東大か他大学か以前に、大学進学が「機会」として視野に入るかどうかにおいてまず明らかに環境を要因とする差がある。それは決してフィクション(呪い)ではない。ましてやその「呪い」解くためには不遇な子が自力でチャンスを掴んだ「物語が必要」というのは、自己責任論以外の何物でもないと思う
「その子と合わないと感じて個人的に距離を取ろうとしたらいじめになってしまった」は珍しくない。それを後押しするのが「みんな仲良く」という学校の同調圧力。みんな仲良くなんて不可能。「合わない子・好きになれない子とどうお互いを傷つけず距離を取るか」の方が子どもにとってずっと有意義
そう、家庭環境に問題があるかもしれません。ではその「家庭環境の問題」が「解決」するまで彼女たちは毎月下着を汚し続けろと?毎月下着を汚さなくて済む、生理の心配をしなくていい、それだけで心身の健康度は向上し、逆境的環境から逃れる可能性が高まるとは思いませんか? twitter.com/fifi_egypt/sta…
注意書きの先に露骨な性描写があるわけじゃない。だから「この程度のことで?」と思う人もいるかもしれない。そう、「この程度のこと」で傷つき尊厳を損なわれてきた人が沢山いるんです。そして注意書き以降の展開がまさに「この程度のことで?」と言う人たちにNOを突きつけてくれている
オンラインも電話も「話を聴く」サービスはたくさんある。でもその先の家・食・お金を提供してる団体は少ない。本当に少ない。だから相談の件数に対して実際の「支援」の件数はどうしても少なくなる。家も食もお金も提供するのに人も予算も必要だから。そしてめちゃめちゃ大変で心も生活も削られる
「私にしかできない仕事」なんて実はほとんど存在しない。でも「私しかやろうとしない仕事」はわりとあるなぁと思う
「逆境乗り越えて活躍してる人ってレアだけど発言力も影響力もあるから、乗り越えるのが当たり前で乗り越えられないのは努力不足だって、より一般化されるんだと思う。そうすると機会や出会いに恵まれなかった人たちがどんどん何も言えなくなるし、もっと苦しくなる」
「困ってる人を助けましょう」って当たり前のことのように聞こえるけど、福祉では「困ってるかどうか」の軸に重きを置きすぎない方がいい。困ってれば支援を受けられる。たとえ「困って」なくても、お金なくて家なくて暴力あって権利侵害されてる「事実」があれば支援の側から繋がりに行く。それが福祉
生存権の話をしてるのに優しさとか思いやりとか絆とかの話にいつの間にかすり替わるの、なんでだろ。
初対面の相手に自分の家族関係や人間関係、病歴、預貯金や収入、思い出すのも辛いことを話す。相手から同じ情報は得られない。一方的に話す。相談には大きな負荷がかかる。私たちは「気軽に相談して」って言うけれど、相談は気軽にできるものじゃない。ギリギリまでしたくないのが、むしろ当然
#文春オンライン 性加害教員の記事について(広めるべき記事ではないのではシェアしません)。性加害は加害者に「そのつもりがあった」かどうかで有無が決まるものではありません。この記事によって被害を訴え元生徒さんが苦しみ、また何らかの更なる被害を被ることを懸念します。そして今教師からの→
働けないことを納得してもらうための説明を考えよう」と戦略を練ることは通常です。それを不正だと言うのなら、本来受給できるべき人に届かない制度上の大きなエラー(それこそ不正です)の方にも注目、批判してほしいと思います。
むすめ氏16歳「わたしらに未来を託すとか言う前に、格差とか差別とか紛争とか気候変動とか自分たちが作った問題の落とし前ちゃんとつけてよね大人たち。わたしら若者は社会的介護要員じゃないよ」 社会的介護要員!
日常的に同意というプロセスを軽んじて、NOという力を奪って、それで「性的同意について授業でちゃんと教えました」としても、それは結局「教育を受けたのにちゃんと同意を構築できない/NOと言えない」自己責任に帰されてしまうんじゃないかと危惧する。危うい。
駅や公共施設よりもむしろ「何もないところにポツンとある」電話が大切なんです。駅や市街地には常に人がいていざとなれば誰かに助けを求められる可能性がある。でも徒歩で行ける圏内に商店も公共施設も交番もない、そんな僻地に暮らす人たちがいて、彼らにとってこそ公衆電話は命綱なんです。
相談窓口は抗議のツールではありません。援助を必要とする人たちのためのものです。回線やメールボックスに無関係な問い合わせが殺到することで支援を必要とする人との繋がりが絶たれる恐れがあります。それは誰かの命を奪うに等しい、暴力です twitter.com/colabo_yumeno/…
「大学行きたいけどお金ないしなぁ」「進学したいけど親が反対するしどうしよう」じゃない。そこまで行かない。ずっと以前の話。高卒(中卒)で働いて家の稼ぎ手になる、それが当たり前、そうやって経済や文化が回ってきた世界で生きてる子たち。進学も就職も選択じゃない。選択の機会がない→
日本学生支援機構の家計急変採用(給付奨学金/返還不要) 『2022年7月1日より、家庭内暴力から避難をした場合も申請可能です』 ↑これは要宣伝!要拡散! jasso.go.jp/shogakukin/mos…
いいなぁ。当地含めて多くの自治体が「出て行かないで」か「戻って来てほしい」という願望を露骨に目的にした取り組みになってるけど、行っといで!と自由への背中を押してくれる「地元」の方が(私なら)ずっと好きになると思うな。戻るかどうかも自由、でも自由が尊重された記憶はずっと残るはず twitter.com/16liana_n/stat…
もしちょっとだけ欲を出せば、もし子どもたちが大人になって「そういえばたべまなってところがあって、あれって寄付で支えられてたんだなぁ」って思い出して、もしそのことに「感謝」して、もし何かの形で返したいと思ったら、それはたべまなを支えてくれた大人ではなく次の世代にであってほしい
【募集※不用な家具家電】 シェアハウス(シェルター)を出てひとり暮らしを始める女の子がいます。あれこれ用意しなければならないものが多く、負担を減らすため皆さまからのご支援をいただけないでしょうか。リプ欄にあるもので、まだ使えるけれど不用になった品があればご連絡ください→
提訴を支持します。大人が安心して働けない職場で子どもを守ることはできない。人を増やすには待遇と環境の改善、そのための予算の確保。「社会的養護を受ける子の福祉」という多くの人にとって「関心はあるけど当事者ではない」事柄に優先して予算を割ける世の中であるか→ news.yahoo.co.jp/articles/efe26…
「関心を向けさせるために自分たちを疎外し蔑ろにしてきた相手に対して関心を持たなければならない」ってなかなかタフな課題だと思う
「そしてみんな逆転物語好きなくせに、その逆転の中に少しでもケチつけられる部分があると手のひら返して責めるよね。完全にクリーンな逆転物語なんてほとんど無いはずなのにそれを一般化しちゃって、そうすると自分も生きづらくなると思うんだけどな」 御意、しかない。
こういうしれっとじわっとポップに母親を追い詰める表現はメディア云々よりよりずっと「子育て」に悪影響だと思います。で、まだまだそういう表現がありふれてる