子どもの興味のあることを嘲笑する 子どもの欲しくないものをプレゼントして感謝を要求する つまんない宴席に引っ張りだして上機嫌でいないと怒る 子ども同士を比較する 延々と自慢説教昔話ご近所の噂話 下ネタセクハラ性差別 そんな大人は嫌われます。いくらお年玉積んでも尊敬は買えません
同じ体験をしました。どの皮膚科に行っても改善しなかった娘のアトピー、とあるアレルギー外来のクリニックでじっくり丁寧な問診、ステロイドの塗り方と保湿の丁寧な指導、そして治療の計画をその都度ちゃんと提示してくれて、みるみる良くなりました。薬(ステロイド)同じなのにね twitter.com/zuboracco0307/…
家族や実家が加害的なら近寄らないのが正解。普段はそう思っててもこの季節は寂しく感じるかもしれない。寂しいのは自然、でももし独りを「惨め」だと感じるなら、それは「大晦日お正月は家族一緒が正解」という世の中の圧力があなたを傷つけてる。飢えない寒くないそして怯えない、それが何より大切
TwitterはTwitterで地獄みあるけど年末だしと久しぶりにfacebook開いたらリアルで会ったこともある知り合いが差別的な投稿してたり詐欺くさくて安っぽい起業系セミナーの報告とか女子キラキラ起業!子宮!宇宙!女神!とかがいまだに蔓延っててそっと閉じた。あっちもなかなかにつらみ
自然発生的で身体反応である感情そのものを「コントロール」しようとすると苦しくなる。それは抑圧と同義で、どんなに抑圧しても感情は消えない。それどころかむしろどんどん大きくなる。でもどう表すか、行動は選べる。
感情はコントロールできないのよね。コントロールできるのは感情表現(行動)の方
親を頼れない困窮する学生に学校(主に高校の保健室)を通じて食品や日用品を届けるってことを細々とやりながら、子育て支援=子ども支援とは限らないってことを痛感する年末
「こどもの貧困」は大人の貧困だけど、じゃあ大人(親・養育者)を支援すればそれで良いかというとそうじゃない。親を支援しても子どもにお金が行かない、届かないことがままある。貧困は「お金が入ってこない」のみを意味しないから。子どもに直接支援が届く仕組みがほしい
全然周知されてないよねこれ…命に関わることなのに
なんじゃこりゃ。DV・虐待被害者が情報非開示の届出をしないと加害者に情報閲覧される可能性あります。でも届出をしたらマイナンバーカードを保険証として使えなくなります。ってめちゃくちゃにも程がある。しかも保険証廃止してマイナカードにとか言ってなかった?ダメダメじゃないか… twitter.com/bookskuryudo/s…
子どもはそんなこと気にしないかもしれないけど、だからこそちゃんとしたい。まずあなたに対して自己紹介されるべきで、まずあなたの話が聴かれるべきだと、それが当たり前であるべきだと、そして親子(大人と子ども)という力関係に巻き込まれまいとする意思を持つ大人も存在するのだと伝えたいから
夫婦(恋人)で相談に行ったのに名刺は連れ合いにだけ渡される。男性と(自分の)買い物に行ったのに男性にだけ名刺渡されて男性に向かってばかり説明させる。おそらく女性なら一度や二度、あるいは数限りなく経験したであろうそれ、すごく「削られる」んです。だから同じことを子どもにしたくない
書字障害ある子についてその子に適した調整による指導をお願いすると「でも一生懸命たくさん書き取り練習したら書けるようになったんです!」と言われることしばしばで。うん、でもその「書き取り練習」に割いた時間と労力を他のことに使ったらその子はもっとのびのび何かを伸ばせたかもしれないんです
「病院に行って、薬も飲んでて、心理のカウンセリングも受けてるんですけど全然(心の調子が)良くならないんです」って人の生活をきくと困窮してたり暴力やハラスメントがあったり。家が家事になってる人に向かってスポドリ差し入れするような治療が続いてる。まず火を消そう。生活に関心持とう
『グレイスイヤー』 駆け抜けるように読了。侍女の物語や誓願のような「置き去りにされる快感」からの圧倒的巻き込まれ感ディストピア小説。ちょうど今思春期をテーマに文章を準備中で、色々とリンクする。ちょっと乱暴になるけれど、私は(女の子の)思春期は幻想や迷信だと思ってる。それこそこの→
彼らの中には自分が当事者であったことによる切実な体験が動機づけになっている、そんな子たちも少なくない。でも「私は今、誰かを助けたいと願える場所にいる」ことを「だから誰もがこの場所に来られるはずである」ことの裏付けにしては危険だと思う
もし「誰かを助けたい」というその願いが叶わなかったその時、「助けを得てこの場所に来るチャンスを掴めない人たちの努力不足」に転じるリスクがあるから
貧困問題に関心があります メンタルヘルスをテーマに起業したいんです 大学入試でこども食堂についてプレゼンしたいです そんな学生さんたちが日々連絡をくれる。彼らと話したその数時間後、私は貧困のど真ん中にいて虐待を受け学校との繋がりが絶たれ「将来を選べる」機会から程遠い子たちを訪ねる
この落差に、時々眩暈がする。 希望に満ちて夢を語る学生さんたち、その希望に水を差すだろうことを承知の上で、問題に「関心を持つ」という特権とその特権を生み出している構造的問題への眼差しの必要性を説明する。たぶん、彼らにとっては余計なお世話だろうなと思いつつ
でもそこがちゃんと繋がらないと「誰かを助けたい(誰かを助ける自分になりたい)人たち」の願いが「当たり前の生活と権利の回復を必要としている人たち」の必要性に優先することになってしまう。それはきっと、彼らの願いにも反することになるだろうから。
こども家庭庁絡みで子どもの「孤立予防」を目的とした「第三の居場所」を増やそうという動きがあり私たちの団体もヒアリングを受けましたが、このように大人が守られない働き方が再生産されてしまう懸念を抱いています。「孤立しない」はただ周りに人がいるという状態を指すのではありません→ twitter.com/motz33/status/…
この日本には、社会から祝福される出産とそうでない出産がある。露骨にある。「産みたいのに産めない人に産む機会を」という動きは「生まれてくる全ての子たちとあらゆる事情を抱えた母親を守ろう」という動きと連動していない。だから警戒する。
どうしたらいいか会議に呼ばれたことがある。そこで「移住してきてほしいモデル」として設定されていたのが両親揃っていて働いて稼いでいて(つまり「福祉のお世話」にならず)子育てしてる世帯だった。普段私が出会う人たちは、そして私自身も、この地域から歓迎されてないんだなぁとしみじみ感じた
妊娠を理由に退学を迫られる女子生徒 ひとりで隠れて産まなければならない女性 お金がなかったり相手の「同意」を理由に中絶できない女性 親元で育つことができず将来の選択肢が狭まる子ども・若者たち そんな人たちに日々関わる私がなぜか移住促進の会議、つまり自治体の人口増やすには→
企画側はもとより出演側も「男性だけである」ことに何ら疑問を持たなかったのかな。「どんなに実績を上げても椅子が空かない(椅子を占拠している人たちが降りない)限り座れない」という不均衡に意識が向かない男性たちが健康に生きるという(女性の)権利について語るって、かなりグロテスクだと思う twitter.com/jimin_koho/sta…