パンチテープに利用される紙テープは、高品質な中性紙で出来ています 使い捨てには、もったいない品質です 印刷ではなく、パンチで穴を開ける確実な方式なので、低湿度で、光りを当てないで保管すれば、1000年以上持ちます 西暦3000年になった時に、20世紀のデータで残っているのは紙テープだけかも twitter.com/fanybot/status…
1986年に4台導入したシリコングラフィックス社のCGワークステーションIRIS3130 劇場版アニメ『AKIRA』のCGシーンの制作に活用した 3Dデータの作成、アニメーションの動きの確認などに利用 当時は最新鋭機だったが、今見直すと、急ごしらえで作ったCGWSのように見える
戦争中に文部省は、国民学校で、1年生から今の中学まで、模型飛行機作りと、模型飛行機を飛ばす事を必修科目とし 全国に模型店を1万9千軒作り 教材として、模型飛行機を1千万機供給した この巨大な教育計画は、戦争には役立たなかったが、戦後に、日本が技術立国として、急速に復興する原動力となった
ピクサー社のCG専用スパコンPIXARは、リース契約で導入したので運用終了後にリース会社へ返却した 残念ながら、リース契約上残す事が出来なかった 現存していれば、その後に、ディズニーのCG映画作品で大活躍するピクサー社の黎明期の技術資料として、海外のコンピュータ博物館と同じ様に展示出来た
通商産業省所管の新世代コンピュータ技術開発機構が、1982年から進めた国家プロジェクトである「第五世代コンピュータ」の実物を寄贈いただきました 人工知能コンピュータの開発が目的でした 560億円の開発費が投入されましたが、実在しているのは、多分「マイコン博物館」に在るこれ1台です twitter.com/noshirin/statu…
ロボット技術の重要性が国内で叫ばれていますが、かつて日本に存在した世界トップレベルのロボットベンチャーを評価できず、経済産業省も無視していた事がありました 東大発のロボットベンチャー 株式会社SCHAFです グーグル社に数百億円で買収された時は手遅れでした (続く) youtu.be/diaZFIUBMBQ
マイコン博物館に寄贈いただいた機材、雑誌、資料は、一年を通じて低湿度で、太陽光(紫外線)を遮断した、保管に最適な環境で未来へ遺します 売却処分と異なり、いつでも、思い出の愛機、愛読本に会いに来れます 寄贈いただいた方は、マイコン博物館、夢の図書館の会員として無料ご招待いたします
The Microcomputer Museum has the largest collection of microcomputers and personal computers in Japan. It also has a collection of more than 20,000 technical magazines spanning 100 years.
月刊アスキーの誌面に載せるイラストレーターを探すため、アニメ・SF好きの編集長(現・館長)が、1978年に産業会館で開催されたコミックマーケットに出向いて購入した同人誌 青焼きや簡易コピーの同人誌が有った時代 宇宙戦艦ヤマトが劇場版で復活して サンダーバード、謎の円盤UFOがまだ熱かった時代
60~70年代は、手引きになる模型誌、電子工作誌があり、小学校高学年が フルスクラッチでラジコン飛行機を自作 短波送受信機を自作 8bitマイコンを部品レベルで自作して完成させる など、今の大学生でも難易度が高い模型工作、電子工作を行っていました これらは何故無くなってしまったのでしょうか?
