・大声を出し脅すこと ・恥をかかせること この2つは「叱る」に不必要で、むしろ叱る目的=言動の修正を阻害する。でもこの2つをなかなかやめられないのは効果があるという間違った知識信念だけでなく、大人がその加害的な行為で「子どもを支配する立場」を確認しその立場に依存してるからだと思う
ヘイトクライムについて毅然と反対するメッセージを出せず、差別に対して明確に反対することもできない政府が、奪われてよい命などひとつもないことを振り返る日であるはずの今日この日に死刑を執行した。言葉と記憶を掠め取るかのように。とても、とてもとても悔しい
差別的・加害的な言動を指摘すると「その意図はありませんでした」という反応をいただくことが多々あるけれど、はい、まさに私が問題にしてるのもその意図とやらではなく行動であり言葉なんですよね
支援の対象者に対してイライラしたり、言う通りにさせたくなったり、話を遮ってしまったり、叱責や反論をしたくなったり、そんなことが増えた時。それはあなたがダメなのではなく、多分疲れてます。必要なのは自分を責めることではなく休息です。休も
実際に一時保護所や児童相談所、アフターケア施設のためにこれだけ多くの予算を投じますという流れを私たちひとりひとりが支持できるかどうか。誰もが当事者になる可能性があった、でも運によってならなかった、その「当事者にならなかった多くの人」からの支持がないと動かない山です→
提訴を支持します。大人が安心して働けない職場で子どもを守ることはできない。人を増やすには待遇と環境の改善、そのための予算の確保。「社会的養護を受ける子の福祉」という多くの人にとって「関心はあるけど当事者ではない」事柄に優先して予算を割ける世の中であるか→ news.yahoo.co.jp/articles/efe26…
日本学生支援機構の家計急変採用(給付奨学金/返還不要) 『2022年7月1日より、家庭内暴力から避難をした場合も申請可能です』 ↑これは要宣伝!要拡散! jasso.go.jp/shogakukin/mos…
「困った時に助けてくれる人」とのつながりは大切だけど「困った時に助けてもらうためにつながりをつくる」のは苦しかったり、時に自分の中の何かが損なわれてしまったりする。つながりなくても困らない、なんとかなる、生きていける、その土台がほしい。それが福祉のはず
「マイペース」をゆるされた結果の「男の子後伸び論」がどれほど多くの女の子から機会を奪ってきたか。教育者を名乗るなら当然ご存知のはずではないでしょうか。
女の子はてきぱきできずだらしなく片づけせず話を聞かずぼーっとしてると気が利かないと叱られる(ことが多い)。男の子は「男の子だから」とゆるされる(ことが多い)。更には「教育の専門家」が「男の子脳」だなんだと無責任なお墨付きを与えてしまう そのせいですが? twitter.com/oyanochikara/s…
衝撃的で悲惨な事件が起きると反射的に「何か書かなくちゃ」「何か言わなきゃ」という気持ちになったりします。それはしばらく寝かせておいた方が良い言葉かもしれません。
「波風立てない」「器用にふるまう」「(男性を)上手に巻き込む」スキルは私が発言する機会を力を得るのを手助けしたかもしれないけど、結果として不均衡を温存することになったのだと思う。子どもたちに受け継ぎたくない、だから子どもたちにこの姿を見せたくない。でもできなかった。悔しい
女性差別について講演した時もそうだった。男性の受講者のご機嫌とりをしてしまう。今はその話をしていないのに、わざわざ持ち込んでしまう。「みんな大変」で焦点をぼかしてしまう。染み付いたこの癖は私がこの不均衡で不当な環境を生き抜くために必要だった。でも手放したい。変わりたいし、変えたい
ジェンダーギャップについて取材を受けた。女性であることを理由に被る不利益や抑圧や様々な被害について話しながら「男性には男性の辛さがあって」「(女性らしさだけでなく)男性らしさの押し付けもあって」と挟んでしまう。その話はしてないのに。「男性の読者」を怒らせないように振る舞ってしまう
特性でもなんでもなく機会の差でしょう。「良い大学に行く」「良い塾に通う」ことを望まれ応援される環境を得られるかどうかに性差があるのだから。つか女子はコミュ力、男子は不器用な能力って、入試で不当に女子サゲしてきた人たちの詭弁と全く同じじゃないか… twitter.com/tokyokojuken/s…
むしろ「福祉が不十分なせいでケアの役割を担わせてしまってごめんなさい」って謝るところじゃないか。「頑張らなくていい」「頼っていい」って何なん。それじゃ「頑張ってもいい」「頼らなくてもいい」になっちゃうじゃないか
ヤングケアラーと呼ばれる中には家族をケアする役割を引き受けることで自分の中の何かを支えている子たちもいる。だから単純に「かわいそうな子を助けてあげましょう」ではうまくいかなかったりする。でも「かっこいい」は無いよ、厚労省さん。「えらいね」「かっこいいね」で放置されてきた問題だから
メンタルヘルスって「こころの健康」が損なわれているというよりも「日常生活の中に不健康さ(困窮や暴力や抑圧や搾取や理不尽)」があってその影響が「こころ」に出ているんだと思う。だからカウンセリングルームや診察室の中だけで治療が完結するはずない
全てのケースがそうではないけれど、でも「不健康な状況に反応するこころはむしろ健康では」という視点って大事だと思うなぁ。その上で「不健康な状況(環境)」に様々な専門性をもって色んな角度から取り組んでいくこと
福祉ってそもそも「つながり」が断たれた、つながりから置き去りにされた人たちのためにこそある。でも日本の福祉はむしろつながりに依存しようとしてる。「つながり」や「シェア」をキーワードに活動を展開する民間団体は多いけど、福祉のつながり依存に加担してないかセルフチェックが必要だと思う
中絶の権利が覆された米国の判決。理不尽は突然降ってきたものじゃない、ひとりひとりの選択と行動の積み重ねの結果国の代表が選ばれ、判事が選ばれ、女性の安全と権利が奪われた。日本も同じ。たった1回の選挙、たった1回の選択、その積み重ねが私たちの権利を守ることもあるし、奪うこともある
子ども若者のための政治の実現のためには「だれも困窮しない社会」の実現が必須。手薄な子ども若者・子育て世代への配分を強化するために削らなければならないのは高齢者のパイじゃない。富める側が持ちすぎている分。富の分布に世代による偏りはあっても、分断軸は年齢じゃない。間違えないでいたい
分断は年代の間で起きてるんじゃない。貧しい者、機会を奪われた者、努力できるチャンスに恵まれなかった者は、たとえ「若者」であっても、機会と富を持つ人たちの言う「若者のための政治」からはパージされるのではないか→
最近インフルエンサーと呼ばれる人たちがしきりに「若者のための政治を」と発信しているけれど、彼らが「若者対高齢者」という図式を殊更に強調することに違和と危機を覚える。その対立構造は困窮を置き去りにする。見えなくする→
若者の困窮は深刻。でもなぜ若者が困窮するか。彼らを育てた世代が困窮しているから。困窮が世代を超えてじわじわ拡大している。日本の政治は富を持つ側に向いている。若者だけじゃない、持たない中高年の側には向いていない。高齢者の困窮も相変わらず深刻だ→