津波も原発事故もなかったけれど、コロナ禍ですでにHPが削られた中での地震でした。私たちは、私たちが「感じる」以上にダメージを受けているかもしれません。もちろん子どもたちも。   しばらくは自分を、家族を、子どもたちをちょっと甘やかしましょう。甘々がちょうどいい時です。
聞こえますか…あなたに…エスニック料理好きなあなたに語りかけています……ナンプラーは…ナンプラーは…必ず床に近い位置で保管してください…絶対に…絶対に棚の上に置かないでください…10年間で3回震度5以上の地震を経験しナンプラーの中身散乱被害に遭い続けた私からのお願いです……くさい
・未発覚のいじめ ・経済的問題 ・合理的配慮が受けられない ・厳しい部活の指導 ・理不尽校則と理不尽生徒指導 ・月経困難症 ・統合失調症の初発 ・セクシャリティ/ジェンダー関連の生きづらさ ↑学校で不登校や「問題行動」を愛着障害と「見立て」られたけれど実はこうでしたという一例
カウンセラー(たまに教師)「私の見立てでは不登校の原因は親の愛情不足による愛着障害です」 わたくし「愛情って何ですかどうやって計測して不足の基準は何ですかどんな行動や条件からそのように判断されましたかあとそもそも愛着って愛情云々とは以下略」 って会議が近年多発しててわりと地獄です
「ヤングケアラー」に大人がかけるべき言葉は「大変だよね、助けてあげようか?」じゃない。「それはあなたが担うべきことではない」の方だと思う。支援という名目で子どもを搾取する構造を温存しちゃいけない
防御に徹すればより強く殴られる。でも無視をすれば「対話に応じないのか」と冷笑される。反撃すれば「分断に加担するのか」と責められる。でもその「分断」って、まず誰が作ったの? 泥試合を不快だと思える人が羨ましい。でもそんな「お気持ち」なんて知ったこっちゃない。だから私はわきまえない。
ひどいことを言ってくる人に、同じようにひどい言葉を返したくなる。でも、それでは同じ土俵に上ることになると、ぐっと堪え、相手を傷つけないように貶めないようにと、丁寧な言葉で返す。そうすると相手は、ますます大きな声でもっとひどいことを言ってくる。叩いてくる。その繰り返しだった
だから怒ることにした。叩かれたら叩き返すことにした。でもその繰り返しを経験したことのない人は「いくら怒っているからといってそこまで言わなくても」「相手も悪いけど叩き返したら相手と同じ」と思うかもしれない。うん、私もそう思ってた。そうして叩かれ続けてきたんだよ。
駅や公共施設よりもむしろ「何もないところにポツンとある」電話が大切なんです。駅や市街地には常に人がいていざとなれば誰かに助けを求められる可能性がある。でも徒歩で行ける圏内に商店も公共施設も交番もない、そんな僻地に暮らす人たちがいて、彼らにとってこそ公衆電話は命綱なんです。
ただでさえ数が減って困ってる子はいるのに。子どもだけじゃない。携帯電話を持たせてもらえない、監視されてる、そんなDV被害者にとっても公衆電話は大切なツールです。誰かの命に関わるものは、経済性の物差しで測っちゃいけない。
携帯電話を持たない子どもにテレカと児相他緊急連絡先のメモを渡すことが度々ある。家庭が安全でない子たちにとって公衆電話は命綱。経済性優位の社会ではいつも苦しい立場にある人たちが例外として切り捨てられていく 公衆電話の設置数削減へ 総務省の会議で夏をめどに方針 news.yahoo.co.jp/articles/9e7de…
不登校児の親さんに「学校来ちゃえば大丈夫なんです。だから来させてください」って言う教師多いけど、学校で「大丈夫」に見えても行くまでに泣いて身体あちこち痛くなって落ち込んで眠れなくて、帰ったら疲れ切って何もできなくてイライラしてって、「学校で大丈夫」の代償が大きすぎるんだよね
