「子供の科学」の読者は小学生がメインで、中学生も居ました 「初歩のラジオ」の読者は中学生がメインで。小学生も読んでいて、電子工作に挑戦していました これらの難易度レベルは、現在の大学工学部レベルでした これをSNSで説明しても信じてもらえず、「子供の科学」の読者は学生だと反論されます twitter.com/yatanavi/statu…
60~70年代は、手引きになる模型誌、電子工作誌があり、小学校高学年が フルスクラッチでラジコン飛行機を自作 短波送受信機を自作 8bitマイコンを部品レベルで自作して完成させる など、今の大学生でも難易度が高い模型工作、電子工作を行っていました これらは何故無くなってしまったのでしょうか?
小中学生の高度な技術趣味が日本の技術立国を支えていましたが60~70年代がピークで、無くなりました 現在は 電子工学科に電子工作未経験が進学 航空学科に模型飛行機未経験が進学 大学教員は頭を抱え 就職先の企業でも指導者が頭を抱えています 小中学生の技術趣味が無くなった原因は何でしょうか?
日本の情報技術を高めたいなら、受験科目にITを入れるのでは無く 小中高校、もしくは地域に、自由参加のITクラブを作り 電子工作部品から、ハイエンドPC、高価な周辺機器、クリエイティブ・ツールを揃えて 相談できる専門家の指導員を置いて 好きな生徒に、好きなだけ没入させる方策です twitter.com/misoguri/statu…
模型作りから技術者へ 「模型とラジオの博物館」では、2022年の夏休みに「親子で体験する模型工作クラブ」を開催します 模型飛行機作りから航空力学を学んだり、電気自動車模型作りから電磁気学を学びます 対象は小学4年から中学3年生まで 参加費は部品代のみ:400円~2000円 7月から詳細を公表します
日本の模型店の黎明期を探ると、雑誌「飛行少年」大正5年7月号掲載の模型広告に行き着く ゴム動力飛行機、ヨット、スチームエンジンとボート、家庭用幻灯機兼用の活動写真機、電気モーターなどを掲載 「伊東屋玩具店 銀座三丁目」とあるのは、現在の銀座 伊東屋 文具店のルーツにあたる店舗と思われる
戦争中に文部省は、国民学校で、1年生から今の中学まで、模型飛行機作りと、模型飛行機を飛ばす事を必修科目とし 全国に模型店を1万9千軒作り 教材として、模型飛行機を1千万機供給した この巨大な教育計画は、戦争には役立たなかったが、戦後に、日本が技術立国として、急速に復興する原動力となった
80年代に入ると、子供達の興味と、お小遣い支出の対象が、アニメや、新登場したゲーム機へ移っていった その後に、受験勉強の時間も多くなり、子供達の模型工作、電子工作との関わりが少なくなった 模型工作雑誌や電子工作雑誌が無くなり、模型店も減少した そして、日本の技術立国の優位性が低下した
1960年代後半から1970年頃の模型店の花形は、小型エンジン機に制御ワイヤーを付けて、円周飛行を行う「Uコン」飛行機だった 値段も安く小学校高学年なら自分で機体を自作して参加できた 各模型店ではUコンクラブを結成して、飛行競技会を開催した 全国的に大ブームになり子供達は空への夢を膨らませた
1960年代の模型店で子供達に人気が有ったのは、本物のロケットエンジンである「タイガー・ロケッティ」 タイガー製作所が開発した 推力15g程度でバルサ製のジェット機模型を飛行できた 茶色の円筒が石油系燃料で、火薬は使用していないので安全だった 噴射時間は15秒だが飛びすぎて見失う事が多かった
1964年の科学教材社店内 模型店では電子工作部品やラジオキットも販売していた スーパーヘテロダイン式の受信機の調整には測定器が必要なので科学教材社では測定器を備えた「ラジオ無料相談室」を提供していた 小中学生でも本格的ラジオ製作に挑戦した時代 技術立国の推進役は国策ではなく模型店だった
1964年の科学教材社店内 手前のショーケースは鉄道模型を展示 下段はOゲージ 中段はHOゲージ 上段はパワーパックを展示している この時代は、HOゲージの車体キットが500円から1000円で買えた ペーパーボディー車体キットは200円 直線レールは1本140円 小中学生でも、お小遣いで鉄道模型を楽しめた
1964年の科学教材社店内 模型店は玩具店と異なり「おもちゃ」は扱わない 扱うプラモデルは、軍用機、戦車、軍艦に人気が有った 模型材料は、バルサ材、ヒノキ板や角材、金属材など タイガーロケッティも人気だった 工具も扱い、マニア同士の交流も出来たので正にメイカームーブメントの発信拠点だった
