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そうすると、彼らは尋ねてくれる。貧困や格差をなくすために私たちに何ができますかと。答えはいつも同じ。
「18歳になったら、必ず選挙に行きましょう」
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もちろんそれ以外にもいろんなアクションがある。でもまず投票。それが誰にでもできる、いちばん大切なアクション。軽んじては絶対にダメ。
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話を聴くって難しい。すごくすごく難しい。技能的な問題だけじゃない、ジャッジしたい欲求、「専門性」を評価されたい欲求、早く答えが欲しい欲求、いろんな欲が邪魔をする。欲は不安の裏返し。難しい。でも大切。だから踏ん張りたい。
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どんな支援の入り口も「ジャッジせずただ話を聴く」から始まる。でもそれだと「専門家のくせに(聴くだけかよ)」と他職種からジャッジされたり、批判されるような気がしちゃったり、だから1回の面談だけで病名探ししてみたり家庭の問題だとか言ってみたり、そうやって当事者との信頼関係が崩れてく→
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学校に合わない子が増えてるんじゃなくて、学校のシステムが今の子どもたちに合わなくなってきてるんだと思う。
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「子どもたちに」でもあり「社会に」でもあるんだろうな。昔は学校に合わない「少数派」を切り捨てても回っていく社会だった。今はそうじゃない。そして今や少数派ではなくなっているし、子どもたちが触れる情報量も増えて色んな「おかしい」に気づきやすくなってる。
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「そしてみんな逆転物語好きなくせに、その逆転の中に少しでもケチつけられる部分があると手のひら返して責めるよね。完全にクリーンな逆転物語なんてほとんど無いはずなのにそれを一般化しちゃって、そうすると自分も生きづらくなると思うんだけどな」
御意、しかない。
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zoom会議で「逆境乗り越えて活躍する物語の危うさ」について話してるのを横で聞いてた娘氏「みんな逆境を乗り越えて活躍する物語好きだけど、逆転話が人気なのはレアだからだよね。ありふれてたら人気出ない。そのレアケースを一般化しちゃって今苦しんでる人たちを追い詰めるの、相当身勝手だと思う」
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「逆境乗り越えて活躍してる人ってレアだけど発言力も影響力もあるから、乗り越えるのが当たり前で乗り越えられないのは努力不足だって、より一般化されるんだと思う。そうすると機会や出会いに恵まれなかった人たちがどんどん何も言えなくなるし、もっと苦しくなる」
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子どもに対してついつい「自分が学生の時にされて良かったこと」を軸に助言しがちなんだけど、その「良かった」って記憶が事実とは限らない。その時は苦痛で、苦痛だったからこそ何かの価値や意味を付与したくて、記憶の中で良かった=価値あるものに変換されてることもある。体罰容認は大抵これ
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叱ったり注意したりする前に「何があったの?」とひと言声をかけるだけで防げる傷つきや誤解がたくさんあると思うんだけどな。
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「子どもファースト」って、子どものために親が自分を犠牲にすることじゃない。どうしようもなく追い詰められてる親に、周囲が「大丈夫、子どものことはいったん私らがなんとかするからあなたは自分を整えな」って言ってあげられる社会だと思う。子どもファーストは家や親じゃない、社会が実現するもの
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支援の現場で「家族の絆」なんて言葉が出てきたら、それは支援者の思考停止や無策、役割放棄のサインです。一国の首相の場合は、どうだろう。
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娘氏はお菓子作りが得意で料理もそれなりにする。今日も色々作ってくれたのでつい「あなたと付き合える人は幸せだね」と言ったら「誰かと付き合ったからって私が料理を引き受けるわけじゃないしもしママが相手を男性だって想定してるなら私が将来一緒に暮らす相手は男性とは限らないよ」と即カウンター
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いわゆる「こども食堂」には様々なセクシュアリティの当事者、そして性差によるステレオタイプな役割期待に苦しんでる子たちが来る。来ると想定してなきゃいけない。そしてこども食堂という場は、そのステレオタイプなジェンダー観を再生産しやすい性質がある。例えば「女性のボランティア」が調理して
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「この病気なら○○できるはずがない」「本当に辛い人は他にいる」
他ならぬケアを行う立場の人たち(精神科医や心理士/師)の中にそういった発信を行う人たちが散見される。「社会」からのその眼差しが、他ならぬあなたたちの目の前にいる人を苦しめているのに。加害的な空気作りに自ら加担している
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こども食堂始める動機は色々。ただ美味しいごはんを食べてほしいという願いだって素敵。でも始めた瞬間に、政治や企業がこども食堂への補助や寄付で貧困対策への責任のお茶を濁す動きに巻き込まれることになる。否応なく。批判を避けていたのでは、格差の固定化に加担するのと同じ
#わたしも投票します
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子どもの面倒を見るのは女の役割。男は子どもに加害するけどその責任は目を離した女の側にある
というふうに読みました。「どうやったら子どもを守れるか」を共に考え行動する同志であるはずの児童精神科医がこのような眼差しで子どもと/親と向き合っているのだとすれば、残念極まりないことです twitter.com/Pnagashi/statu…
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アルバイトが必要な高校生がいる。でもアルバイトを禁じてる学校がある。でもNPO等でのインターンやボランティアは推奨されてる。ならNPO等が有償のインターン・ボランティアとして高校生を雇用すればいい。と思ったのでうちは数年前から「スカラシップ」と称して高校生たちをスタッフとして雇用してる
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夜7時まで遊んでいたその子には家に居づらい、安全でない、ひとりぼっち等の事情があるのかもしれません。ガツンと叱れば公園という逃げ場所を失うことになるかもしれません。もし見かけたら「どうしたの」と声かけ、あるいは警察等に「相談」をお願いしたいです。それが教育であり福祉だと思います twitter.com/senseiwakame/s…
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個人的には、暗くなってからも子どもが公園で安心して遊べて、それを「地域で見守る」ができたらいいなぁって思う(もちろん深夜はあかんけど)。公園ってそういう場所であってほしい。公園が難しいなら、他にそういう場所があったらいい。
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実際は分断ではなくて分断「のように見える何か」なのかもしれない。繋がっている。その繋がりが見えないことは、誰にとっても不幸でしかない。不幸でしかないはずなのに、見えない方が安心できる人たちがいる。だから切り離される。
どう繋げるか。インタビューに答えながらいつも考える
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生活困窮や経済的搾取や虐待や望まない妊娠、ソーシャルワーカーとして関わる高校生は様々な困難を抱えている。そんな私のところに「若者の貧困について調べてます」等と高校生たちからインタビューの問い合わせが来る。彼らは名の知れた、偏差値の高い、私立中高一貫校の学生だったりする。この、分断
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特定の「社会問題」に関心を持ち、また声を上げ行動する人たちの中にはその「問題」の当事者、あるいは元当事者が多くいる。
でも権利が制限された子ども、高校生の場合はただ巻き込まれるだけで、ぐちゃぐちゃで、「問題に関心を持つ」なんて「贅沢なこと」だったりする
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もちろん学生が関心を持つのは悪いことじゃない。大切なこと。でも当事者性から遠い場所にいるからこそ社会問題への関心を持てるという構造は、「無関心」とはまた違う危うさを内包していると思う