピックの熱狂の後は内閣支持に転じ可能性が高い。 このあっさり流される二割に向けて政治が行われているなあ、といつも思う。asahi.com/articles/ASP6N…
これで立憲が賛成したら民主党時代の消費税に続いてまた愚かな選択をすることになる。 news.yahoo.co.jp/articles/e1fef…
SNSやYahoo!ニュースの投稿を見ていると、このファシズムの到来を予兆させさえする気配に「息苦しさ」や「恐怖」「絶望」を感じる人と、ある種の「愉悦」「高揚」や「歓待」の感情を持つ人の双方があるのを感じる。それは1945年あたりのもの書きの文章をまとめて読んだ時感じた気配にとても似ている。
ろくすっぽ使えってもいない憲法をどう使うかの実践の蓄積もない状態で、長期的な社会の設計の基礎となる憲法をコロナのいっ時の混乱に乗じで改憲に舵を切ることがどれほど未来に対して不誠実か、と考える人はいないのか。
緊急事態宣言下に憲法改定にひた走る。 しかも対中危機を煽って「流れ」を作ろうって魂胆がだろうが、全く、シャレになっていない。 「暮しのファシズム」のサブタイトル「戦争は新しい生活様式の顔をしてやってきた」そのままじゃないか。 twitter.com/nhk_news/statu…
志位和夫が演説で厚生省の内部文書に言及している。「PCRの拡充は医療崩壊につながる」という喧伝されたロジックの発信元の一つが厚生省であったとわかる。 jcp.or.jp/akahata/aik21/…
休業要請で消費の対象を「生活必需品」とそうでないものに分け後者を規制の対象とするが「贅沢品」「生活必需品」の区分そのものが総動員体制に向けた経済統制の思考法なのに。つまり、今やっているのは「経済統制」 だということ。 「贅沢は敵だ」の標語はこの時のものだと忘れずに。
朝の番組、やはり「行動変容しない国民」を批判し「行動変容しない政権や知事」を批判しない。テレビをジャーナリズムととうに呼べないが、テレビの報道が権力を監視する装置でなく国民を監視する装置になって久しいがそれが報道のあり方なんだと思い込んでいることが始末が悪い。
ニュースサイト覗くたび、小池・吉村が競うように「8時以降は店の明かりを消せ」「個人の行動を義務化する法律を作れ」と言いだし「暮しのファシズム」が「比喩」や「批評」でなくもの凄いスピードで現実になっていくようで正直、恐ろしい。
コロナ対策で露わになったのは首相から知事まで彼らの考える政治が「下々に言うことを聞かせる」でしかないこと。この惨状も自らの「失政」でなく「オマエらがいうことを聞かなかった結果」であり自らに責任があるとは微塵も思っていない。だから「もっと言うこと聞け」以外の対策は出てこない。
この菅の有権者を舐めきった態度の根拠が、希望的観測でなく、多分そうなんだろうなあ、というところがなんとも。
「オリンピックに反対」といった声が聞こえてきた直後に音声が約30秒間途切れ、音声が戻った時には反対などの声は聞こえなくなっていた。 これやった時点でNHKは民主主義の敵に堕してしまう。中国で突然海外ニュースの映像や音声が途切れるのをもう日本は嗤えない。 news.yahoo.co.jp/articles/3bd90…
「JASRACは2016年には絵画やマンガ、小説など音楽以外の著作権管理への進出に意欲」 JASRACがまんが著作権を一括管理したら二次創作から書籍での引用までことごとく著作権使用料を求めてくるだろうし電子書籍の著作権管理に介入して「中抜き」とか、碌な事にならんぞ。 buzzap.jp/news/20210305-…
よく、国を愛して何が悪いという人がいるけれど、国は愛するものでなく、愛と関係なく適切な運用に参加すべき制度です。その参加と運用の方策を民主主義という、とてもシンプルな問題。
自粛でなく「飯を食う」ことで成り立つ権力や政治そのものをこの機会に終わらせて欲しい。 news.yahoo.co.jp/articles/bbd85…
ビジネス関係者の入国って聞こえがいいがビジネスマンはともかく「ベトナムなど11カ国」の「技能実習生、留学生ら」が含まれ、要は安価な奴隷的労働力は入れるだけ入れて、一方では帰るに帰れない技能実習生がいても放置、という政策のどこに「思い」があるのか。asahi.com/articles/ASP17…
学者の中にはどうしようもない人もいるが、しかし、「学者を理不尽に叩く愉悦」を人々に与えた先に大げさでなく地続きで文革やクメール・ルージュとかが待っているんだよ。
税金で生きている政治家や官僚は国民から「公助」で生活保障されているのに、どの口が「自助」っていうかなあ、と普通に怒っていい。 twitter.com/MiraiMangaLabo…
大体「自助共助公助」論がおかしいのは自ら払った税金を自分やそのほかの人に役立てる自助・共助を国や行政が代行するのが「公助」なのに、まるで政治家や役人が自分の金を施してやるのが「公助」みたいな顔をしている点じゃないのか。
安倍政権から菅政権に引き継がれようとしている「マスコミが一斉に政府の方向を見る」体制はすごくわかりやすくいうとこういう感じ。 全新聞社連名で主催する日米開戦記念式典。
菅会見より「まず自助、次に共助」 これが管政権の基本か。 コロナもその経済的後始末も、これからまたいくつも起きる自然災害も、格差も老いも病も子育ても、生活に及んだ安倍政権のつけは、自助・共助という自己責任論で国民自らが贖うのか。
やめていく首相を批判してはいけない、という同調圧力があっという間に作られたが、主権者の一人として国民から委託された権力を正しく行使し得たと考えられない以上、それは適切に批判することが主権者の責任のはず。
不思議だよな。誰一人、別に菅個人を忖度しているのでなく、しかし、菅以外の選択肢が次々閉じられていく。 出来上がるのは安倍抜きの安倍政権か。 news.yahoo.co.jp/pickup/6369796
政府のコロナ対策の「給付金10万にとアベノマスク配ったからもういいだろ、あとは自分で何とかしろ」感って何かに似てると思ったら、軍が疫病にかかった兵士をイモ6本与えて追い出すという大岡昇平の「野火」だった。