支援を受けたくば愛想良くしなさい。大学に行きたくば成績を上げて給付型奨学金を勝ち取りなさい。何らかのしんどさを抱えた人は、そうでない人よりも、他者からの評価が高くあることが求められてる。そうしてハンデが上塗りされていく→
病気かもしれない、体質かもしれない、薬の影響の可能性もある。そして困窮すると食から削られ、削られることで逆にカロリー過多になることもある。どれも「若者世代」と無関係な話しではないよね
窓口では車があるとか親族いるだろうとかで断られるケースはまだまだあるけれど実はどれも要件じゃない。必要な人の申請権侵害の方が、ごくごく少数の「不正受給」よりずっとずっと大きな問題。ちなみに必要な人が申請をためらわないために適切な窓口対応を促す文書が各自治体に降りてきています。
夏休み延長なら給付金もセットです。子どもが自宅にいると増える食費、水光熱費、仕事をセーブしなきゃならない親もいる。ギリギリ夏休み乗り切っての延長は大きな負担。でも対象者選んでたら給付が延び延びになるので「国民全員に一律」でいきましょう。去年できたんだから。あと、検討始めるの遅すぎ twitter.com/tbs_news/statu…
だから怒ることにした。叩かれたら叩き返すことにした。でもその繰り返しを経験したことのない人は「いくら怒っているからといってそこまで言わなくても」「相手も悪いけど叩き返したら相手と同じ」と思うかもしれない。うん、私もそう思ってた。そうして叩かれ続けてきたんだよ。
防御に徹すればより強く殴られる。でも無視をすれば「対話に応じないのか」と冷笑される。反撃すれば「分断に加担するのか」と責められる。でもその「分断」って、まず誰が作ったの? 泥試合を不快だと思える人が羨ましい。でもそんな「お気持ち」なんて知ったこっちゃない。だから私はわきまえない。
話題の横断歩道で子どもたちがドライバーに一礼するあれ。当たり前のことを要求したり自分の安全を守ったり間違いを正すにはまず「力を持つ側」を良い気持ちにさせなきゃいけなくて、深々と頭を下げた「お願い」ポーズが必要だと、こうやって小さな頃から「学んで」しまうのか。パワハラみがすごい
当地ではしばしば「子どもを産めば産むほど金持ちになれる」と言う人に出会う。「高校まで出せばあとは働いて稼いでくれる」「男なら嫁をとって稼ぎ手が増える」「介護の心配もない」「だから数は多い方がいい」と言う。子どもが大学に行くことや、他の土地で暮らすことは、全く想定していない
もちろんそれ以外にもいろんなアクションがある。でもまず投票。それが誰にでもできる、いちばん大切なアクション。軽んじては絶対にダメ。
「社会のせいにするな」じゃなくて、「社会のせい」にした上で「その社会を変えるために構成員のひとりである私は何をすべきか」って話をした方がよくない?
