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むすめ氏が高校からもらってきたお便り。「新学期なんて怖くない!高校での友達の作り方」と題した記事の中に「話しかけられる努力をする」「キャラがわからない子が一番からみにくい」とあって高校生のリアル生きづらさに震えてる。こんなん書かれたら余計に新学期怖くなるよなぁ
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生理用ショーツは(各人の主体的な)選択肢ではあっても貧困対策ではないよ。生理用ショーツに限らず「少し我慢してお金を貯めて長く使えるものを買いましょう」という「丁寧な暮らしのススメ」は貧困問題において圧力でしかない。今ここにある痛みと不自由に、誰もが今ここで対処できなきゃいけない twitter.com/shu1tv/status/…
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5000円近くするもので『生理の貧困』対策なんてありえない(その5000円のために今必要なものを後回しにしろと)
女性が「使用せざるを得ないもの」をゴミ問題と絡める上から目線
洗う負担への無理解
それらが全て男性だけのチームから出てくるグロテスクさといったら。生理はビジネスチャンスじゃない
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「今ここ」の痛みや貧困が蔑ろにされる。そうやって格差が「意識の差」にすり替えられていく。ただますます息苦しく、生きづらくなる
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そんないらんことするよかメンタルヘルスと人権と福祉についての学習を義務教育に導入した方がずーーーーーーっと効果的だと思うよ。 twitter.com/YahooNewsTopic…
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なんだか最近「許せない人を許せない」人が多くないかな?
不当な扱いを受け、尊厳を奪われ、傷つけられたらその相手を許す必要なんてない。怒りは自尊心を守るために大切な感情。そしてもし「許せる」時が来るのであれば、それは真っ当に怒って「許さない自分を許せた」その先にあるのだと思う。 twitter.com/marisakura/sta…
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そして「良きことをしている団体」内部での性加害が次々と明るみになる中、その関係者がふわっとした「許しのすすめ」をつぶやくことの「軽さ」といったら。こうやってふわっと軽やかに被害者の声が踏み躙られていくのには、耐えられない。
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信田さよ子さんの「親を許さなくてもいい」に多くの人が救われたのは、それだけ「許しなさい(許すべき)」という圧力が人を苦しめるから。相手が親に限らず。心のケア(カウンセリング)って「許せるようになる」ための手段では無いはず
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「ソーシャルグッド」とは言っても、社会の理不尽や不合理を暴き批判し変えていくアクションよりも、差別や暴力の構造はそのままに「そんな社会の中でもキラキラ生きてる人応援」って活動に関心の比重が偏ってるように思う。ざわつかない、不快にならない、そんなものを見ていたいのは自然な欲求だけど
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学校が言う「社会は」は、つまりただの「学校は」です。「学校は」の主語では子どもを納得させられないほどの理不尽と不合理があるから「社会」というより強くて大きい主語を持ち出して圧迫する。社会のせいにしないでほしいわ。
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「社会はもっと厳しいぞ」は学校が子どもにルールを守らせるための常套句。社会を持ち出すのであれば「社会」で通用する価値観を教えてほしい。たしかに社会は厳しい、でもその厳しさから自分を守るための権利がある。学校ルールはただその権利を奪う。学校ルールほど「社会」に出て使えないものはない
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「子ども食堂を始めたのに想定していた貧困の子が来ない」というぼやき投稿をちらほら目にした。子どもの困難は貧困だけじゃない。そして貧困は見えにくい。あなたにとって「想定どおりの貧困の子」を探し続けたら、誰もいなくなる。そして「本当に困ってる人探し」は私たち自身を苦しめることになる
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あなたにとっての「わかりやすい、イメージ通りの貧困」の枠に入らない人たち・子たちを排除し続ければ、もしあなた自身が何らかの困難に見舞われた時に「全ての人を納得させられる、困ってる人らしい見た目や振る舞い」をしなければ支援を得られなくなります。それ、とてもしんどいよね
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母子家庭の「発生を抑える」のではなく、母子家庭だろうがどんな家庭だろうが貧困に陥らない仕組みが必要です。10代の妊娠も同じ。10代で妊娠しても安心して暮らせる社会の実現と望まない妊娠を防ぐ手立ては両立するし、相互補完する。
政治の仕事は母子家庭の撲滅ではなく、貧困の撲滅です。
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道徳教育を推進してきた大人たちの言動のどこに「道徳性」があるの?
