Legacy6502 開発計画のお知らせ 多くのスーパープログラマを育てた伝説のCPU 6502を搭載したマイコンを開発中です 発売予定は今後に公表します 6502は理解し易いアセンブラ・プログラミングによりコンピュータの基礎を学ぶ事ができます 6502のエミュレータではありません リアルな6502CPUで動作します
米国イリノイ州 HAL LaboratoriesよりHAL9000型 2号機を寄贈いただきました 貴重な2号機を長期間保管され、寄贈いただいたチャンドラ博士に感謝いたします 2号機は、1990年に稼動し、3号機の開発ツールに使用されました 3号機は、ディスカバリー号に搭載され木星探査に出発しました #エイプリルフール
SONYが1990年に発売した、8センチCD-ROMによる電子書籍プレーヤー Data Discman DD-1EXBには「ブックマン」(BookMan)と言う愛称が付いていました 館長はこのソフトの開発に関わったのですが、現存していないので寄贈を求めています 凄い話として本機のSONYの外国人担当者のお名前がBookmanさんでした twitter.com/TakuyaKawai/st…
JA1-16491様よりPANAFACOM-L16Aを寄贈いただきました 松下電器と富士通がミニコン専門企業として合弁設立した「パナファコム」(現:PFU)製の16bitマイコン 同社が1975年に世界で初めて開発した1チップ16bitCPU MN1610を実装 ミニコンメーカーのノウハウで世界初の16bitCPUを開発したが普及出来なかった
とても小さな「マイコン博物館」ですが、多くの方から貴重なコンピュータと関連機材や資料を多数寄贈いただき、日本最大級のコンピュータ博物館となりました このほど情報処理学会より「分散コンピュータ博物館」の認定を受けて本物の博物館となりました 寄贈いただいた多くの方へ深く感謝いたします
壁一面の「零士メーター」に憧れた世代が創った「模型とラジオの博物館」の展示 椅子もSFに登場する宇宙船のブリッジに在りそうな椅子をイメージして選んでいる 写真には写っていませんが、椅子の両脇に大きなダイヤルが在る「零士イス」も在ります これに座れば「零士メーター」の世界に没入できます
左は、対潜飛行艇 PS-1 右は、月刊アスキー 1978年9月号 CP/M解説記事中のIMSAI8080 何の関係も無いように見えるが、実は、このIMSAI8080でFORTRANコンパイラを走らせてPS-1の機体の強度計算を行っていた 77~78年当時、PS-1の着水時に機体の破損事故が相次いでいた 強度設計のやり直しが必要となった
秋葉原に電気街が発達したのは、明治40年に電機技術者を養成する電機学校(現:東京電機大学)が創立したのが始まり 電機学校発行の電機技術誌「オーム」が大正11年に独立して電機系出版社のオーム社となり、 電波雑誌の新光社(現:誠文堂新光社)も大正5年から神田で活動したので電機技術者と店が集積した twitter.com/tojo1914/statu…
会員様が収蔵品のSHARP MZ-700の復活に挑戦されました MZ-700は、MZ-80の後継機種で1982年発売、ディスプレイ分離型で人気が有った機種です データレコーダーの劣化が心配されましたが、見事にBASIC本体のロードに成功して、起動しました 2023年に撮影された1982年製のBASICの起動画面をご覧ください
この展示棚に、思い出のパソコンはありませんか? 16bit、32bitパソコンの展示棚です この展示棚とは別に、倉庫に80年代と90年代のパソコンを、30台から40台ぐらい保管しています 拡張移転しましたら、倉庫に在るパソコンも展示します 遊びに来てください twitter.com/envycattalk/st…
マイコン博物館には「このマイコンは私が開発しました・・・」という方が時々訪れます 東芝のIT部門の主力工場だった東芝青梅事業所にお勤めで、J-3100シリーズなどの開発に携われた方が来館されました 自分が携わり30年ぶりに再会したJ-3100SLに感慨無量のご様子でした (ご本人の許可をいただき公開) twitter.com/makonosuke/sta…
2011年のジョブズ氏の死去が転機となり、保管してきたコレクションを私設の博物館と図書館として公開して、みんなに役立てたいと考えました 妄想レベルでしたが具体的な絵(1)を描く事で、クラファンが成立して、絵の通り実現できました 夢を実現したい人は、具体的な絵(1)を描きましょう 夢は叶います
