「子どもたちを笑顔にしたい!」と頑張る大人がいたとして、子どもたちは「その大人のために」笑顔になる必要はないんだよ
だから大人は笑顔や感謝のリターンがなくても、ただすべきことをしようね。様々な面で子どもより力を持つ大人として、そして子どもを抑圧し貧しくした世の中を作った大人として、ただすべきことを。
親への手紙を書かせるのをやめたらいいと思う。「伝えたい気持ちがあるなら手紙という手段があるよ」と提案するのは良いけど、学校で書かせる必要ないでしょ。親を感動させるために教育があるわけじゃないんだから twitter.com/zikatu1/status…
教員による同様のツイート目にする度にいつも思うけれど、こういう具体的なエピソードをTwitterに書くことについてお子さんそして親さんの承諾得てるのかなぁ、と。これは親さんの職業まで開示してますよね。子どもの手紙云々の前に大人が振り返ること多すぎなんじゃ…?
様々な家族構成があり、親に手紙を書くのがしんどい子がいる。教員が期待する「良いことエピソード」を書けない、書こうとすると自分の中の何かが損なわれてしまう子がいる。その子たちはずっと存在してきた。そして我慢と忖度を強いられてきた。そろそろ大人側がアップデートしない?
夜職してるシングルマザーに「子どもがかわいそう」「昼の仕事探せばいいのに」と仰る福祉や教育等の有資格専門職のみなさん 一度ハローワークに行って出産育児でキャリア中断した子育て中のひとり親女性にどんな条件の求人がどのくらいあるか実際どのくらい採用されてるか社会勉強してみたらどうかな
地方差もあるけれどここいらは本当に少ないですよ。学歴性別年齢不問をうたってもひとり親女性はなかなか採用されない。採用されてもその給与だけでは到底子育てできない。日々の生活はなんとかなっても「不測の事態」に備えることはできない。稼ぐのは大変、でも手当は簡単に削られるって知ってる?
「じゃあ今のままでいいか」ってことじゃなくてね、難しさを知らなきゃ必要な手立ても浮かばないってことです。 いろんな状況知った上で「品行方正じゃない母親」にひと言苦言を呈したいって人はもう論外だけど(そういう人もいる地獄)
大学に入って学食でひとりでごはんを食べて、周りにもひとりで食べてる人がいて、すごく安心したのを覚えてる。小学校や中学校の給食班も、週に1回設定されてた「好きなグループで食べる」も、高校の誰かと食べてなきゃ「おかしい」空気も、苦手で辛かったから。ひとりでいいんだって、安心した
「ひとりでいていい」は、大人になるまで生きててよかったって思えることのひとつ。
子どもは親の介護要員ではありません 親権は子どもの将来を縛るものであってはなりません twitter.com/KushidaOf/stat…
性的同意について少しずつだけれど学校の性教育の中で触れられるようになってきた。けれど学校では「嫌だけど嫌と言わせない」がありふれてる。日常的に様々な場面で「嫌だけど嫌と言わせない」を生徒たちに強いておきながら性に関することだけ「同意を大切に」と言っても、難しいよね
日常的に同意というプロセスを軽んじて、NOという力を奪って、それで「性的同意について授業でちゃんと教えました」としても、それは結局「教育を受けたのにちゃんと同意を構築できない/NOと言えない」自己責任に帰されてしまうんじゃないかと危惧する。危うい。
大学だけでなく中学高校から同様の「アクティブラーニング」が増えてきています。実際に授業を見たり授業を受けた子どもたちから話を聞くと、 ・大人(教師)から良い評価を得られるような答えを探そうとする ・声の大きな=コミュ力のある生徒が評価される ということが起きているようです→ twitter.com/Kyohhei99/stat…
話題の横断歩道で子どもたちがドライバーに一礼するあれ。当たり前のことを要求したり自分の安全を守ったり間違いを正すにはまず「力を持つ側」を良い気持ちにさせなきゃいけなくて、深々と頭を下げた「お願い」ポーズが必要だと、こうやって小さな頃から「学んで」しまうのか。パワハラみがすごい
容姿や体型にまつわること 性差によるステレオタイプなジャッジ 相手を「いじる」こと   それらができなくなると「何も言えなくなる」と思うなら、それは「社会が窮屈になった」のではなく、「あなたの世界がそもそも狭かった」のだと思う。誰かの痛みの上に築いた狭い王国で横暴に振る舞っていただけ
女の子は「(男の子に比べて)早熟だ」とされて、学校で「世話係・雑用係」を担わせられることがまだまだある。女子は頼りになる、しっかりしてる、そんな風に持ち上げながら大人のサポート役を任せる。だけどもう一方で「女の子」は無知で経験不足のラベルにされて、搾取の対象になる。おかしい
おかしいって言えるようになった時には、私はもう「女の子」じゃなくなっていた。せめて今「おかしい」と思っている子たちが、今ここで「おかしい」と言える、その手助けはしたい。
不登校を減らすんじゃなくて、全ての子どもたちの学ぶ権利を守り機会を確保しよう、じゃないかなぁ。目標として掲げるなら。
福祉、そしてあらゆる「善きこと」に通じる記事。むちゃくちゃ刺さる。   >圧倒的マジョリティーがマイノリティーに対してウィッグが必要だという無意識の押し付けになっているんじゃないのか >一生懸命髪の毛を伸ばして「私はヘアドネーションをしました、いいことをした」は本質的な解決ではない twitter.com/laundryboxjp/s…
この視点ほんと大切。これを欠くと「善きこと」 によって構造的な不均衡や暴力はむしろ温存されてしまう >>社会の大多数に髪の毛が生えているから、マジョリティー側の人たちに、マイノリティの人が自分を寄せていかなければならない。この社会は非常に歪んでいますよね laundrybox.jp/magazine/hair-…
一般にはあまり知られてないこの事実。有名人の自死のニュースの最後に「いのちの電話」の電話番号載せて「ひとりで悩まず相談を」と呼びかけることがすっかりテンプレですが、ぜひこのことも併せて報道してください。適切な報酬とサポート無しに相談の質も相談員相談者双方の命と健康も守られません… twitter.com/fleetyokota/st…
#文春オンライン 性加害教員の記事について(広めるべき記事ではないのではシェアしません)。性加害は加害者に「そのつもりがあった」かどうかで有無が決まるものではありません。この記事によって被害を訴え元生徒さんが苦しみ、また何らかの更なる被害を被ることを懸念します。そして今教師からの→
「これって性暴力(セクハラ)じゃないかな…?」という言動に苦しんでいる子どもたちが「でも『良い先生』だし」「そのつもりはないかもしれないし」と口を封じられ相談できなくなってしまうことを恐れます。その意味で非常に悪質な記事です #文春オンライン
もちろん既に法的な裁きを受けた人のプライバシーを暴き私的制裁を加えるようなこともあってはなりません。ですがこの記事は「性加害とは」「良い教師とは」という点からズレており、当然多くの人からそう指摘され、結果として死者に鞭打つことになっています。二重三重に加害的な記事です→