ざっくり言うと「農林水産省さんが子ども食堂に高級食材をくれる」という事業に参加するんだが、「食育の専門家が来て子どもと親に食育講演する」と言うのがセットになっててうーんとなってる。高級食材嬉しいけど、みんな食育指導受けたくてうちに来てるわけじゃないし。あと私「食育」好きじゃない
社会的に影響力のある方々によるこの「不快な思いをさせて」系の謝罪にはもううんざりです。問題は私たちが「不快な思い」をしたことじゃない。ご自分の無知ゆえにDV被害を軽んじて被害者を冒涜したこと。謝る理由はご自分の言動の中にあるのであって、「私たち」には無い。責任を投げつけないでほしい twitter.com/hatanohiroshi/…
痛い思いをさせればいなくなる 寒い思いをさせればいなくなる 怖い思いをさせればいなくなく   これってあの犯人だけじゃなく、行政の「対策」そのもの。路上生活者だけでなく、例えば家出した少年少女たちにも同じことがされてる。「見たくない」私たちの欲求のために、見えない場所に追いやってる
学校で「ちゃんと手を洗いなさい」って指導するなら、お湯が出るようにしてほしいなぁ。今日なんか最高気温も氷点下。氷より冷たい水で「ちゃんと」洗うって、なかなかに拷問だよ。
不登校児の親さんに「学校来ちゃえば大丈夫なんです。だから来させてください」って言う教師多いけど、学校で「大丈夫」に見えても行くまでに泣いて身体あちこち痛くなって落ち込んで眠れなくて、帰ったら疲れ切って何もできなくてイライラしてって、「学校で大丈夫」の代償が大きすぎるんだよね
携帯電話を持たない子どもにテレカと児相他緊急連絡先のメモを渡すことが度々ある。家庭が安全でない子たちにとって公衆電話は命綱。経済性優位の社会ではいつも苦しい立場にある人たちが例外として切り捨てられていく 公衆電話の設置数削減へ 総務省の会議で夏をめどに方針 news.yahoo.co.jp/articles/9e7de…
ただでさえ数が減って困ってる子はいるのに。子どもだけじゃない。携帯電話を持たせてもらえない、監視されてる、そんなDV被害者にとっても公衆電話は大切なツールです。誰かの命に関わるものは、経済性の物差しで測っちゃいけない。
駅や公共施設よりもむしろ「何もないところにポツンとある」電話が大切なんです。駅や市街地には常に人がいていざとなれば誰かに助けを求められる可能性がある。でも徒歩で行ける圏内に商店も公共施設も交番もない、そんな僻地に暮らす人たちがいて、彼らにとってこそ公衆電話は命綱なんです。
ひどいことを言ってくる人に、同じようにひどい言葉を返したくなる。でも、それでは同じ土俵に上ることになると、ぐっと堪え、相手を傷つけないように貶めないようにと、丁寧な言葉で返す。そうすると相手は、ますます大きな声でもっとひどいことを言ってくる。叩いてくる。その繰り返しだった
だから怒ることにした。叩かれたら叩き返すことにした。でもその繰り返しを経験したことのない人は「いくら怒っているからといってそこまで言わなくても」「相手も悪いけど叩き返したら相手と同じ」と思うかもしれない。うん、私もそう思ってた。そうして叩かれ続けてきたんだよ。
防御に徹すればより強く殴られる。でも無視をすれば「対話に応じないのか」と冷笑される。反撃すれば「分断に加担するのか」と責められる。でもその「分断」って、まず誰が作ったの? 泥試合を不快だと思える人が羨ましい。でもそんな「お気持ち」なんて知ったこっちゃない。だから私はわきまえない。
「ヤングケアラー」に大人がかけるべき言葉は「大変だよね、助けてあげようか?」じゃない。「それはあなたが担うべきことではない」の方だと思う。支援という名目で子どもを搾取する構造を温存しちゃいけない
カウンセラー(たまに教師)「私の見立てでは不登校の原因は親の愛情不足による愛着障害です」 わたくし「愛情って何ですかどうやって計測して不足の基準は何ですかどんな行動や条件からそのように判断されましたかあとそもそも愛着って愛情云々とは以下略」 って会議が近年多発しててわりと地獄です