年末・年始に、実家の物置部屋を整理される方へお願いです あなたの「人生の宝物」の「安住の地」として 夢の図書館、マイコン博物館、模型とラジオの博物館への寄贈をご検討願います 多くの方に役立ち未来に残せます 寄贈の場合は、輸送箱、着払い伝票等をお送りします 親に捨てられる前に行動を
SONYが開発した3.5インチFDは日本発で世界に普及した最大の技術規格となった 写真左は1980年にSONYが開発した3.5インチFDを最初に搭載した英文ワープロ専用機 SONYは本機をAppleのジョブズ氏に見せて3.5インチFDの採用を提案した ジョブズ氏は大いに気に入りMacintoshが生まれた 影響を受けた事が解る
#絶滅メディア博物館 が話題です マイコン博物館にも、たくさんの絶滅メディアが在ります これは何でしょう? マイコン博物館の来館者の皆さんが???になる展示物です 直径36cmぐらいで、とても重いです
CQ出版 トランジスタ技術 編集部 小串様より寄贈いただいたASR-33が動作しました NHK「新・電子立国」にて、マイクロソフト社の創業時の再現シーンへの登場以来、27年ぶりの稼働です シリパラ変換、文字コードのエンコード、デコード等、全てメカで処理しています チンと鳴るのはベルコード(^G)を打鍵
先日、プロのプログラマーという方とお話した その方が理解しているコンピュータの構造は、CPUからUSBとHDMIのコネクタが出ているという理解 キーボードやモニタはCPUに繋がっていると説明していた この理解でもアプリ開発は出来る より高度な開発を行うにはコンピュータ・アーキテクチャの理解が必要
左:1970年の情報技術教育 右:2022年の情報技術教育 教育用に利用しているコンピュータは桁違いに進歩して高性能化したが、教育内容のレベルは明らかに低下している 現在の情報教育では、肝心要のCPUアーキテクチャはブラックボックス化されて解説されない 腕利きの人材が育つには基礎技術の学びが重要
文部省が普通高校にプログラム電卓を導入した1970年 工業高校と商業高校には写真の実習用ミニコンが導入された プログラム言語としてアセンブラとFORTRANが提供された CPUの内部レジスタの動きがパネルに表示され、プログラムの動きから、コンピュータ・アーキテクチャまでを学習できた 今でも欲しい
1970年 文部省は、何故か、文部省基準の高校向けプログラム卓電の仕様を策定して各電卓メーカーに製造させた 全国の高校が導入してくれるので、各電卓メーカーは基準に合わせた電卓を開発した その仕様は、専用キーを押して、記号の羅列でプログラムを行うので、プログラミングの学習には不向きだった
テレタイプ社のASR-33を、CQ出版 トランジスタ技術 編集部 小串様より寄贈いただきました ASR-33は 1970年代のミニコンやマイコンの標準的なコンソール端末でした ビル・ゲイツ氏もASR-33でプログラミングを学びました ASR-33の収蔵展示は、マイコン博物館の念願でした ご寄贈をいただき感謝いたします
究極のオーバークロック 1億円1MIPSのVAX11-780に続いてDECは、VAX11-750を発売した 750は、4千万円で0.6MIPSという絶妙な設定だった 750は新型なので使用ICの性能は780より上だった 米国の大学では750をクロックアップして1MIPSに改造するユーザーが出て来た 6千万円分のメリットが有る魔改造だった
1980年代前半、多くのCG制作会社でレンダリング用に利用されたDEC VAX 11/780 無く子も黙る32bitスーパーミニコン 1台1MIPSで1億円 900Mbyteのディクス装置(イーグルディスク)が1台で600万円した時代 VAXが使えれば技術屋で一生飯が食えると言われた 今のラズパイはVAX 11/780の1千倍の能力が有る
アポロ計画で宇宙飛行士の生還を実現したのは、軌道計算を担当したフランシス・ポピー・ノースカットだった ポピー・ノースカットは数学者でプログラマーでした この時、彼女は25歳 人間の前頭葉の能力が一番優れている時期は20歳代前半と言われている アポロ計画では万人単位の若い技術者が大活躍した
「指導者達は頭を抱えている」とソフトに表現したのですが、今の日本の開発現場は「現場ネコ」以上にカオス状態です 電子工学科卒で「子供の科学」レベルの回路が書けない 模型飛行機経験が無いので、空中分解する機体を設計する 各技術系企業の指導的立場の方から「悲鳴」レベルの惨状を聞いています twitter.com/noranyan2000/s…