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子どもに相談することや逃げることを要求しても、それを受け止める姿勢が私たち大人にある?理不尽な抑圧や見通しの立たない不安定な社会情勢や進路へのプレッシャーや格差やひとりひとりに目の届かない教育環境や暴力や搾取にあってる子を救えない仕組み、これ全部大人が作ってきたこと
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子どもを「死にたいくらい辛い気持ち」にさせてるのは大人の側です。大人が作った構造の中で苦しめて、8月に大人がわーっと盛り上がって、大人が相談して!逃げて!って言って、相談を受けるのも大人で。その枠組みの中で「相談して」って言っても、その言葉を信頼してもらえるかな
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子どもに「支援を求める」「避難する」努力やアクションを要求する前に、私たち大人のどんな行動や価値観が子どもを苦しめているのか、私たちがどう変わるべきかを強く強く発信しなきゃいけないと思う。キャンペーンの有効性は否定しない。でもメッセージを向ける先は子どもだけじゃない。まず大人。
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前から気になってたこと。病院や役所等で見かける同行支援中らしい支援職、ほとんどの人が首から名札下げてる。「○○児童相談所」とか「○○福祉事務所」とか「○○病院」とか。それって隣にいる人や子がどこでどんな支援受けてるか他己紹介してるようなもので、当事者のプライバシー垂れ流し状態だよ
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あの気持ち悪い動画もう2度と見たくないんだけど、ただ「他人の持ち物に噛み付く」ことが気持ち悪いのではなくて、今まで散々されてきた「男性が(歳下の)女性限定でやらかしてくる、本人にとっては何気ない、でも私の尊厳を叩きのめす無自覚なハラスメントの数々」がプラバしてつらいんだと気づいた
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きっぱりNOと言っていい時に言えない、言葉が出てこない、空気を読むのを優先してしまう。そういうのを「大人の対応」と言って流してしまうの、やめにしませんか?
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機会の平等はオリンピック精神の柱のひとつであったはず。メダルって、特権なの?
しかもこのコロナ禍においては会いたい人に会うのも行きたいところに行くのも諦めた人がいる。生活と健康が犠牲になりスポーツを楽しむことが許されない人がいる。そんな人たちは見えてない、聞こえてないみたい twitter.com/yuking1125/sta…
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見えてない、聞こえていない、あるいは見えて聞こえてても無視できる。あるいは勇気づけられるとか感動させられると思ってる。それが特権。おそらくこの人はその特権を体感してきたのだろうし、だからとっても正直で率直なツイートなんだと思う。だからこそ、受け入れ難い。
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「痩せたい」と願う女の子の足元には「痩せたいと思わせる社会」が広がってる。痩せたい、痩せなきゃって焦燥し自分を追い込む個人の問題ばかり扱ったんじゃ、治療や支援がしんどくなると思う。「痩せ」への外的な圧力こそ病。ルッキズムについては支援の場でもっと積極的に語られていいと思う。
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自分もいつか「弱者」になるかもしれない
環境が違っていたら自分も「弱者」になっていたかもしれない
その想像力が社会を支えてる。人が「弱者になる」要因を個ではなく環境の側に求めることで、社会は発展してきた。弱者を「殺さない」ことで安心と多様性が守られてきた
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発言力と引き換えに想像力を失ってしまったような人がいる。私たちはおしなべて、誰もが、生活保護を受ける可能性を持つ。ホームレスになる可能性があった。毎日ちゃんと目を開いて人の言葉に耳を傾けて生活していれば、そう想像するのは難しくないはず。「人の心が読み取れる」と豪語するなら尚のこと
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影響力や発言力を持つ人の優生思想的発言は本当に危険。辛口なんて言葉で片付けられない。発言そのものが攻撃だし、現実的な攻撃や加害を誘発する恐れもある。
加害性は誰にでもある。でも理性と想像力が機能していればブレーキはかかる。発言にNOを突きつけることで、社会的なブレーキをかけたい。
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弱さが許せないのは怯えているから。「自分は違う」と盲信したいから。差別と排斥の根っこには恐れがある
