貧困問題に関心があります メンタルヘルスをテーマに起業したいんです 大学入試でこども食堂についてプレゼンしたいです そんな学生さんたちが日々連絡をくれる。彼らと話したその数時間後、私は貧困のど真ん中にいて虐待を受け学校との繋がりが絶たれ「将来を選べる」機会から程遠い子たちを訪ねる
「こども食堂を知ってますか?貧しい家庭の子どもたちが…」なる広告をクリックしたら「貧困の子たちが来るこども食堂に寄付を」というサイトに飛んだ。「子どもの貧困対策にはこども食堂を」という文脈が「子どもの貧困」への社会的な理解を歪曲し、行政による(根本的な)対策を後退させてるのに→
痛い思いをさせればいなくなる 寒い思いをさせればいなくなる 怖い思いをさせればいなくなく   これってあの犯人だけじゃなく、行政の「対策」そのもの。路上生活者だけでなく、例えば家出した少年少女たちにも同じことがされてる。「見たくない」私たちの欲求のために、見えない場所に追いやってる
安全な環境で育つことができない子が多くいる世の中で、「育てられないから」という理由で諦められる命がある世の中で、子どもの命と権利が軽んじられるこの国で、なぜ「産む/産ませる」ばかりが優先されるのか まず今・困難な環境に置かれた子たちが安全に養育されるための福祉を拡充してください
「そうだねー」とさらさら流れていく空気を遮って「人に好かれることがどうして強みなの?」ときいてみた。その子は「人に好かれると、支援を受けやすいからです」と答えた。そこで蓋が開いた。支援は困窮や苦痛の深度によって提供される質量が変わるのではない→
生活保護。病気じゃないのに「病気だと言おう」と勧めることはありません。通院先を確認されるのはマストなのでそんな小手先の嘘は通じないんです。でも「働けないと言わないと受給できないし今は働くことよりもお金の心配を減らして心身をケアして回復することが大切。それが自立の第一歩。だから
女の子はてきぱきできずだらしなく片づけせず話を聞かずぼーっとしてると気が利かないと叱られる(ことが多い)。男の子は「男の子だから」とゆるされる(ことが多い)。更には「教育の専門家」が「男の子脳」だなんだと無責任なお墨付きを与えてしまう そのせいですが? twitter.com/oyanochikara/s…
子どもに「将来の夢」を書かせたり言わせるの、子どもにとって何か良い影響があると思えない。限られた知ってる職業の枠に可能性を押し込める必要ない。せめて「将来の夢」として特定の職業を書かせるのはやめてほしい。私ら生きるために仕事してるんであって、仕事するために生きてるわけじゃないよ
「正義を振りかざす」という文言が揶揄や嘲笑や批判として用いられるようになって久しいが、正義すら振りかざすことを躊躇う私たちはいったい他に何を掲げるのだろう
8月になってまた #学校ムリでもここあるよ が始まるだろうけど、子どもたちに「相談して!」「逃げていいよ!」って言うだけじゃなくて子どもたちを「死にたいくらい辛い」にさせてる側へのメッセージを強く発信していきませんか?8月に子どもの自死は増えるけど理由はそれまでの毎日の中にあるんだよ
保健室って学校の中のクリニックだと思うの。だから「授業に戻らないと単位やばいよ」とか「休んでばかりだと勉強遅れちゃうよ」とか、そういうの要らないんです。病院で「通院なんかして仕事大丈夫ですか?」「病院に来たら出世に響きますよ」って言われたら苦しいですよね。要らないんです。
「人を見た目で判断してはいけません」と言いながら見た目を画一化するようなルールがあったり、ルールを守りなさいと言いながら校則を守らせるために時に恫喝したり外見を強引に変えたりという法を犯す行為をしたり、自分の頭で考えなさいと言いながら反論を許さなかったり→
地方差もあるけれどここいらは本当に少ないですよ。学歴性別年齢不問をうたってもひとり親女性はなかなか採用されない。採用されてもその給与だけでは到底子育てできない。日々の生活はなんとかなっても「不測の事態」に備えることはできない。稼ぐのは大変、でも手当は簡単に削られるって知ってる?
社会問題に声を上げる「若者」たちを恵まれた者の特権だのと揶揄する人たちは、たとえ困窮する若者が貧困や格差に対して声を上げても「もっと困ってる人たちもいる」「声を上げられるのは本当に困ってないから」とか言って聞く耳持たないんじゃないかなぁ
「自分には価値がない」という色眼鏡をかけ続けてると誰かを信頼し助けを求めることが難しくなり、行動は自滅的になり、良くない選択ばかりして、周囲を振り回す不安定な関係を繰り返してしまう。色眼鏡を作るのはトラウマ。逆境環境を生きた人は「好きで不幸になってる」ように見えてしまう時がある
女性の=性差関係なく他者のプライベートゾーンを触ることの何がいけないのか分からないまま大人になってしまったらしい人が、何がいけないのか分からないまま子どもたちの前でこういった行いをすれば、子どもたちは何がいけないのか分からないまま育ってしまう。   知ってください。これは性加害です twitter.com/sakai_kazuyosh…
学校に合わない子が増えてるんじゃなくて、学校のシステムが今の子どもたちに合わなくなってきてるんだと思う。
娘氏はお菓子作りが得意で料理もそれなりにする。今日も色々作ってくれたのでつい「あなたと付き合える人は幸せだね」と言ったら「誰かと付き合ったからって私が料理を引き受けるわけじゃないしもしママが相手を男性だって想定してるなら私が将来一緒に暮らす相手は男性とは限らないよ」と即カウンター
「DVです」という訴えの中に「虚偽」を発見することは(私のキャリアの中では一度も)無いけれど、「DVは受けてません」という言う人の中にDVを発見することは多々ある。暴言、人格否定、行動制限や監視、生活費を渡さなかったり収入を取り上げたり。被害者も「殴られてないし…DVじゃないです」と言う
対人支援って「困ってる人から感謝される素敵なお仕事」だと思われてるかもしれないけど、感謝なんかより文句言われたり八つ当たりされたり期待に応えられないと価値下げされたり、そんなことの方がずっと多い。むしろそれが真っ当。だから仕事に感謝とかやりがいを求めると、詰みます。歪みます
思春期。そんな言葉に甘えて目の前の子どもの声から耳を塞ぎ続けるなら、そう遠くないうちに見限られると思う。親が、子どもから。見限られるならまだいい、見限ることができず葛藤を抱えたまま添い続ける子もいる。そうなったら、親はただの暴君です
王様が「勝ったから明日は祝日です!」と決められる国は、同じように「負けたから明日祝日だけど平日にします」と決められてしまうかもしれない国だってことだよ
貧困の中を生きている子ほど「こども食堂」の必要性が高いのはひとつの事実です。ですが、貧困により社会的孤立のリスクが深まるほどこども食堂に繋がることは難しくなります。私たちは無力です。私たちを中継したのでは必要な支援が届かない人たちがいます。政治にしかできないことをしてください
親への手紙を書かせるのをやめたらいいと思う。「伝えたい気持ちがあるなら手紙という手段があるよ」と提案するのは良いけど、学校で書かせる必要ないでしょ。親を感動させるために教育があるわけじゃないんだから twitter.com/zikatu1/status…
「子どもの貧困という問題に関心があります。貧困の子どもたちの力になりたいので子ども食堂やりたいです」と見学やヒアリングに来る中高生がいます。関心を持つのは悪いことではありません。ですが「関心を持てる」あなたは今どこにいるか、当事者は「関心を持つ」ことができるか、少し考えてほしい