ちなみに私の幼児期の将来の夢は「お花屋さん」でした。小学生は「看護師さん」でした。今でもよく覚えてます。なぜよく覚えてるか。なりたいものなんて分からないのに大人がしつこく聞くからとりあえず納得しそうな手近にある答えを出したからです。あまりにめんどくさくて無意味な質問だなと覚えてる twitter.com/marikakonosu/s…
アルバイトが必要な高校生がいる。でもアルバイトを禁じてる学校がある。でもNPO等でのインターンやボランティアは推奨されてる。ならNPO等が有償のインターン・ボランティアとして高校生を雇用すればいい。と思ったのでうちは数年前から「スカラシップ」と称して高校生たちをスタッフとして雇用してる
学校では「知らない人と話さないように」教える。加えて私は「性犯罪の多くは顔見知りによって起きるからあなたが『この人は安全だ』と確証を持てない限り特段愛想よくする必要ない。勝手に好意を持たれたと誤解される場合があるから」とも言ってる。赤の他人の将来の心配は子どもを守ってくれない t.co/Iw15eddWj3
若年層の4人に1人が性被害  加害の最多は学校関係者 驚きも違和もない結果です。教師や同級生等からの卑猥な言葉かけが登校できなくなる理由(のひとつ)として子どもたちから打ち明けられることは珍しくありません。もちろん触られる等の被害も asahi.com/articles/ASQ6K…
カウンセラー(たまに教師)「私の見立てでは不登校の原因は親の愛情不足による愛着障害です」 わたくし「愛情って何ですかどうやって計測して不足の基準は何ですかどんな行動や条件からそのように判断されましたかあとそもそも愛着って愛情云々とは以下略」 って会議が近年多発しててわりと地獄です
整形したい 痩せたい そんな言葉が小中学生からも聴かれるようになった。切実に。「自分のなりたい姿になる」のは個人の選択であり自由。でもそのなりたい姿は「多くの人が美しいと認める顔」だったりあるいは「他の誰かの顔」だったり、他の誰かから侮蔑されないための体重やスタイルだったりする→
8巻、キーフリー先生のこの台詞が好き。子どもたちがちゃんと大切にされて、大切にされることで自立していく。大人と子どもの関係性と距離感がが本当に素敵な漫画です。「学ぶ」ことが丁寧に描かれてるのも好き。 #とんがり帽子のアトリエ
「本当に厳しい家庭」の線引きは誰がするのでしょうか。誰にもそんな権限はありませんし、本当に困っている人探しの行き着く先は排除です。子どもたちの・ご家庭の抱えるしんどさは困窮に限りません。子ども食堂は子どもたちの場、子どもたちが行きたいと願うのであれば、ぜひご利用ください。 twitter.com/nocchi50210545…
若い頃はそれを「親しさゆえ」と自分に言い聞かせ、「立派な先生に頼られている自分」に酔おうとすることで飲み込んできてしまったけれど、すごくすごく悔いてます。言葉だけの感謝もご馳走も要らん、名前を載せろ。今は、そしてこれからも、相手が誰であれそう要求する。
(今さらサードプレイスとか不登校支援とかコミュニティカフェとか多世代交流とか言い出しても遅いんだってば)
「ひとりでいたい」「秘密を持ちたい」という自由が守られないと「つながり」なんて苦しいだけだし、「NOと言う」「文句を言う」権利が守られないと支援なんて受け入れたくない。それが当たり前。
これは私も常に「もやって」るところ。自分の活動に対してね。 性被害に遭う、そしてパートナーから暴力や搾取を受ける比率は女子/女性の方が高い。だからうちは女性を優先して受け入れるし、性被害者にとって男性との共同生活は心理的安全を損なうから親子の場合中学生以上の男子は受け入れてない→ twitter.com/maitonkm/statu…
一般にはあまり知られてないこの事実。有名人の自死のニュースの最後に「いのちの電話」の電話番号載せて「ひとりで悩まず相談を」と呼びかけることがすっかりテンプレですが、ぜひこのことも併せて報道してください。適切な報酬とサポート無しに相談の質も相談員相談者双方の命と健康も守られません… twitter.com/fleetyokota/st…
そして「女性の身体を使うのも女性」になるんだよね…「産むべき」「産ませたい」世の中には男性の大きな声が反映されているとはいえ。   もうこれ『侍女の物語』以上のディストピアじゃん…
「今ここ」の痛みや貧困が蔑ろにされる。そうやって格差が「意識の差」にすり替えられていく。ただますます息苦しく、生きづらくなる
きっぱりNOと言っていい時に言えない、言葉が出てこない、空気を読むのを優先してしまう。そういうのを「大人の対応」と言って流してしまうの、やめにしませんか?
子どもに対してついつい「自分が学生の時にされて良かったこと」を軸に助言しがちなんだけど、その「良かった」って記憶が事実とは限らない。その時は苦痛で、苦痛だったからこそ何かの価値や意味を付与したくて、記憶の中で良かった=価値あるものに変換されてることもある。体罰容認は大抵これ
実際は分断ではなくて分断「のように見える何か」なのかもしれない。繋がっている。その繋がりが見えないことは、誰にとっても不幸でしかない。不幸でしかないはずなのに、見えない方が安心できる人たちがいる。だから切り離される。   どう繋げるか。インタビューに答えながらいつも考える
子どもが勉強を苦痛に感じる(めんどくさいとか嫌いとか苦手ではなく)のはなぜか、子どもたちと話すことがある。できないと叱られる、馬鹿にされる、比べられる、自分のペースが許されない、そんな声があがる。勉強そのものではなく周囲の大人の態度や言葉なんだよね。新しい取り組みを追加する前に→
人権を軽んじる人たちに、子どもの福祉は担えない。あらゆる抑圧を放置して「子ども」にだけ熱心だったり「まとも」に見えるのは、パターナリズムの典型だと思う。むしろ警戒する
そして「良きことをしている団体」内部での性加害が次々と明るみになる中、その関係者がふわっとした「許しのすすめ」をつぶやくことの「軽さ」といったら。こうやってふわっと軽やかに被害者の声が踏み躙られていくのには、耐えられない。
分断は年代の間で起きてるんじゃない。貧しい者、機会を奪われた者、努力できるチャンスに恵まれなかった者は、たとえ「若者」であっても、機会と富を持つ人たちの言う「若者のための政治」からはパージされるのではないか→
同じ体験をしました。どの皮膚科に行っても改善しなかった娘のアトピー、とあるアレルギー外来のクリニックでじっくり丁寧な問診、ステロイドの塗り方と保湿の丁寧な指導、そして治療の計画をその都度ちゃんと提示してくれて、みるみる良くなりました。薬(ステロイド)同じなのにね twitter.com/zuboracco0307/…
必要のない人は使わなければいい。主義主張が異なる人はそれ相応の場で反論、議論すればいい。 今朝は関連する流れの中で生活保護受給者を揶揄するツイートを見かけた。様々な立場があり、見方があり、意見がある。対話や議論において「支援を要する人」の声を奪うようなやり方を持ち込まないでほしい
「若者が政治に関心あるか・無関心か」ってことじゃなくて、「無関心のモデルとして安易に若者を使うな」なんですよ。