休業補償のための助成金申請を渋る事業所が多く、補償を受けられない(欠勤を余儀なくされるか無理して働くしかない)という非正規労働者からの相談が既に複数寄せられています。事業主への支援は必ずしも生活者への補償につながりません。このツイートこそ不確かです。状況を正確に把握してください。 twitter.com/mhlwitter/stat…
各地で運動会の中止が検討されている。中止反対派は「運動会が無くなったら悲しむ子がいる」と主張するけれど、実は運動会が苦痛で大嫌いな子は一定数いる。そういう子の声は大人にとって望ましくないから封じられてしまう。子どもの声を理由に持ち出すなら、都合の良い声だけ取り上げるのはやめよう。
「日本に人種差別はない」と言う人に出会うたび、「ガイジン」「バイキン」「日本から出て行け」と言われ学校でいじめられたかつての私が「いじめられたのはお前に何か非があるからだ」と言われているような気がして、胸がひどく痛む。今でも。
不登校の子に「別室でいいよ!週1回からでいいよ!放課後でもいいよ!家庭訪問するよ!文通からでも!」って選択肢を並べると、かえって追い詰めてしまうことがある。選択肢があっても辛くて怖い気持ちは消えない。そして「選択肢があるのに選べない、期待に答えられない自分」がますます苦しくなる。
当地ではしばしば「子どもを産めば産むほど金持ちになれる」と言う人に出会う。「高校まで出せばあとは働いて稼いでくれる」「男なら嫁をとって稼ぎ手が増える」「介護の心配もない」「だから数は多い方がいい」と言う。子どもが大学に行くことや、他の土地で暮らすことは、全く想定していない
何度か言ってるけど「子どもの貧困」って言い方そろそろやめたい。子どもはひとりで貧困になれない。それは親の貧困であり大人の貧困。「子どもの貧困」という独立した問題があるかのような言い方をすると「子どもを応援すれば子どもは自力で貧困から抜け出せる」って誤認が広まる。子どもの責任になる
「子どもの貧困」という言葉が広がったのは「大人(親)の貧困」だと自己責任論によって支援への支持が得られないから。子どもには無条件で同情が集まる。それを「子どものため」に利用しようとした結果「応援」の対象が子どもの自助になり、最も必要な社会保障による親支援の拡充は後回しにされていく
親支援・大人支援へのアレルギー反応を緩和するために「子どもの貧困」という言葉は作られた。でもその結果、支援の矛先は問題の本質からどんどん逸れてしまった。 貧困の中暮らす子どもはたくさんいるけれど、それは「子どもの」貧困ではない。そろそろちゃんと大人の貧困・親の貧困に向き合おう。
髪を切ったら教師から「ツーブロックに見える。切り直せ」と言われ、再び美容室に行って切ってもらったら「まだツーブロックに見える。切ってこい」と言われ、ほとんど坊主頭になってしまった子がいた。女の子です。ツーブロックはダメで、無理やり坊主にするのは許される。後者の方がずっと野蛮なのに twitter.com/u1_ikegawa/sta…
私も「もし全身が全く動かなくなったらいっそ死んでしまいたくなるだろう」と考えることがある。私がそう考えるのは、この社会が「何もできない人」に対して厳しく冷たいことを知っているから。だからまず「何もできなくても」生きていたいと思える社会にしよう。「死ぬ権利」云々の議論はそれからだよ
炎天下でマスクつけた子どもに妖怪の絵を描かせる学校も、それを批判的に報じられないメディアも、どっちも終わってる。 twitter.com/nhk_news/statu…
なんというか。アーティストの性犯罪にまつわる同様の事案と展開は多々あったけれど、久しぶりに、すごく久しぶりに、というか初めてなくらい、関係者によるとても真っ当で優しくて「逃げ」の一切ない説明を読んだ気がする。私はアクタージュ大大ファンだったけれど、その想いを弔ってもらえた気がする twitter.com/uszksr/status/…