やめちゃえばいいよ、道徳教育なんて。その代わりに人権と福祉、メンタルヘルスについての教育を導入しよう。
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「はい」
「株式会社〇〇の〜〜と申します。電気料金がお安くなるプランのご案内でございます。奥様でいらっしゃいますか?」
「いえ世帯主です」
「…世帯主が奥様でいらっしゃいますか?」
「いえただの世帯主です」
「…奥様が世帯主?」
戸建て住宅の世帯主と女性が結びつかないバグ発生した模様
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生産性至上主義の価値観にどっぷり浸かって大人になった私たちが描く個性や幸せが、社会にとって有用でありかつ承認されるという枠を越えることは難しい。「障害があっても」「不登校でも」という「でも/だけど」という接続詞を使ってしまう。子どもの「好き」や「得意」を大切にしたいと願っても、
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障害は個性、不登校は不幸じゃない。現場でもそんな言葉が聞かれる。その個性や「不幸じゃない」の中身を尋ねると、絵が得意だからアートで活躍してほしいとかプログラミングが好きだからその道に進んでほしいというような願いが(大人から)語られる。「社会の評価」から抜けられない息苦しさを感じる
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ただ、それでも流れは「良い方」に進んでいると思います。ひと昔前まではそんな「危うさ」を感じる余地すらなかったから。多くの当事者が声を上げ続けて、当たり前の権利やチャンスを訴え続けて今がある。そしてこの先も続いてる。
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大切なのは誰もが不当な扱いを受けないことと、何歳になってもいつでもチャレンジできる機会が守られていること。日本ではまだ実現されてない。そんな社会で「障害があっても」「不登校でも」を語ることは、生産性という縄で子どもを縛ることと紙一重の危うさがあると思う
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私は障害のある子を育てた経験はないけれど、娘氏が学校に行けなかった時、例えばそれでもテストで良い点をとってくれば「これで落ちこぼれない」と安心したり、習い事が順調だと「こっちの道で生きていけるかも」と期待した。いつも「不登校だけど」の先の何者であるかを期待してた。きっと、今もまだ
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その好きや得意に「社会的な価値があること」や、雑に言えば「お金と名声につながるもの」を求めてしまう。ただ大人の側に子どもを抑圧しようという意図はなくて、社会的に有用でなくなった時に排除される現実の中を綱渡りで生きている大人たちにとって後に続く子どものための命綱のつもりだったりする
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ぱっと見、感動できる風。でも心に小骨が刺さったみたいになるのは、明らかにそこにある差別構造が「女の子が頑張ればなんとかなるよっ!」って自助努力の問題に矮小化されてしまってるからなんだろうな。私たちにガラスの天井をぶち破る努力を課す前に、ガラスの床を踏みつけてる足をまず退けてほしい twitter.com/nikejapan/stat…
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ヤングケアラーについての会議で「昔は学校休んで家の手伝いなんて当たり前だった」って言ったり性的虐待についての話の中で「昔は10代が父親と風呂入るなんて当たり前だった」って口を出してくる御年配の人がいるけど勝手にそう思ってくれていいから黙っててください。もうあなたの時代ではありません
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その人が元教員とかだったりすると「ちょっとはまともな時代になったのかもね令和」と思うけど、同時に現役の民生委員さんだったりすると急速に萎える。昔話を聴いてほしければ別の場所でどうぞ。