・未発覚のいじめ ・経済的問題 ・合理的配慮が受けられない ・厳しい部活の指導 ・理不尽校則と理不尽生徒指導 ・月経困難症 ・統合失調症の初発 ・セクシャリティ/ジェンダー関連の生きづらさ ↑学校で不登校や「問題行動」を愛着障害と「見立て」られたけれど実はこうでしたという一例
聞こえますか…あなたに…エスニック料理好きなあなたに語りかけています……ナンプラーは…ナンプラーは…必ず床に近い位置で保管してください…絶対に…絶対に棚の上に置かないでください…10年間で3回震度5以上の地震を経験しナンプラーの中身散乱被害に遭い続けた私からのお願いです……くさい
津波も原発事故もなかったけれど、コロナ禍ですでにHPが削られた中での地震でした。私たちは、私たちが「感じる」以上にダメージを受けているかもしれません。もちろん子どもたちも。   しばらくは自分を、家族を、子どもたちをちょっと甘やかしましょう。甘々がちょうどいい時です。
子どもが有名大学に入ったり特別な功績をあげると子ども本人よりも「〇〇大学に入れた親(ママが多い気がする)!」みたいに親が注目されるの、好きじゃないなぁ。まずその子の個性あってのことなのに、それがすっぽり消されてる。その記事読む大人(親)にも子どもにもポジティブな影響は無いと思う
そう、家庭環境に問題があるかもしれません。ではその「家庭環境の問題」が「解決」するまで彼女たちは毎月下着を汚し続けろと?毎月下着を汚さなくて済む、生理の心配をしなくていい、それだけで心身の健康度は向上し、逆境的環境から逃れる可能性が高まるとは思いませんか? twitter.com/fifi_egypt/sta…
トラウマの反応はたとえ「今ここ」が安全でも身体と心が過去に戻りその時間軸のズレで起きる。回復は「今ここ」が安全だと実感できること。そのために事実今ここが安全でなきゃならない。支援者はトラウマをどうこうする前に今ここが安全か=金と家があるか危害を加える人がいないかに気を配ってほしい
10年前は「放射能に負けるな」 今は「コロナに負けるな」 どっちも好きじゃない。線量に不安を感じた人は「負け」たの?感染症に罹患した人は「負け」たの?勝ち負けは強弱を想起させる。不安を抱く人に「それはあなたが弱いから」というメッセージを(意図しなくても)送ってしまう
今まで出会ったいろんな人の、いろんな子の顔が浮かんだニュース。教育虐待は見えにくいけれど心配な子はたくさんいる。そしてモンスターとなる親も何かの呪いにかけられてる。悲劇を報じながら一方で「子を有名大に入れた親」を持て囃す、その風潮も呪いのトリガーだと思う news.yahoo.co.jp/articles/d5b7c…
努力して成功した、幸せになった、それは誇れること。でもその努力を当たり前のものとして他者に要求する前に、自分の努力の土台に「努力できる幸運」があったかどうかを少しだけでいいから振り返ってみてほしい。努力できる幸運を認めたとしても、あなたの努力の価値はちっとも損なわれないから
これはとても大切なことなんだけれど、子どもを遠くの習い事に通わせられる(そもそも習い事をさせられる)のは経済的時間的にゆとりを生み出せる家庭に限られてしまう。意識はあってもできない家庭は多い。だから子どもの日常の動線上に「学校外のつながり」を作れる場所が必要なんだと思う。 twitter.com/Megumidayo/sta…
対人援助職がインフルエンサーを目指す必要はないと思う。目指してしまうと使う言葉はどんどん「ウケる」ものに変質してしまう。たとえ意図していなくても。わかりやすくインパクトのある言葉は何かが削り落とされていて、その過程で私たちが本当に言葉を届けるべき人たちを傷つけるものに変わっていく
毎年独り暮らしを始める女の子たちに飲み会ではグラス手放さず席外したら交換する、最寄駅は教えない、帰宅の道はたまに変えて夜道は一人で歩かない、宅急便はコンビニ受け取りで大きなものを受け取る時は友達呼ぶみたいな話をするけど、男の子の親さんは同じ熱量で「加害しない」ことを教えてるのかな