マイコン博物館に東芝の「青梅事業所」で活躍された技術者が来館されました 1981年 PASOPIA 8bitマイコン 1987年 J-3100SL PC/AT互換機ラップトップ 1989年 DynaBook J-3100SS ノートPC 1996年 Libretto 超小型ノート などを担当され、ここで懐かしいPC達に再会されました 素晴らしい技術者人生です
模型作りから技術者へ 「模型とラジオの博物館」では、2022年の夏休みに「親子で体験する模型工作クラブ」を開催します 模型飛行機作りから航空力学を学んだり、電気自動車模型作りから電磁気学を学びます 対象は小学4年から中学3年生まで 参加費は部品代のみ:400円~2000円 7月から詳細を公表します
1989年にワープロ専用機メーカーはバラ色の未来を描いていたが… この記事から6年後の1995年にはWindows95の登場で、日本語ワープロ専用機のライバルだったPC-98の立場も弱くなった 10年後の2000年にはPC-98と日本語ワープロ専用機の両方が消え去ってしまった 急速に進化するIT分野の未来予測は難しい
SORD株式会社様より貴重なマイコンを寄贈いただきました 1982年に発売されたクリエイティブコンピュータ M5 プログラミング入門用の「BASIC-I」と、ゲームプログラミング用の「BASIC-G」が提供された MSXより先行発売されヒットした NHKの「マイコン入門」に出演したので名称部分にテープが張ってある
中高生の「工作デスク」の1日利用料は500円です 先日この利用料が厳しいと保護者から相談がありました そこで所蔵雑誌の目次入力ボランティアをお願いしました 付き添いの保護者が雑誌12冊の目次を入力して1日利用券を2枚差し上げました 中高生はトランジスタなどの部品を無料で使えます 活用願います
JA1-16491様よりPANAFACOM-L16Aを寄贈いただきました 松下電器と富士通がミニコン専門企業として合弁設立した「パナファコム」(現:PFU)製の16bitマイコン 同社が1975年に世界で初めて開発した1チップ16bitCPU MN1610を実装 ミニコンメーカーのノウハウで世界初の16bitCPUを開発したが普及出来なかった
2011年のジョブズ氏の死去が転機となり、保管してきたコレクションを私設の博物館と図書館として公開して、みんなに役立てたいと考えました 妄想レベルでしたが具体的な絵(1)を描く事で、クラファンが成立して、絵の通り実現できました 夢を実現したい人は、具体的な絵(1)を描きましょう 夢は叶います
「子供の科学」の読者は小学生がメインで、中学生も居ました 「初歩のラジオ」の読者は中学生がメインで。小学生も読んでいて、電子工作に挑戦していました これらの難易度レベルは、現在の大学工学部レベルでした これをSNSで説明しても信じてもらえず、「子供の科学」の読者は学生だと反論されます twitter.com/yatanavi/statu…
1960年代後半から1970年頃の模型店の花形は、小型エンジン機に制御ワイヤーを付けて、円周飛行を行う「Uコン」飛行機だった 値段も安く小学校高学年なら自分で機体を自作して参加できた 各模型店ではUコンクラブを結成して、飛行競技会を開催した 全国的に大ブームになり子供達は空への夢を膨らませた
秋葉原に電気街が発達したのは、明治40年に電機技術者を養成する電機学校(現:東京電機大学)が創立したのが始まり 電機学校発行の電機技術誌「オーム」が大正11年に独立して電機系出版社のオーム社となり、 電波雑誌の新光社(現:誠文堂新光社)も大正5年から神田で活動したので電機技術者と店が集積した twitter.com/tojo1914/statu…
アポロ計画で宇宙飛行士の生還を実現したのは、軌道計算を担当したフランシス・ポピー・ノースカットだった ポピー・ノースカットは数学者でプログラマーでした この時、彼女は25歳 人間の前頭葉の能力が一番優れている時期は20歳代前半と言われている アポロ計画では万人単位の若い技術者が大活躍した
スペースインベーダー裏話3 社会現象的な大ヒットになり、100円硬化がスペースインベーダーに吸い込まれました タイトーに日本中の100円硬貨が集まったが、余りに大量で銀行は引き取ってくれなかった ある日、タイトーの金庫室が100円硬化の重みで崩落してタイトービルが地震のように大きく揺れました