所蔵品紹介 タイガーロケッティ タイガー製作所が1954年に発売した模型ロケットエンジン 最近はロケットベンチャーの活躍が多く楽しいが 昭和中期の小中学生達は本物の固体ロケットエンジンで遊んでいた 模型ロケットエンジンの点火と発射は最高のワクワク体験だった 左:A型 約450円 右:B型 約550円
3Dプリンタを発明した小玉氏への評価は「何を遊んでいるんだ」だった 小玉氏は追い込まれて3Dプリンタの成果物を全て廃棄して退社した 研究者としての活動を断念した小玉氏は特許を扱う弁理士になった 小玉氏に持ち込まれたのは米国3Dシステムズ社の3Dプリンタ特許の評価だった 運命のいたずらだった
1980年代にPC-98+MS-DOSという国民的プラットフォーム向けのソフトウェアを販売していたソフト会社は多数あった その中で自社ソフトをWindowsプラットフォームに移行できたソフト会社は極めて少ない それには二つの大きな理由が有った 技術的な理由と、資金的な理由だった (続く)
これだけのCPUパワーを投入しても劇場で上映できる6Kから8KピクセルのCG映像を1コマレンダリングするには数時間の計算処理が必要でした 最初にローレンダーと言うピクセル数を少なくした軽い処理でアニメーションの動きや色合いを確認します やり直し、撮り直しが続くと、制作スケジュールを圧迫します
「STAR FIGHTERS」「NHK人体」「AKIRA」の制作にはたくさんの若いスタッフが参加して貴重な体験を得ました 多くを学んだ若いスタッフ達は、その後、各方面で活躍しました それから30年以上経過してCGデザイナーとして参加された古林千枝さん、出渕亮一朗さんが他界されました ご冥福をお祈りいたします
テレワーク会議のバーチャル背景にお使いください 「マイコン博物館」 1978~80年代 マイコンの展示棚写真です
1988年公開 劇場版『AKIRA』のCG部分を館長が制作しました 当時の日本でCGを制作できる会社は2~3社でした 写真は、AKIRAのパワーゲージ ホログラム表示をイメージしています 約6000X4000ピクセル 4X5ポラロイドによるテスト撮影 映画では光学合成時に劣化していますが、これがオリジナルの形と色です
バブル崩壊の爆心地を見ていたので経験を書きます バブル景気に沸いた80年代末期は地上げとゴルフ場開発、美術品投資をしているという絵に描いたようなバブル系企業がCG制作に資金を出してくれました 今のNFTアートの様でした 館長は1989年12月まではCG制作で毎月数千万円を楽に売り上げました (続く) twitter.com/Mihoko_Nojiri/…
1960年代の模型店で子供達に人気が有ったのは、本物のロケットエンジンである「タイガー・ロケッティ」 タイガー製作所が開発した 推力15g程度でバルサ製のジェット機模型を飛行できた 茶色の円筒が石油系燃料で、火薬は使用していないので安全だった 噴射時間は15秒だが飛びすぎて見失う事が多かった
リタイヤ世代の技術者の子供時代、1960年から70年代の小中学生は、多くの素晴らしい体験が出来ました 放課後に学校の校庭で模型飛行機を飛ばす猛者も居ました おおらかな時代でした 現在、模型飛行機を飛ばす事を法律で禁止しようとしています これでは技術立国が吹き飛びます 自ら国を滅ぼす行為です
1986年に4台導入したシリコングラフィックス社のCGワークステーションIRIS3130 MC68020を搭載したCPU基板 かなりの高密度実装 信号線は、バスラインより、信頼性が高いフラットケーブルを利用して基板間をつないでいる
保護者へのお願いです 与えた玩具や、身の回りの機器を分解してしまう子供が居たら、叱らないでください 「分解」と「壊す」は異なります 粗末にしているのではありません その「好奇心」が、将来、大成功につながります 与えた玩具などを分解し始めたら、この子の将来は明るいと理解してください twitter.com/Etech_Dove/sta…
予想される新技術により、自社の主力商品が価値を失うと言う、破壊的影響が想定される場合がありました 多くの企業は、既存商品の守りに入りました その結果として、大企業でも吹き飛んだ場合が多いです デジカメ時代を乗り切ったのが富士フィルム レーザーカラオケと共に吹き飛んだのがパイオニア twitter.com/yamazaki_6502/…
NHK「ノーナレ」にて「一太郎」を開発した浮川夫妻が取り上げられます マイコン博物館にて展示しているPC-8001がチラッと映ります このPC-8001は1982年にNHK教育TVで放送された「マイコン入門」の番組内で「機種X」の名称で実習に使われた実物です 40年ぶりにNHKに再登場します 本日夜 10:40 NHK総合TV
寄贈品ご紹介 スティーブ・ジョブズ氏が設立した「NeXT Computer」社が1988年発売した最初の製品NeXTcube 奇跡の動作品 BSD系OS「NeXTSTEP」を開発搭載 NeXTSTEPの技術は、その後のMacOS、iOSに受け継がれている ご寄贈感謝いたします 私蔵・処分以外の第三の選択として寄贈のご検討をお願いします