戦時中の模型飛行機を作る必修科目のために、日本全国に模型店が1万9千軒作られた 現在のコンビニ店と同じ密度なので、日本中の小中学生が徒歩で模型店に行けた 戦後も残った模型店は、玩具店とは異なり、模型工作材料から科学教材までを扱った 写真は1964年の科学教材社店内 模型店の総本山的な場所
寄贈品ご紹介 スティーブ・ジョブズ氏が設立した「NeXT Computer」社が1988年発売した最初の製品NeXTcube 奇跡の動作品 BSD系OS「NeXTSTEP」を開発搭載 NeXTSTEPの技術は、その後のMacOS、iOSに受け継がれている ご寄贈感謝いたします 私蔵・処分以外の第三の選択として寄贈のご検討をお願いします
日本の公立図書館では書籍のデジタル化を書画カメラにて手作業で行います 欧州では、自動的にページをめくり、密着型のイメージセンサーで左右ページを同時にスキャン出来る機材が導入されています 自動スキャン速度は、1時間に最大3000ページです 非破壊型の自動ブックスキャナーの開発が必要です twitter.com/aquirax01/stat…
4月13日JRが「えきねっと」のアクセス集中対策としてJR駅の「みどり窓口」の利用を呼びかけた 「みどり窓口」がどのように開発されたか、そのルーツを紹介します 1957年までの座席予約は各駅から東京駅まで電話連絡して手作業で処理していました 写真は中華テーブル型の回転する座席指定台帳を使う職員
貴重資料は、デジタル化してコピーを提供しています 原本を貸し出して返却されたのはNHKだけでした 過去に、個人ライターから民放まで、色々な資料を貸出しましたが返却された事は「一度もありません」でした 今は現物貸出依頼には、運び出しから返却まで、当方のスタッフが立ち会う条件にしています twitter.com/gogotea3/statu…
最近は、マスコミ各社からの黎明期のマイコン資料の提供依頼が増えています 研究者からの調査協力依頼も有ります 技術史を遺す事はとても重要です 未来につながります マイコン博物館にて技術史を遺せるのは、多くの寄贈者のご協力による成果です 改めて、寄贈協力に感謝します twitter.com/hellotocky/sta…
蔵書を平置きするアイディアは、ヨーロッパに有る数百年の歴史を持つ図書館が、本が傷まないように平置き保管している実例から学びました 日本の図書館では平置きを見ないです 薄い雑誌は立てて保管すると曲がり癖等の傷みが発生するので平置きが良いです 平置きで120年前の雑誌も安全に保管しています twitter.com/Katsumin1024/s…
マイコン博物館では多くの寄贈者から、たくさんのマイコンを寄贈いただいています 複数台所蔵するレトロマイコンも多いので、余裕分をウクライナの私設コンピュータ博物館の再建用に贈ります 戦争が終わり、国際宅配便が再開したら贈ります 日本のマイコン雑誌も一緒に送れば楽しんでくれるでしょう
ウクライナで個人が運営していたコンピュータ博物館が爆撃により破壊された 幸い運営者は無事だった 運営者が生き延びればコンピュータ博物館は再建できます ご無事と再建を祈ります 夢の図書館は2000年頃のゲリラ豪雨で地下室保管していた4トントラック4台分のコレクションを失いましたが再建しました
キャサリン・ジョンソン女史の活躍を描いた映画ドリーム(2016年) 最初の宇宙飛行士ジョン・グレンや、アラン・シェパード達が電子計算機の結果より、彼女の手計算の結果の方を信じていたエピソードが描かれた映画ドリームが放送されます 放送日:2022年3月12日(土)午後11:55~放送 放送局:NHK総合
最初にコンピュータが発表された1950年頃の外観は大量の配線の塊だった 技術者が100人の計算手が1年間掛かる計算を1時間で完了する電子頭脳と説明しても取材記者には理解できなかった 一計を案じた技術者は、電球をたくさん付けてピカピカ光らせる演出を行った 効果抜群で記者達は凄いマシンと理解した
ピカピカ光るコンピュータLegacy8080を絶賛発売中です 伝説のマイコンAltair8800、IMSAI8080の復刻版です 映像は毎秒2命令で実行中 機械語が解る方は処理内容を読み取れます 高速で動くとMHzで点滅するのでピカピカは上位bitしか見えなくなります ピカピカ光るのはデバックモードか、見栄の演出でした twitter.com/witch_kazumin/…