ピクサー社のCG専用スパコンPIXARを導入できたのは当時ピクサー社CEOだったスティーブ・ジョブズ氏の後押しが有ったと思う PIXARはNHK特集の「脅威の小宇宙 人体」のCG制作でもパワーを発揮した その後、RISC CPUを搭載した高性能なCGWSを導入したのでPIXARの運用を終了した フロントパネルのみ残した
1986年に館長が日本で3番目のCG制作会社をスタートするに当たり、高品質CGを量産出来る秘策として SUN-3に接続するレンダリング用小型スパコン シリコングラフィックス社製のCGWS 4台 それまで秘密のベールに包まれていたピクサー社のCG専用スパコン「PIXAR」を導入した CG制作能力は桁違いに高まった
劇場版アニメ『AKIRA』のCGシーンをどのように制作したか説明します その前、1983年に制作したMSX LDゲーム「STAR FIGHTERS」はSDビデオなので640X480画素でした 写真の1台1億円で1MIPSのVAX11/780 2台を1年間ブン回してCGレンダリングして制作しました このCPUパワーでは劇場版CGは作れません (続く)
1988年、劇場用CG映像をどのように制作したのか説明します 大スクリーンで上映する映画フィルムが最終形態になるのでCG出力もフィルム露光になります 写真の機材が「フィルムレコーダー」でオシロスコープに使われるようなブラウン管の超高精細型が内蔵され、ゆっくりとラスタースキャンします (続く)
1988年公開 劇場版『AKIRA』のCG部分を館長が制作しました 当時の日本でCGを制作できる会社は2~3社でした 写真は、AKIRAのパワーゲージ ホログラム表示をイメージしています 約6000X4000ピクセル 4X5ポラロイドによるテスト撮影 映画では光学合成時に劣化していますが、これがオリジナルの形と色です
米国企業が日本へ進出する時にアメリカでの商習慣をそのまま持ち込む場合が有りました 米国でのタンディ店はハイウェイを車で飛ばして買いに行く店です 日本でも車を飛ばして買いに来ると考えて調査を行い、中央高速のインターチェンジが有る調布市の畑の中に米国風に開店しました 客は来ませんでした twitter.com/KawamataAkira/…
年末・年始に、実家の物置部屋を整理される方へお願いです あなたの「人生の宝物」の「安住の地」として 夢の図書館、マイコン博物館、模型とラジオの博物館への寄贈をご検討願います 多くの方に役立ち、技術遺産として残せます 寄贈いただける場合には、輸送用の箱、送料着払い伝票等をお送りします
再び見ることが出来ないと思っていた1969年放送の「NHK コンピューター講座」がYoutubeに公開された 日本のコンピュータ元年となった1969年に放送されたコンピュータを学ぶ番組 NHK教育TVのテキストがベストセラーになったほど注目された 講師は偉大な先駆者 森口繁一 先生 youtu.be/vGadEzJXc0w
1989年にワープロ専用機メーカーはバラ色の未来を描いていたが… この記事から6年後の1995年にはWindows95の登場で、日本語ワープロ専用機のライバルだったPC-98の立場も弱くなった 10年後の2000年にはPC-98と日本語ワープロ専用機の両方が消え去ってしまった 急速に進化するIT分野の未来予測は難しい
1978年のコミケ会場で売られていた「謎の円盤UFO」のファンクラブ誌 最初に見たときは、漢字タイプライターで素人が活字文章を作ったのかと思いましたが、商業誌と同じに「写植」で版下を作り、レイアウトして図版も入れて、オフセット印刷しています 他の参加者とレベルが違いすぎます この本も謎です
1978年のコミケ会場で売られている同人誌は、青焼きや簡易コピーで、内容も手書きで作られた作品が大部分でした 一部には、制作グループ内に出版のプロが居るような、商業誌レベルの同人誌も有りました この「謎の円盤UFO」のファンクラブ誌は商業誌レベルの出来栄えです
月刊アスキーの誌面に載せるイラストレーターを探すため、アニメ・SF好きの編集長(現・館長)が、1978年に産業会館で開催されたコミックマーケットに出向いて購入した同人誌 青焼きや簡易コピーの同人誌が有った時代 宇宙戦艦ヤマトが劇場版で復活して サンダーバード、謎の円盤UFOがまだ熱かった時代
初期の月刊アスキーでは、アニメ・SF好きの編集長(現・館長)が、産業会館で開催されていた、初期のコミックマーケットに出向いて、メカイラストや、萌えイラストが得意なイラストレーターをスカウトしていました 彼らが、毎号、色々なイラストを誌面用に描いてくれました 読者にはとても好評でした twitter.com/snapwith/statu…
