愛とか思いやりとか、計測できない尺度なんて信用ならないよ。家族であっても恋人であっても友人であっても。大切なのはその人があなたに何を言ったか、どう行動したか。それだけ。
「負けたから」にはきっと他のいろんな言葉が入るし、「平日にします」も同様。粋だとか羨ましいとかの前に怖いなぁって思ってしまう
王様が「勝ったから明日は祝日です!」と決められる国は、同じように「負けたから明日祝日だけど平日にします」と決められてしまうかもしれない国だってことだよ
サッカーという競技はそもそも移民や格差といった様々な問題を内包するスポーツ。「サッカーに集中」なんて簡単に言ってしまえるのがまさに「そういうとこやぞ」と
うん?「人権問題が好ましくない」ではなくて「人権問題への抗議が好ましくない」とな。W杯も五輪も既に政治的イベントです。人権のない民主主義は存在しない。こういうところががっかりでサッカー好きなスポーツなのに観るのも楽しむのもあれこれ躊躇しちゃうのよね www3.nhk.or.jp/news/html/2022…
私たち「支援者」だっていろんな困り事を抱えてる。自分や家族に病気や障害がある、子が不登校、DVがある、低賃金でお金ない、借金がある、物質に依存してたり言えない過去があるetc.でも目の前の人からは「ちゃんとした仕事をして安定した生活を送ってる人」に見える。その眼差しは常に意識している
こども食堂やサードプレイス、または「子どもの貧困」対策に取り組む非営利団体向け企業助成金が増えているけど、その企業が自分とこの従業員をどんな条件で雇用してるか、非正規雇用の割合どのくらいか男女の賃金格差放置してないか長時間労働強いてないか等の諸々が気になるし、気にするようにしてる
子どもの貧困でもヤングケアラーでも、何年も前から現場で「こういう事例(の顕在化)増えてるよね」と気づいて、手探りで支援を構築して、共有して知見を積み重ねて、訴えて、声の大きな人や組織に届いて世間の関心が集まって、やっと調査や研究が始まって、そんで数年後に「〇〇対応の研修」みたいな
「区別しない」と「差別しない」は同義じゃないんだよ。区別しないことで不均衡や暴力が温存されるなら、それは差別です。
ちなみに女性の先輩や先生たちはみなちゃんと名前や謝辞を載せてくれたり助言に対して報酬をくれたし、男性の先生の中にもきちんと対応してくださる方もいます。しかし私という一例に限ったことではありますが、「タダでの協力」を当然のように要求するのはおしなべて男性だったのです。事実として。
若い頃はそれを「親しさゆえ」と自分に言い聞かせ、「立派な先生に頼られている自分」に酔おうとすることで飲み込んできてしまったけれど、すごくすごく悔いてます。言葉だけの感謝もご馳走も要らん、名前を載せろ。今は、そしてこれからも、相手が誰であれそう要求する。
RTとは少し違うけれど、 ちょっと意見くれない? 助言もらえる? 読んでアドバイスほしいな と請われて関わった書籍やスライドに一切私の名前がない、謝辞もない、「お礼にご馳走するね」で済まされる、私の存在を不可視化して栄誉だけ掻っ攫う、そういう相手は全員男性でした
大きなことじゃなくていい。眠れない時に一緒に寝てくれたとか、体調悪い時に休ませてくれたとか、落ち込んだ時に好きなもの食べさせてくれたとか、子ども時代にちょっと困った時の小さな願い事を身近な大人に叶えてもらった経験が大人になってからの「困った時誰かに頼れる力」の下地になるんだと思う
その子たちの切実な痛みを軽んじることになるから。何も言えなくなる、難しい。ただ私たち大人にできることは、普段から容姿についての言及を避けること。自己批判(自虐)も含めて。自虐は他罰になるから。容姿や体型以外にも、子どもたちと共有できる話題はたくさんある。そっちを膨らませていきたい
小学生からダイエットして中学生で整形したいと訴える。「自分は醜い」「醜いから消えたい」と言葉を振り絞る子たちに「あなたはかわいいよ」と言うのはたとえ本心でもなんか違う。かわいいか・かわいくないかという軸を肯定してることになるから。「見た目なんて関係ないよ」なんてのも違う→
エビデンスのないなんとかセラピーのセラピストを名乗って「発達障害を治せます」と言う人からたまにFBフレンドリクエストが届くのだけどTLを覗くと似非科学やら陰謀論界隈との繋がりが濃厚な上にプロフィールに公立学校で特別支援敎育支援員やってますとかあって、なんかもうなんだかなと
某所で子どもたちと雑談してたら「それあなたの感想ですよね」と言われたので「そうですよ、私の感想ですよ。で、あなたの感想は?」と返したら、まあ黙っちゃったよね。いいんだよ、感想で。聞かせて欲しいのはあなたの感想です。
「話を聴いてくれたり認めてくれたり助けてくれる大人が周りに誰もいなければ、私たち子どもはどうしたらいいんですか?」 という真っ直ぐな質問を度々受ける。「どこかにはきっといるから諦めないで」なんて簡単に言えない。なぜ子どもたちが「助けてくれる大人探し」の努力をしなきゃいけないの?
「誰かの役に立ちたい」という想いは尊いけれど、「誰の役にも立てない自分はダメだ」になるとそこから「(誰かの/世の中の)役に立たない人間に価値はない」までわりと距離が近いから、注意が必要。
頼るな甘えるな安易に助けを求めるなと突き放されてきた子どもたちがその下の世代に同じことを繰り返す世の中より、頼ってね支えるよ助けを求めていいんだよの言われ続けた子たちがその下の世代にも同じ言葉をかけていく。そんな世の中の方がいいなぁ、私は。
なるほど、そもそも予算が組まれてないと。ダメじゃん。そこはぜひ保健衛生にかかる予算を増やし、女の子の健康に直結する生理用品も基本設置の備品としてください #文部科学省 さん、#厚生労働省 さんも twitter.com/marikakonosu/s…
毎回もらいに来る子がいるとしてそれがいけないとは思えません。生理現象です。トイレットペーパーは誰もが備え付けのを使います。怪我をして手元に絆創膏がなければもらいにいきます。でも「自分で買う習慣」はいずれ身につきます。なぜ生理用品についてのみ子どもに対して責任を求めるのでしょう? twitter.com/deshi_gugu/sta…
月経が急に来てナプキン持ち合わせていない生徒が保健室でナプキンをもらうと、それを「後で買って返す」ルールにしている学校がちらほらあるようなのだけど。その学校は怪我をした時に手当てした絆創膏も買って返させてるの?トイレットペーパーも使った分を返させてるの?なぜ生理用品だけなん?
毎年このアンケートから分かることは「不登校の要因」なんかじゃない。学校がいかに子どもの声を聴けていないかということ。聴ける場所になっていないということ。だから具体的な対策(いじめ・ハラスメント・ヤングケアラー等家庭要因の場合の福祉的支援)につながらない。そりゃ増えるよ、不登校。
この「無気力・不安」という選択項目は削除した方がいい。子どもを不安させている要因が分からない、つまりただの「わからない」だから。そのわからないは「聞けていない」つまり「話してもらえていない」と同じ。子どもは信頼の置けない相手に本音を言わないし→ twitter.com/asahi_school/s…