バブルの崩壊後の資金問題と、Windows対応の技術課題を乗り切れたのは、豊富な資金力と技術力が有ったジャストシステムぐらいだった ジャストシステムは、Windows対応だけでなく、ネットに対応するUnicodeの導入、Unicodeコンソーシアムでの日本から唯一の重要メンバーになるなど活躍する事ができた
年始に、実家の物置部屋を整理される方へお願いです あなたの「人生の宝物」の「安住の地」として 夢の図書館、マイコン博物館、模型とラジオの博物館への寄贈をご検討願います 多くの方に役立ち、技術遺産として残せます 寄贈いただける場合には、輸送用の箱、送料着払い伝票等をお送りします
左:1970年の情報技術教育 右:2022年の情報技術教育 教育用に利用しているコンピュータは桁違いに進歩して高性能化したが、教育内容のレベルは明らかに低下している 現在の情報教育では、肝心要のCPUアーキテクチャはブラックボックス化されて解説されない 腕利きの人材が育つには基礎技術の学びが重要
米国イリノイ州 HAL LaboratoriesよりHAL9000型 2号機を寄贈いただきました 貴重な2号機を長期間保管され、寄贈いただいたチャンドラ博士に感謝いたします 2号機は、1990年に稼動し、3号機の開発ツールに使用されました 3号機は、ディスカバリー号に搭載され木星探査に出発しました #エイプリルフール
壁一面の「零士メーター」に憧れた世代が創った「模型とラジオの博物館」の展示 椅子もSFに登場する宇宙船のブリッジに在りそうな椅子をイメージして選んでいる 写真には写っていませんが、椅子の両脇に大きなダイヤルが在る「零士イス」も在ります これに座れば「零士メーター」の世界に没入できます
1988年、劇場用CG映像をどのように制作したのか説明します 大スクリーンで上映する映画フィルムが最終形態になるのでCG出力もフィルム露光になります 写真の機材が「フィルムレコーダー」でオシロスコープに使われるようなブラウン管の超高精細型が内蔵され、ゆっくりとラスタースキャンします (続く)
高橋和秀 様よりApple Computer テンキー付きAppleIIeを寄贈いただきました AppleIIスタイルの最終形の製品です ケース上部にはAppleIIの開発者であるスティーヴン・ウォズニアック氏(Stephen Gary Wozniak)のサインが有る超貴重品です 人生の宝物を寄贈いただき感謝いたします 未来の世代へ遺します
日本の模型店の黎明期を探ると、雑誌「飛行少年」大正5年7月号掲載の模型広告に行き着く ゴム動力飛行機、ヨット、スチームエンジンとボート、家庭用幻灯機兼用の活動写真機、電気モーターなどを掲載 「伊東屋玩具店 銀座三丁目」とあるのは、現在の銀座 伊東屋 文具店のルーツにあたる店舗と思われる
左は、対潜飛行艇 PS-1 右は、月刊アスキー 1978年9月号 CP/M解説記事中のIMSAI8080 何の関係も無いように見えるが、実は、このIMSAI8080でFORTRANコンパイラを走らせてPS-1の機体の強度計算を行っていた 77~78年当時、PS-1の着水時に機体の破損事故が相次いでいた 強度設計のやり直しが必要となった
日本の情報技術を高めたいなら、受験科目にITを入れるのでは無く 小中高校、もしくは地域に、自由参加のITクラブを作り 電子工作部品から、ハイエンドPC、高価な周辺機器、クリエイティブ・ツールを揃えて 相談できる専門家の指導員を置いて 好きな生徒に、好きなだけ没入させる方策です twitter.com/misoguri/statu…
1972年ビジコム社は4004を約100ドルで仕入れて4004搭載電卓を16万円で販売していた(カローラが50万円の時代) 4004の販売権を獲得したインテル社はi4004のサンプルを1万ドル以上で売った 電卓だと16万円だがコンピュータとしては100万円以上の価値が出た 安売り電卓メーカーは、これに気が付かなかった
テレタイプ社のASR-33を、CQ出版 トランジスタ技術 編集部 小串様より寄贈いただきました ASR-33は 1970年代のミニコンやマイコンの標準的なコンソール端末でした ビル・ゲイツ氏もASR-33でプログラミングを学びました ASR-33の収蔵展示は、マイコン博物館の念願でした ご寄贈をいただき感謝いたします
1970年 文部省は、何故か、文部省基準の高校向けプログラム卓電の仕様を策定して各電卓メーカーに製造させた 全国の高校が導入してくれるので、各電卓メーカーは基準に合わせた電卓を開発した その仕様は、専用キーを押して、記号の羅列でプログラムを行うので、プログラミングの学習には不向きだった