3Dプリンタを発明した小玉氏への評価は「何を遊んでいるんだ」だった 小玉氏は追い込まれて3Dプリンタの成果物を全て廃棄して退社した 研究者としての活動を断念した小玉氏は特許を扱う弁理士になった 小玉氏に持ち込まれたのは米国3Dシステムズ社の3Dプリンタ特許の評価だった 運命のいたずらだった twitter.com/Dream_Library_…
3Dプリンタを発明した小玉氏への評価は「何を遊んでいるんだ」だった 小玉氏は追い込まれて3Dプリンタの成果物を全て廃棄して退社した 研究者としての活動を断念した小玉氏は特許を扱う弁理士になった 小玉氏に持ち込まれたのは米国3Dシステムズ社の3Dプリンタ特許の評価だった 運命のいたずらだった
@Kappaboss1 @sunasaji @madnoda 3Dプリンタを発明した小玉氏への評価は「何を遊んでいるんだ」だった 小玉氏は追い込まれて3Dプリンタの成果物を全て廃棄して退社した 研究者としての活動を断念した小玉氏は特許を扱う弁理士になった 小玉氏に持ち込まれたのは米国3Dシステムズ社の3Dプリンタ特許の評価だった 運命のいたずらだった
@Kappaboss1 @sunasaji @madnoda 3Dプリンタを発明したのは小玉秀男氏 名古屋市工業研究所勤務の1980年だった 3D CADと印刷技術から3Dプリンタを発案して試作機を作り「立体図形作成装置」として出願した 試作造形したログハウスを見たプロ達の評価は「おもちゃで使えない」だった 特許成立を中断して退社した マイコンと同じパターン
3Dプリンタを発明したのは小玉秀男氏 名古屋市工業研究所勤務の1980年だった 3D CADと印刷技術から3Dプリンタを発案して試作機を作り「立体図形作成装置」として出願した 試作造形したログハウスを見たプロ達の評価は「おもちゃで使えない」だった 特許成立を中断して退社した マイコンと同じパターン twitter.com/Kappaboss1/sta…
マニアは大興奮しましたが インテル社はコアメモリ時代に半導体メモリのトップ企業に成る為に設立された会社でした 本業はメモリの製造で、4004などは本業の立ち上がり遅れで暇だったので引き受けました 本業はメモリ製造なのでマイコン革命に気が付きませんでした インテルの会長から直接聞いた話です twitter.com/madnoda/status…
インテル社は、i8080などが売れ始めたので、パソコンがどこまで普及するのか、調査会社に高額な費用を払い市場調査したそうです その結果は「パソコンの市場は限定的」でした インテル社はパソコン完成品への進出を止めました 1987年位にインテルの副社長が笑いながら話してくれたのを直接聞きました twitter.com/Dream_Library_…
1972年ビジコム社は4004を約100ドルで仕入れて4004搭載電卓を16万円で販売していた(カローラが50万円の時代) 4004の販売権を獲得したインテル社はi4004のサンプルを1万ドル以上で売った 電卓だと16万円だがコンピュータとしては100万円以上の価値が出た 安売り電卓メーカーは、これに気が付かなかった
マイクロプロセッサ4004開発時に、ビジコン社が数億円を掛けて特許を取得していたら、IBM社並の利益を上げる事が出来たと言われている 電卓市場の価格破壊者だったビジコン社に、当時の通産省は、他の電卓メーカーを守るために潰れてもよい会社という扱いをしていた ビジコン社の4004搭載電卓 141-PF
50年前の1971年11月15日付Elctronic News誌にて始めて広告されたi4004 4004は日本のビジコム社が開発費を負担してインテル社が開発した ビジコム社の4004搭載電卓は売れなかった 4004の将来性に気が付いたインテル社は、開発費をビジコム社へ返却して自社発売を開始した 両社の運命の分かれ道となった
中高生の「工作デスク」の1日利用料は500円です 先日この利用料が厳しいと保護者から相談がありました そこで所蔵雑誌の目次入力ボランティアをお願いしました 付き添いの保護者が雑誌12冊の目次を入力して1日利用券を2枚差し上げました 中高生はトランジスタなどの部品を無料で使えます 活用願います
保護者へのお願いです 与えた玩具や、身の回りの機器を分解してしまう子供が居たら、叱らないでください 「分解」と「壊す」は異なります 粗末にしているのではありません その「好奇心」が、将来、大成功につながります 与えた玩具などを分解し始めたら、この子の将来は明るいと理解してください twitter.com/Etech_Dove/sta…