学校で「ちゃんと手を洗いなさい」って指導するなら、お湯が出るようにしてほしいなぁ。今日なんか最高気温も氷点下。氷より冷たい水で「ちゃんと」洗うって、なかなかに拷問だよ。
痛い思いをさせればいなくなる 寒い思いをさせればいなくなる 怖い思いをさせればいなくなく   これってあの犯人だけじゃなく、行政の「対策」そのもの。路上生活者だけでなく、例えば家出した少年少女たちにも同じことがされてる。「見たくない」私たちの欲求のために、見えない場所に追いやってる
社会的に影響力のある方々によるこの「不快な思いをさせて」系の謝罪にはもううんざりです。問題は私たちが「不快な思い」をしたことじゃない。ご自分の無知ゆえにDV被害を軽んじて被害者を冒涜したこと。謝る理由はご自分の言動の中にあるのであって、「私たち」には無い。責任を投げつけないでほしい twitter.com/hatanohiroshi/…
ざっくり言うと「農林水産省さんが子ども食堂に高級食材をくれる」という事業に参加するんだが、「食育の専門家が来て子どもと親に食育講演する」と言うのがセットになっててうーんとなってる。高級食材嬉しいけど、みんな食育指導受けたくてうちに来てるわけじゃないし。あと私「食育」好きじゃない
届いたのは指定された日時の1週間前、しかもその手紙に「欠席厳禁」ってデカデカと書いてある。あなたも仕事してるんだから突然休むのが難しいことも半日休んだらその分お給料減ることもご存知ですよね?「生保抜け」のために頑張ってる人の足引っ張ってどうするんですか?
もしもし生活保護担当の中の人。就職しろ仕事しろ自立しろって言っておきながら、頑張って仕事始めた人に突然「来週○日家庭訪問するから空けておくように」って一方的な手紙送りつけるのおかしくない?仕事休まなあかんよ?その時間の時給なくなるよ?せめてシフト確認してから日程決めませんか?
こういう文書について知っておくことも生保申請のライフハック。「知ってる」人には確実に窓口の対応が変わります。ほんとはこんな「自助努力」なんて必要ないはずなんだけどね。
特に重要②→生活に困窮する方が、所持金がなく、日々の食費や求職のための交通費等も欠く場合には、申請後も日々の食費等に事欠く状態が放置されることのないようにする必要があり、こうした場合の速やかな保護決定について、5月 26 日付事務連絡等において依頼しているところである。
窓口では車があるとか親族いるだろうとかで断られるケースはまだまだあるけれど実はどれも要件じゃない。必要な人の申請権侵害の方が、ごくごく少数の「不正受給」よりずっとずっと大きな問題。ちなみに必要な人が申請をためらわないために適切な窓口対応を促す文書が各自治体に降りてきています。
特に重要①→相談段階における扶養義務者の状況の確認について、扶養義務者と相談してからでないと申請を受け付けないなど、扶養が保護の要件であるかのごとく説明を行うといった対応は不適切であるので、改めてご留意願いたい。
生活保護、1人で申請行くと断られてソーシャルワーカー等が同行するとOKになる場合がかなりある。実は窓口での「渋り」なんてその程度。でも同行者見つからない、そんな場合は日弁連のこのパンフレット持って行って窓口に見せながら申請することをお勧めしてます。 nichibenren.or.jp/library/ja/pub…
「子どもが好きなんです」と言う人の多くは、ひとりひとりの「子ども」じゃなくて「子どもらしさ」が好きなんだと思う。自分が期待する子どもらしさ。だから期待に沿わない言動や反応が返ってくると子どもを突き放したり激昂したり勝手にがっかりしたりする
貧困は思考し判断し対話するエネルギーを奪う。そして貧困だからこそ「モノが無い・買えない」ことを強く恐れる。貧困故に「子どもに惨めな思いをさせたくない」と願い、子どもの要求にNOと言えなくなってしまう。「子どもの期待に応えられない自分」を不甲斐なく感じ、その葛藤から逃れるために→