201
「健康的な食生活」って高価なんですよね。調理には時間もかかる。困窮すると「野菜高すぎて疲れすぎて子どもに菓子パンばかり」になってしまう家庭は珍しくない。カロリーは安い、栄養は高いんです。体型から勝手に生活をジャッジされ批判される、まさに困窮する人が抱えるしんどさのひとつです twitter.com/mentalist_daig…
202
「生きづらさ」を抱えた人が「生きづらさを生きていく」と言うのはあり。それもひとつのコーピングだから。「生きづらさ」というキーワードで連帯もできる。でも国がそれを言っちゃおしまい。生きづらさは構造の問題でそれは権威によって温存されている。構造の問題を率先して矮小化するな、ということ
203
「社会のせいにするな」じゃなくて、「社会のせい」にした上で「その社会を変えるために構成員のひとりである私は何をすべきか」って話をした方がよくない?
204
そして「女性の身体を使うのも女性」になるんだよね…「産むべき」「産ませたい」世の中には男性の大きな声が反映されているとはいえ。
もうこれ『侍女の物語』以上のディストピアじゃん…
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安全な環境で育つことができない子が多くいる世の中で、「育てられないから」という理由で諦められる命がある世の中で、子どもの命と権利が軽んじられるこの国で、なぜ「産む/産ませる」ばかりが優先されるのか
まず今・困難な環境に置かれた子たちが安全に養育されるための福祉を拡充してください
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こんなに子どもを、母親を大切にしない国で「産む」ばかりが推奨される。使われるのは女性の身体、危機にさらされるのは女性の命。どんなディストピアだろう
#代理出産合法化に反対します
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心から同意します。児童館(児童クラブ)の機能を削り、人を削り、予算を削り、なのに「サードプレイスとしての子ども食堂」を押すのは本末転倒です。私たちこども食堂は「隙間」にあってこそ意味があるんです。 twitter.com/d_furicado/sta…
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直接的間接的にいろんな学校さんと関わってるけど、不登校が少ない・いない学校って「不登校減らそう!」と前のめりで取り組んでるより
・学級の枠が緩くて生徒が枠を超えて場所や関係性を作れる
・複数の教員が学級に関わる
・教員同士話し合う機会が多い
がナチュラルに定着してるケースが多いなぁ
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これ以上入試や就職が「経験」軸に偏れば、「価値ある立派な経験」とジャッジされるなにも留学とかインターンとかコンクールや大会への参加とかボランティアとかキラキラ・社会貢献系の活動だけじゃない。いじめや困窮や病気や家族のケア等の逆境を乗り越えた!というストーリーも大人の好物だから→
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自力で乗り越えたストーリーが価値あるものと評価され、乗り越えることが個人の責任に帰される。チャレンジできない環境に置かれた子たちも「チャンスを掴めなかった自己責任」として置き去りにされる。ほんとうに、危うい。
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子どもが勉強を苦痛に感じる(めんどくさいとか嫌いとか苦手ではなく)のはなぜか、子どもたちと話すことがある。できないと叱られる、馬鹿にされる、比べられる、自分のペースが許されない、そんな声があがる。勉強そのものではなく周囲の大人の態度や言葉なんだよね。新しい取り組みを追加する前に→
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とりあえず、支援を求める人にとって命綱ともなりうる連絡先を奪おうとする行為はすぐにやめてください。その行為は暴力、一片の正当性もありません。
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少なくとも私たちは「いずれ私たちが必要とされなくなる社会」を目指して、そのためのプロセスとして、助成金や委託費による運営形態を受け入れています。それを「ビジネス」と批判されると、ついついやさぐれて「ほなら代わりにどうぞ」と言いたくなってしまいます。そんな現場です
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それは間接的に誰かの命を奪う行為です。私はたとえ私と見解を同じくする、共感できる主張であったとしても、同様のやり方を持ち出す人には同調できません
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必要のない人は使わなければいい。主義主張が異なる人はそれ相応の場で反論、議論すればいい。
今朝は関連する流れの中で生活保護受給者を揶揄するツイートを見かけた。様々な立場があり、見方があり、意見がある。対話や議論において「支援を要する人」の声を奪うようなやり方を持ち込まないでほしい
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相談窓口は抗議のツールではありません。援助を必要とする人たちのためのものです。回線やメールボックスに無関係な問い合わせが殺到することで支援を必要とする人との繋がりが絶たれる恐れがあります。それは誰かの命を奪うに等しい、暴力です twitter.com/colabo_yumeno/…
217
子どもに「将来の夢」を書かせたいのは誰か、言わせて安心したいのは誰かと問いたい。
震災のあと、地元紙で「未来の福島を担う子どもたち」とか何とかいうタイトルで子どもたちが書いた「将来の夢」が掲載された紙面があった(311メモリアルの特集だったかも)。私はそれがとても気持ち悪かった
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ちなみに私の幼児期の将来の夢は「お花屋さん」でした。小学生は「看護師さん」でした。今でもよく覚えてます。なぜよく覚えてるか。なりたいものなんて分からないのに大人がしつこく聞くからとりあえず納得しそうな手近にある答えを出したからです。あまりにめんどくさくて無意味な質問だなと覚えてる twitter.com/marikakonosu/s…
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子どもに「将来の夢」を書かせたり言わせるの、子どもにとって何か良い影響があると思えない。限られた知ってる職業の枠に可能性を押し込める必要ない。せめて「将来の夢」として特定の職業を書かせるのはやめてほしい。私ら生きるために仕事してるんであって、仕事するために生きてるわけじゃないよ
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なんにもしたくない
まだわからない
これから探す
猫とのんびり暮らす
推しを愛し続けたい
平和に過ごしたい
好きなことだけしてたい
あの国に住みたい
もし「将来の夢」を書かせる・言わせるなら、そういう答えも歓迎してほしい
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こども(家庭)庁設立の流れに絡んで「子どもを呼んで意見をきこう」という試みがちらほらと行われてる。それ自体は良いことだし必要だしそこに「呼ばれる」機会を得た子たちの声も大切であることには変わりないけれど、そこに「呼ばれない」子たちの声をどのように聴きに行くかがより重要だと思う
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子どもたちから「しんどさ」について聴いたとき、その子個人のエピソードを汲みながら、できるだけ「それはシステム/構造/その運用者に原因があるかもしれない」という視点を共有するようにしてる。直接的でなくても。でないと人は辛さの原因を弱い者に向けてしまい、やがて差別やヘイトになるから
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「学校ムリでもここあるよ」はいいけど、「学校ムリならここがあるでしょ?」は危うい。そして両者の境目はとっても薄い
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「自分で選んだのだから簡単にやめてはいけない」と大人は叱るけれど、自分で選んだからこそ自分で「やめる」を選んでいいし、そもそも大抵の子どもにとって学校も部活動もその他も選択肢はとても限られているのだから、自分で選んだも何もないよね
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整形したい
痩せたい
そんな言葉が小中学生からも聴かれるようになった。切実に。「自分のなりたい姿になる」のは個人の選択であり自由。でもそのなりたい姿は「多くの人が美しいと認める顔」だったりあるいは「他の誰かの顔」だったり、他の誰かから侮蔑されないための体重やスタイルだったりする→