あれだけ裕福で多くの本を読んでもその怯えから逃れられないのだとしたら、氏の発言を「差別はダメだけど言ってることはわかる」と許容する分厚い層が存在するのだと思う。それが怖い
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頑張ってるかどうかって関係ない。能力の有無も関係ない。意欲云々も関係なく受けられるのが生活保護をはじめする福祉です。真っ当な意見のようでとても危うい見解。権利に条件を課している姿勢は、件の動画と地続きであるように思う。 twitter.com/nanatakamatsu/…
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でも地続きなのは多分みんな同じ。私もそう。無意識に命の線引きをしてしまっている。そうしていない、と断言できる自信はない。だから意識的に言葉を選んで、理性と想像力を使って強く「違う」と言い続けなきゃいけない。
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好きな土地に住めず他人が家の中に入るのを拒めず進路が限定される等、生活保護を受給すると様々な制約を受けることが実態となってる。その実態について権利侵害の文脈から批判・検討されてこなかったのは「支援と引き換えに制約を受けないと自立しない」という思い込みが根深いからだと思う
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どうぞ好きに来て好きにお話してみてください。もしお話しや歌が子どもたちの興味を引いたら、聴いてくれると思いますよ」というようなお返事をするのだけど、皆さんそこで「あ、じゃあいいです」と辞退する。
大人の命令や指示がないと聴いてもらえる自信がないものを、子どもたちが聴くわけないよ。
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たまに「こども食堂で子どもたちに○○の話をさせてほしい」という要望が届く。海外ボランティアの経験とか食育の話とか。他には歌を歌ってあげたいとか。「いいですよ、でもうちはどう過ごすかを子どもたち自身が決めるので、大人が『さあ話を聴きましょう』と指示しないし特別な時間は設けません→
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「現場を知る」ことは大切。でも現場に来る前にすべきこと・できることはある。踏みにじった足、押さえつけた腕、尊厳を奪った言葉、それらをそっくりそのまま現場に持って来られたのでは、安全が奪われる。私たちは/当事者は、誰かが「賢くなる」ための道具じゃない。 twitter.com/rkayama/status…
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「困ってる人を助けましょう」って当たり前のことのように聞こえるけど、福祉では「困ってるかどうか」の軸に重きを置きすぎない方がいい。困ってれば支援を受けられる。たとえ「困って」なくても、お金なくて家なくて暴力あって権利侵害されてる「事実」があれば支援の側から繋がりに行く。それが福祉
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苦しみが深まるほど「声を上げる」ことが難しくなる、それは事実の一断面。でも全てじゃない。「声を上げている」人たちを「本当に困っていない」とジャッジすることは誰にもできないし許されない。他でもなくそのジャッジメントが当事者の言葉を奪いってきた
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面談で職業を尋ねると「働いてません」「無職です」と答える女性たち、みんなすごく働いてる。家事、育児、看病や介護、PTA…みんな労働。ただし無償の。男女問わず働いてない/働けない人はいる。でも多くの「働いていない」とされる女性は、実は「無償労働をしてる女性」です。みんな「働く女性」です
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日本では妻(女性)が「財布の紐を握って」いる、だから家庭の中に男女の不平等はない、むしろ女性優位だって意見を目にすることがある。それも「家の中の労働は全て女性の役割とする」という構造の中で生まれたアンバランスだよね
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そのアンバランスを是正したいなら、家事育児看病介護など家庭内無償労働の負担格差も是正しなきゃいけない。
そのアンバランスを引き受け生きることをむしろ望む女性もいるのは確か。ただ、もし様々な機会が本当に「フェア」なら、彼女たちはそう望んだのだろうか
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女だから大学なんて
女だから勉強しても無駄
女の子だから一人暮らしはやめなさい
女の子だからお手伝いしなさい
そんな言葉を(直接的・間接的に)浴びて育てば「ひとりで生きていける」自信と力はどんどん削がれていく