オンラインも電話も「話を聴く」サービスはたくさんある。でもその先の家・食・お金を提供してる団体は少ない。本当に少ない。だから相談の件数に対して実際の「支援」の件数はどうしても少なくなる。家も食もお金も提供するのに人も予算も必要だから。そしてめちゃめちゃ大変で心も生活も削られる
様々な情報が有機的に相互作用して成長する子どもの行動のうち大人にとって好ましくないものだけ取り出して「新しいメディア」のせいにするのは雑すぎるし、その主張は「子育ては母親の役割」「子の問題行動は母親の愛情不足が原因」といった言説大好き層と親和性が高い。科学じゃなくてイデオロギー twitter.com/marikakonosu/s…
こういうしれっとじわっとポップに母親を追い詰める表現はメディア云々よりよりずっと「子育て」に悪影響だと思います。で、まだまだそういう表現がありふれてる
どこにも父親がいない(育児は母親の役割でスマホ育児は母親の責任という前提になってる) エビデンス示されてない(脅しになってる) これを医大の協力で行政が作って医療機関に貼っちゃうんだね。「もうすこしがんばりましょう」って誰目線なんだろ
あと生活基盤が安定してないと良い相談支援はできません。安心して働けないから。もちろん「適正な額」はあるだろうけど、無報酬や最賃程度の自己犠牲的働き方が褒められていいわけじゃないし誇らしいわけじゃありません。
自分が少しでもコンディションを崩すと私自身の中に妙な欲求(褒められたい感謝されたい)が生じてしまうことを痛感し、今はきちんと自分にも報酬を払ってます。と言ってもほんと微々たる額ですし自分に払った分の多くは団体に寄付でしてバックしてるけど、それでもちゃんと報酬が発生する仕組みは大切
同感です。「無報酬が褒めてもらえる」のだとしたら、その構図が支援の質を悪化させる要因のひとつだと考えます。金銭的な報酬が得られなければ人は感謝や承認を当事者や世の中に求めてしまうから。それは支援が「歪む」危険なトリガーです twitter.com/19hz/status/16…
そもそも働けるかどうかは受給において関係ないです。なのに「働けるよね?なら申請受け付けません」が横行してること自体が重大な「不正」です。それを「おかしい」と訴えること、でも目の前の人に今支援を届けるために「納得させられる働けない理由」を説明すること。それを両立させてるのが現場です twitter.com/marikakonosu/s…
できるだけ保護件数を減らしたい行政も必死で対策してます。 要は「施設に入ってるから生活保護は必要ない」というのは間違いです→
人生何があるかわかりません。「シェルター入ったら生保要らない」と誤認されている方も、今後なにかのきっかけで住居がなくなり仕事もなくなるかもしれません。その時は躊躇なく支援を頼り、どこに住んでも生活保護という選択があることを覚えておいてほしいなぁと思います。
家賃かからないならその分は出ません。事前に水光熱費含む実費負担の実績から概算し、ほんと最低額しか出ません。それも施設に直接ではなく利用者さんの受け取りです(これは条件によって異なります。あくまでうちは、の場合です)。なので施設が「儲ける」ことなんてできないんです→
もちろん中には利用者に不適切かつ不必要な自己負担を設定してその分を生活保護から…という団体もありました。今でもあるでしょう。それが忌むべき「貧困ビジネス」です。で、それについても申請時にガチで調査されます。もちろん自治体によっては調査に穴があり悪質団体が生き延びているようですが→
シェルターの運営(水光熱費や食費含む)が全額委託費の団体さんもあるかもしれません。その場合も利用者が自己負担しない部分は出ません。しっかり調査されますから。つまりいろんな運営形態のシェルターや施設があって、生活保護はあくまでも「利用者が自己負担する分」のみに適応されます→
「保護施設に入ってるなら生活保護いらない」というリプいただきましたが誤認です。民間のシェルターにはいろんな運営形態があります。例えばうちはシェルター事業はどこからも委託・助成を受けてないので運営費は完全に持ち出しです。で、家賃は家主さんのご協力でタダですが水光熱費はかかります→
それはワリカンです。もちろん食費も自己負担。どうしてもお金ないって時は寄付金ベースの基金から立替えますが、それも底無しじゃない。なので手持ちの資金が無くすぐの就労が難しい場合は生活保護が第一の選択肢になります。で、その場合だって「満額(雑な言い方になりますが)」出るわけじゃない→
無関係な人たちから「よく言った!」とほめられるために活動してるわけじゃないから
それ以外の「良くない評判をきいた」について私は基本的に関わりません。繰り返しますが、それはきっと私たちも他で言われてることだから。それをわざわざSNSで仄めかすようなことをしたのでは、それ自体が私たちへの信頼を下げる行為になります
傷つけられ裏切られ続けてきた人たちと、ギリギリの条件環境で活動している私たち、その間のコミュニケーションにすれ違いや葛藤が生じることも多々あります。他団体についての訴えの中に明らかな暴力や搾取、権利侵害や違法行為なら然るべきところに調査を依頼すればいいしそうします
働けないことを納得してもらうための説明を考えよう」と戦略を練ることは通常です。それを不正だと言うのなら、本来受給できるべき人に届かない制度上の大きなエラー(それこそ不正です)の方にも注目、批判してほしいと思います。
生活保護。病気じゃないのに「病気だと言おう」と勧めることはありません。通院先を確認されるのはマストなのでそんな小手先の嘘は通じないんです。でも「働けないと言わないと受給できないし今は働くことよりもお金の心配を減らして心身をケアして回復することが大切。それが自立の第一歩。だから
あとついでに。「他の団体からこんなことされました」「あそこは何もしてくれなかった」という話は私もよく聞きます。ですがそれはきっと私たちも他で言われてることです。制度に隙間が多すぎて「願ったとおりにいかない」支援なんてザラですし、マンパワーも部屋数も限られてる
とか言う私も昔は許可なしに(知人のみの限定公開ですが)上げてしまってました。高校生になった今はしっかりNOかYESを言ってくれますが、それでも基本姿勢は「NO」にしています。知ったから、気づいたからやめました。だから知ったら、気づいたらやめませんか?
お正月の家族だんらん等をSNS(特に限定グループ以外の公開投稿)にアップしている人がたくさん。子どもの顔もバッチリ写ってますがお子さんは了承してますか?「いいよ」と言ってもお子さんによってはSNSで顔が公開されるリスクを充分に理解できていないかもしれません。乳幼児なら同意もできません
つまり同意云々関係なく「出さないが正解」です あとね、実は大抵の人はよそんちのお子さんの写真にあまり興味ありません。もし強い興味を引かれる人がいたらそれは「よくない興味」かもしれないのでとにかく出さないが吉。子どもの安全は日常の小さなことで侵され、それは権利侵害の土壌になります