「子どもが好きなんです」と言う人の多くは、ひとりひとりの「子ども」じゃなくて「子どもらしさ」が好きなんだと思う。自分が期待する子どもらしさ。だから期待に沿わない言動や反応が返ってくると子どもを突き放したり激昂したり勝手にがっかりしたりする
RT)性同意年齢の引き上げに賛成なのは言うまでもなく、ここぞとばかりに慎重論を持ち出して興奮気味に反対する大人たちを軽蔑もする。だだ私が賛同するのは「子どもは未熟で間違えるから判断できない」という理由ではなく、「子どもが間違えることを利用する大人を罰しよう」という意図においてのこと
不登校の子に「別室でいいよ!週1回からでいいよ!放課後でもいいよ!家庭訪問するよ!文通からでも!」って選択肢を並べると、かえって追い詰めてしまうことがある。選択肢があっても辛くて怖い気持ちは消えない。そして「選択肢があるのに選べない、期待に答えられない自分」がますます苦しくなる。
人に好かれる、品行方正で愛嬌の良い人ほど多くの助けを得られるのだという事実が、そして他ならぬ「支援者」である私たち自身がそれを是としているという事実が曝け出されてしまった。その後の展開は思い出せないけど、会議の空気がひどく濁って重くなったことだけは記憶してる→
「こども食堂」を運営する側の大人(の一部)からほぼ定期的に「裕福(に見える)親が子どもを連れてくる」ことに対しての不満、利用を断ったりその子だけ有料にしたり「想定してた(生活困窮)層の子が来ない」ことを嘆くツイートが流れてきますが、子どもの「しんどさ」って困窮だけではないよね→
私も「もし全身が全く動かなくなったらいっそ死んでしまいたくなるだろう」と考えることがある。私がそう考えるのは、この社会が「何もできない人」に対して厳しく冷たいことを知っているから。だからまず「何もできなくても」生きていたいと思える社会にしよう。「死ぬ権利」云々の議論はそれからだよ
不登校児の親さんに「学校来ちゃえば大丈夫なんです。だから来させてください」って言う教師多いけど、学校で「大丈夫」に見えても行くまでに泣いて身体あちこち痛くなって落ち込んで眠れなくて、帰ったら疲れ切って何もできなくてイライラしてって、「学校で大丈夫」の代償が大きすぎるんだよね
その子たちの切実な痛みを軽んじることになるから。何も言えなくなる、難しい。ただ私たち大人にできることは、普段から容姿についての言及を避けること。自己批判(自虐)も含めて。自虐は他罰になるから。容姿や体型以外にも、子どもたちと共有できる話題はたくさんある。そっちを膨らませていきたい
「性暴力はあなたが思うよりずっと前から始まっている。ああいうやつになるな」 性暴力への啓発が女性への「予防」に偏っていることは、女性にとって生きづらさの上塗りです。男性同士で抑止し合うこういった広告が日本でも増えてほしい。#dontbethatguy twitter.com/osadanna/statu…
約束を守らない、容姿をからかう、人前で貶める、勝手に私物を捨てる、嘘をつく、無断でプライバシーを他者に晒す、他人には絶対にやらないことを「親子だから」で許されると思ってる。それは支配。「親子だから」で許されると思ってる「よくある子育てトラブル」も、ニュースになるような虐待も、
髪を切ったら教師から「ツーブロックに見える。切り直せ」と言われ、再び美容室に行って切ってもらったら「まだツーブロックに見える。切ってこい」と言われ、ほとんど坊主頭になってしまった子がいた。女の子です。ツーブロックはダメで、無理やり坊主にするのは許される。後者の方がずっと野蛮なのに twitter.com/u1_ikegawa/sta…
大学に入って学食でひとりでごはんを食べて、周りにもひとりで食べてる人がいて、すごく安心したのを覚えてる。小学校や中学校の給食班も、週に1回設定されてた「好きなグループで食べる」も、高校の誰かと食べてなきゃ「おかしい」空気も、苦手で辛かったから。ひとりでいいんだって、安心した
妊娠を理由に退学を迫られる女子生徒 ひとりで隠れて産まなければならない女性 お金がなかったり相手の「同意」を理由に中絶できない女性 親元で育つことができず将来の選択肢が狭まる子ども・若者たち そんな人たちに日々関わる私がなぜか移住促進の会議、つまり自治体の人口増やすには→
本気度は分かったから一般向けツイートだけじゃなく現場窓口への周知徹底もお願いします。車あるからダメ家あるからダメ家族いるからダメ家を無くして誰かの家に身を寄せてればそれを理由にダメ。全部窓口での対応です。利用者が勝手に忌避するんじゃない、忌避させてるんです webronza.asahi.com/national/artic…
オリパラ開会式作曲者小山田氏の「いじめ自慢」の中身を読んだ。想像以上に残虐な暴行と性加害で、人権と尊厳を蹂躙し尽くす犯罪行為だった。吐き気が止まらない。過去の話だと、人は変わるものだと、そう流せるレベルを超えてる。蒸し返し云々じゃない、問題とされなかったことがまさに問題