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「区別しない」と「差別しない」は同義じゃないんだよ。区別しないことで不均衡や暴力が温存されるなら、それは差別です。
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他にも「それじゃない」感すごい
住宅確保要配慮者への入居相談や見守り→公営住宅増やして入居要件緩和しない?
フードバンクによるこども食堂への食品提供拡充→給食費無料化しない?子育て中の家庭に直接食料品届けるとかどう?
生活困窮者支援するNPO支援→それもいいけどまず直接給付じゃない?
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それは子どもからの信頼を捨てる仕草です。それにその子が「死にたい(くらいしんどい)」理由は今・ここの現場、つまり学校や家庭にあるわけで、それは医療にかかったからって解決するわけじゃない。私たちにできることがもっとあるはず
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ソーシャルワーカーを目指す学生さんにお話をする機会が度々あるけれど「仕事しんどいし恨まれたり攻撃されたり誹謗中傷も当たり前だし無関係な人からも誤解されるし、楽しさとかやりがい求めたら拗れるからそれを満たす場は別にちゃんとつくっておいてね」って話す→
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不登校の子を持つフルタイムひとり親に対して「一人で過ごす時間が多い」「放置してる」っつっても、だからどうしろと?そう言うなら働く時間減らしても充分生活していける資金か昼間「見守り」してくれる手立てを出してくださいな。対人援助職としてそれができないなら、黙ってようね
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誰かを「信じる」って「この人は過ちを犯すはずがない」「私を裏切るはずがない」という期待や信念ではなくて、「この人が過ちを犯す/私を裏切る時はきっと事情があって苦しんでるんだろう」と想像できること、そしてその時私はその人を見捨てないし支え続けるだろうと「信じる」ことなんだと思う
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特定の「社会問題」に関心を持ち、また声を上げ行動する人たちの中にはその「問題」の当事者、あるいは元当事者が多くいる。
でも権利が制限された子ども、高校生の場合はただ巻き込まれるだけで、ぐちゃぐちゃで、「問題に関心を持つ」なんて「贅沢なこと」だったりする
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もしかしてスポーツが嫌いなんじゃなくて体育が嫌いだった…?ってことに気づいて運良くスポーツと「再会」したのは20代後半になってから。それからは誰とも比較しない、自分の身体や気持ちと向き合ってゆるく楽しむだけのスポーツをちょいちょい続けてる
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「子どものこと」で相談に来るのはひとり親家庭に限らず大半が母親。その事実からだけでも家事育児負担の不均衡とか母親への社会的な期待や抑圧とか男女の賃金格差とか男性の相談のしにくさとか、様々なジェンダーギャップが透けて見える。子ども支援をするとジェンダー問題に無関心ではいられなくなる
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私も含めて「子どもを守る」を生業とする人が必ずしも子どもの頃「守られていた」わけじゃない。だから「子どもを守る」が何か分からなかったり翻訳がそれぞれ違っていたりする。そしてしばしば「子どもの頃の私はこうしてほしかった」を軸に判断することになるけれど、目の前の子はかつての私じゃない
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日本には「みんな」はうんざりするほどたくさんある。でも「わたしたち」はほとんど無いように思う。
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こども食堂始める動機は色々。ただ美味しいごはんを食べてほしいという願いだって素敵。でも始めた瞬間に、政治や企業がこども食堂への補助や寄付で貧困対策への責任のお茶を濁す動きに巻き込まれることになる。否応なく。批判を避けていたのでは、格差の固定化に加担するのと同じ
#わたしも投票します
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親を頼れない困窮する学生に学校(主に高校の保健室)を通じて食品や日用品を届けるってことを細々とやりながら、子育て支援=子ども支援とは限らないってことを痛感する年末
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弱さが許せないのは怯えているから。「自分は違う」と盲信したいから。差別と排斥の根っこには恐れがある
あれだけ裕福で多くの本を読んでもその怯えから逃れられないのだとしたら、氏の発言を「差別はダメだけど言ってることはわかる」と許容する分厚い層が存在するのだと思う。それが怖い
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子どもはそんなこと気にしないかもしれないけど、だからこそちゃんとしたい。まずあなたに対して自己紹介されるべきで、まずあなたの話が聴かれるべきだと、それが当たり前であるべきだと、そして親子(大人と子ども)という力関係に巻き込まれまいとする意思を持つ大人も存在するのだと伝えたいから
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暴力や緊張があってもその生活が「馴染みのパターン」になれば、環境が安全になっても、その変化自体がストレスになる。「治療始めたり避難したのになぜより辛いの?」となる。無意識に馴染みのある攻撃パターンの要素を探し拡大してしまうこともある。今ここの安全が腑に落ちるまで粘り続けるしかない
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外からの、そこから離れられる人たちからの、差別や偏見だけでない、時に無邪気でむしろ善意や好意からのジャッジメントがマイノリティの声を遮ってしまう。「悪気はないんだし」で対話や反論が封じられてしまう。その積み重ねだったんだろうねと。だからまず「知る」「聴く」があるはずだよねと
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いわゆる「こども食堂」には様々なセクシュアリティの当事者、そして性差によるステレオタイプな役割期待に苦しんでる子たちが来る。来ると想定してなきゃいけない。そしてこども食堂という場は、そのステレオタイプなジェンダー観を再生産しやすい性質がある。例えば「女性のボランティア」が調理して
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実際に一時保護所や児童相談所、アフターケア施設のためにこれだけ多くの予算を投じますという流れを私たちひとりひとりが支持できるかどうか。誰もが当事者になる可能性があった、でも運によってならなかった、その「当事者にならなかった多くの人」からの支持がないと動かない山です→
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ぱっと見、感動できる風。でも心に小骨が刺さったみたいになるのは、明らかにそこにある差別構造が「女の子が頑張ればなんとかなるよっ!」って自助努力の問題に矮小化されてしまってるからなんだろうな。私たちにガラスの天井をぶち破る努力を課す前に、ガラスの床を踏みつけてる足をまず退けてほしい twitter.com/nikejapan/stat…
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親は自分の行動が与える影響に気づかない。たぶん、多くの場合で親自身もされてきたことだから。
不機嫌コントロールは比較的その加害性が理解されやすいけど、取引は見逃されがち。妥当にすら思える。でも子どもに伝わる「あなたの願いは代わりに何かを差し出さないと聞いてもらえない」って
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経済的搾取や心理的虐待などで「危険度が低い(怪我しない死ぬことない)」と評価されて行政の保護や介入を受けられず「ちょっと我慢して自立しようね」等と言われ、逆境的環境に放置されじわじわと力が削がれ、やがて「逃げる」力も奪われてしまう。シェアハウスはそんな「制度の隙間」の人たちの家→
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世の中は既に排除と差別によって分断されています。その分断が見えないこと、見ようとせずとも生きられることがまさに特権です。
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誰のため・何のためのデータ利活用なのか。企業や学校がこのデータを「評価」のツールにするようなことは、絶対にあってはならない。人は変われる。変わる。いつでもリセットできる、やり直せる社会じゃなきゃいけない。学びはやり直しの重要な手段。過去が足枷になるようなシステムなら、要らない。 twitter.com/jijicom/status…
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寛容さは大切。赦す気持ちも持ちたい。怒らないでいたい。私も同じ。でもそう思える時、私は差別や抑圧に対して「安全な場所」にいるからだという自覚がある