「その子と合わないと感じて個人的に距離を取ろうとしたらいじめになってしまった」は珍しくない。それを後押しするのが「みんな仲良く」という学校の同調圧力。みんな仲良くなんて不可能。「合わない子・好きになれない子とどうお互いを傷つけず距離を取るか」の方が子どもにとってずっと有意義
自分で食べるために5房盗んだ技能実習生。そして合計31房盗んで転売目的が疑われる日本人男性。どうして前者が見出しになるんだろう? twitter.com/mainichijpnews…
「お金がなくて困っている」という家庭を訪問するとモノで溢れていて特に子どものおもちゃ(特撮系アイテムやゲーム機)が山ほどあったりする。これは単なる無計画な散財ではなく「子どもに説明しNOと言う」や「必要なものとそうでないものを仕分ける」エネルギーが欠乏しているから。それこそが貧困→
子どもにモノを買い与えてしまう。 「けしからん貧者」の内側には、貧困故の複雑な葛藤がある。ここに書いたのはただの一例。だから「けしからん」ように見えても、その怒りや嘲りを文字にする前に、一寸「私には分からない何かがあるのかもしれないな」と指を止めてみてほしい。
貧困は思考し判断し対話するエネルギーを奪う。そして貧困だからこそ「モノが無い・買えない」ことを強く恐れる。貧困故に「子どもに惨めな思いをさせたくない」と願い、子どもの要求にNOと言えなくなってしまう。「子どもの期待に応えられない自分」を不甲斐なく感じ、その葛藤から逃れるために→
「子どもが好きなんです」と言う人の多くは、ひとりひとりの「子ども」じゃなくて「子どもらしさ」が好きなんだと思う。自分が期待する子どもらしさ。だから期待に沿わない言動や反応が返ってくると子どもを突き放したり激昂したり勝手にがっかりしたりする
生活保護、1人で申請行くと断られてソーシャルワーカー等が同行するとOKになる場合がかなりある。実は窓口での「渋り」なんてその程度。でも同行者見つからない、そんな場合は日弁連のこのパンフレット持って行って窓口に見せながら申請することをお勧めしてます。 nichibenren.or.jp/library/ja/pub…
窓口では車があるとか親族いるだろうとかで断られるケースはまだまだあるけれど実はどれも要件じゃない。必要な人の申請権侵害の方が、ごくごく少数の「不正受給」よりずっとずっと大きな問題。ちなみに必要な人が申請をためらわないために適切な窓口対応を促す文書が各自治体に降りてきています。
特に重要①→相談段階における扶養義務者の状況の確認について、扶養義務者と相談してからでないと申請を受け付けないなど、扶養が保護の要件であるかのごとく説明を行うといった対応は不適切であるので、改めてご留意願いたい。
こういう文書について知っておくことも生保申請のライフハック。「知ってる」人には確実に窓口の対応が変わります。ほんとはこんな「自助努力」なんて必要ないはずなんだけどね。
特に重要②→生活に困窮する方が、所持金がなく、日々の食費や求職のための交通費等も欠く場合には、申請後も日々の食費等に事欠く状態が放置されることのないようにする必要があり、こうした場合の速やかな保護決定について、5月 26 日付事務連絡等において依頼しているところである。
届いたのは指定された日時の1週間前、しかもその手紙に「欠席厳禁」ってデカデカと書いてある。あなたも仕事してるんだから突然休むのが難しいことも半日休んだらその分お給料減ることもご存知ですよね?「生保抜け」のために頑張ってる人の足引っ張ってどうするんですか?
もしもし生活保護担当の中の人。就職しろ仕事しろ自立しろって言っておきながら、頑張って仕事始めた人に突然「来週○日家庭訪問するから空けておくように」って一方的な手紙送りつけるのおかしくない?仕事休まなあかんよ?その時間の時給なくなるよ?せめてシフト確認してから日程決めませんか?