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何もしてくれなかった
ひどい対応された
そう聞くことはありますが、それは私たち自身もどこかで言われていることだと思うようにしています。ギリギリの資源で活動する私たちと、傷つけられ裏切られた続けた人たち。葛藤やすれ違いが生じないはずはありません twitter.com/NoriakiImai/st…
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クリスマス大晦日お正月成人式と年末年始は「当たり前の家族の幸せ」幻想の押し売りがキツい。クリスマスのプレゼントやディナーも年末年始のご馳走や団欒も成人式の振袖もこの日本ではもはや誰もが「当たり前」に得られるものじゃないのにそれが当たり前だという幻想が振りまかれる。そりゃ調子崩れる
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そのアンバランスを是正したいなら、家事育児看病介護など家庭内無償労働の負担格差も是正しなきゃいけない。
そのアンバランスを引き受け生きることをむしろ望む女性もいるのは確か。ただ、もし様々な機会が本当に「フェア」なら、彼女たちはそう望んだのだろうか
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子どもに相談することや逃げることを要求しても、それを受け止める姿勢が私たち大人にある?理不尽な抑圧や見通しの立たない不安定な社会情勢や進路へのプレッシャーや格差やひとりひとりに目の届かない教育環境や暴力や搾取にあってる子を救えない仕組み、これ全部大人が作ってきたこと
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「こども家庭庁」の名称。たかが名称という声がある。例えばこの名称が「家庭」を相対化しつつ「子どもを守る場と人ごと支援しましょう」という意図での変更なら、ここまで批判は高まらなかったと思う。
「伝統的な家族観を重視する保守派への配慮」なんてのが理由だから「ふざけんな」なんです
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個人的には、暗くなってからも子どもが公園で安心して遊べて、それを「地域で見守る」ができたらいいなぁって思う(もちろん深夜はあかんけど)。公園ってそういう場所であってほしい。公園が難しいなら、他にそういう場所があったらいい。
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家族や実家が加害的なら近寄らないのが正解。普段はそう思っててもこの季節は寂しく感じるかもしれない。寂しいのは自然、でももし独りを「惨め」だと感じるなら、それは「大晦日お正月は家族一緒が正解」という世の中の圧力があなたを傷つけてる。飢えない寒くないそして怯えない、それが何より大切
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もちろん既に法的な裁きを受けた人のプライバシーを暴き私的制裁を加えるようなこともあってはなりません。ですがこの記事は「性加害とは」「良い教師とは」という点からズレており、当然多くの人からそう指摘され、結果として死者に鞭打つことになっています。二重三重に加害的な記事です→
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戦地で子どもと女性が避難し、男性が現地に残ることについて。まず、子どもは優先して避難させ守らなければならない。そのことに誰も異論は無いと思う。ではその子どもを誰が守るのか。さらに、戦時下において女性が性暴力の被害に遭うリスクは男性より高い
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「ごめんなさいが言える人に育ってほしい」って願う親は多いけど、ちゃんとごめんなさいできる大人って少ないと思う。特に、子どもに対して。
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差別的・加害的な言動を指摘すると「その意図はありませんでした」という反応をいただくことが多々あるけれど、はい、まさに私が問題にしてるのもその意図とやらではなく行動であり言葉なんですよね
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絵本作家のぶみ氏が「虐待も離婚や中絶や流産も障害や病気も全て(胎内で)子どもが選んだ」という創作で子どもを「親を喜ばせる道具」に仕立てあげてきたのは周知のこと。それは多様性や共生とは真逆、自己責任と差別思想。知らないじゃ済まされないし知ってて起用したのなら上から順に腐ってるとしか t.co/3o5MplJTjC
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不登校を減らすんじゃなくて、全ての子どもたちの学ぶ権利を守り機会を確保しよう、じゃないかなぁ。目標として掲げるなら。
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見えてない、聞こえていない、あるいは見えて聞こえてても無視できる。あるいは勇気づけられるとか感動させられると思ってる。それが特権。おそらくこの人はその特権を体感してきたのだろうし、だからとっても正直で率直なツイートなんだと思う。だからこそ、受け入れ難い。
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子どもに「将来の夢」を書かせたいのは誰か、言わせて安心したいのは誰かと問いたい。
震災のあと、地元紙で「未来の福島を担う子どもたち」とか何とかいうタイトルで子どもたちが書いた「将来の夢」が掲載された紙面があった(311メモリアルの特集だったかも)。私はそれがとても気持ち悪かった
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私が政党や候補者を選ぶのに重視する柱のひとつはもちろん児童福祉政策。でもいくら子ども関係に「熱心」でも性的少数者に差別的であったり選択的夫婦別姓に反対していたりジェンダー格差や人種差別に無関心で生活困窮者支援に後ろ向きな政党や人は信頼できない。全て繋がっている。人権の問題
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一定のルールは必要。でもそれは「黙食は良くない」という大人のジャッジによってのみ決められてはならないと思う。
マスクも同じ。黙ってひとりで食べる方がいい、マスクしてると安心する。コロナ禍でそれまで正しい・良いとされてきた世の中軸が逆に振れて、そういった子たちにとって
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乗り越えた人たちの努力や工夫は素晴らしいけれど、その乗り越えた人たちの物語に「ひとくくり」にされることで苦しい人が現にいるのでそのひとくくりをやめませんか?子どもに借金を背負わせるという制度によって苦難に陥る人たちが存在するわけだから制度そのもの是正しませんか?ということです
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だから子どももそこから「引き離す」のは、子どもを守るために妥当かつ必要な対処なんです
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みんな苦しくなるだけじゃないかな
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毎回もらいに来る子がいるとしてそれがいけないとは思えません。生理現象です。トイレットペーパーは誰もが備え付けのを使います。怪我をして手元に絆創膏がなければもらいにいきます。でも「自分で買う習慣」はいずれ身につきます。なぜ生理用品についてのみ子どもに対して責任を求めるのでしょう? twitter.com/deshi_gugu/sta…
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様々な抗議活動も草の根の市民活動も、瞬間的なインパクトよりも継続性が大切。そのために自分たちの生活と健康を傷つけずにどう続けていくかをそれぞれが模索してる。時に小さく、泥臭くあるのはそのため。その小ささをぬるいと感じたり泥臭さが不快だと言えるのは、無関係で安全な場所にいるから。
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信田さよ子さんの「親を許さなくてもいい」に多くの人が救われたのは、それだけ「許しなさい(許すべき)」という圧力が人を苦しめるから。相手が親に限らず。心のケア(カウンセリング)って「許せるようになる」ための手段では無いはず
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誰もがなんとかバランスを取ろうと、葛藤しながら、目の前の子たちの必要性に応える手立てを模索しているのだと思う。「裕福に見える家庭の子」を排除するのも、その限られたリソースの分配に苦慮した結果なのかもしれない。でも
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子どもの支援や権利擁護に取り組む人たち(私たち)の中には子ども時代に学校や家庭に苦痛や理不尽があってそれが動機づけになっている人もいる。だから「子どものため」が自分の怒りや恨みを晴らすためにすり替わるリスクがある。子どもの声が聴けなくなる。聴けなくなっていることにも気づけなくなる